Yahoo!ニュース

“洗練”をも奪われたプリンセス

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト

あなたは見ただろうか? 今回のオランダ訪問に際して、まとめて報道された“雅子さまの過去の映像”。特に、皇室に入られて間もなく、頻繁に海外に出られていた頃の映像を。

あらためて驚いた。中東訪問の時の“グリーン×黒ストライプ”をあしらったパンツスーツの、あまりの洗練に!! 各国訪問で見せた帽子コレクションが、あまりにオシャレだったことに!! 色づかいも眩しいほどだった。またそれが目を見張るほど似合っていたもの。

それは紛れもなく、“華麗なるロイヤルファッション”と呼ぶにふさわしいもので、雅子さまファンがそこで一気に増えたのは間違いないし、当時のダイアナ妃とも肩を並べられるような高貴な美しさを持ったプリンセス誕生! と、日本人としてとても誇らしかったことが、あらためて思い出された。

でも同時に今回、その見事な洗練もまた、心の病に繋がる要因をつくったことを確信させられたのだ。

もちろん想像にすぎないが、ああしたファッションにはおそらく“オシャレすぎるのじゃないか”“少々華やかにすぎるのじゃないか”といった声が近いところからあがったはずである。それは、その後の雅子さまのファッションに明らか。ある時期から装いが急に変わり、あの頃とは比べようもないほど地味になった。“質素”はいいが、それとは少し意味が違う地味。たとえば葉山御用邸での“私服”ふうの装いも、意識的にオシャレに見えないものを選ばれていたように思えたから。

少なくとも今、多くの場面で“白”を着ているのにも、とても意図的なものを感じる。今回のオランダ訪問でも、即位式以外はすべて白のオーソドックスなスーツ。白はもちろん華やかさと品格を両方兼ね備えた色だし、好感度は申し分なく高いが、そのデザインや小物づかい、髪型までを含めたトータルな表現の仕方は、かつての雅子さまとは別人のよう。ファッションまでを否定されたことは容易に想像できるのだ。

いかに公務のファッションとは言え、本人のセンスのレベルがハッキリ現れるのはみんな知っている。雅子さま自身がとてもセンスのある人だったことも。そういう意味で、あの雅子さまの洗練は一体どこへ行ってしまったのだろうと、過去の映像との違いに逆に目を見張ったのである。ご成婚前、外交官だった頃から“オシャレの上手さ”も評判だった人だけに、ちょっと不可解ですらある。

というのも、“洗練”や“センス”というものは、運動神経と同様に、もともと備わっている才能のひとつで、何があっても減ることがない。鍛えられて増えることはあっても、減っていくものじゃないのだ。つまり、単に華やかさをセーブしているだけじゃない。意図的に洗練を外に出さないように努力しているとしか思えないのだ。“オシャレをしすぎる”と言われて、生まれもったセンスも封印してしまったとしか思えないのだ。

もともとオシャレの上手な女性が、わざとオシャレが下手なように見せるのは、ひどく難しい。大きな苦痛を伴うはずだ。それどころか、本来が体の中にある洗練を自ら否定するのは、やっぱり自分の人格を否定することに他ならないのである。

もちろん、心の病がそうさせるのかもしれないが、でも今、“白のオーソドックスなスーツ”ばかりなのは八方ふさがりで、もうそれしか選択肢がないからのようにも見てとれる。

確かに雅子さまの白は美しいし、あの笑顔とともに見る者をホッとさせてはくれるけれど、昔の映像の、洗練を絵に描いたような眩しい雅子さまを思うと、逆にちょっと胸が痛い。英国のキャサリン妃が、持ち前のセンスで世界的な人気を博しているように、プリンセスの人気の多くをファッションセンスが握っているのは間違いないのだから。

毎週のように週刊誌が取り上げる“雅子さまのこと”も、それを今まさにどう読むべきか、尚さらわからなくなった。“センスを奪われる”あるいは “センスを自ら抑制する”って、やっぱり女性にとっては“人格の否定”、異常なことには違いないから。

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

齋藤薫の最近の記事