長澤まさみ演じる「毒親」にコロナ禍の孤立重ねた・映画「MOTHER マザー」
主人公は、出会った男と関係を持ち、その場しのぎの生活をする秋子(長澤まさみ)。シングルマザーである彼女は、息子の周平(奥平大兼)に執着し、すがったり、ダメな人間だと刷り込んだり、自立を阻む。母親との狭い世界しか知らない周平は、学校に通えず、社会から孤立していく。成長した周平は、母親にそそのかされて、大変な事件を起こすー。
〇「ダメ」な人間のリアルさ
大森立嗣監督の新作「MOTHER マザー」は、実際にあった少年による祖父母の殺害事件をモチーフにした物語だという。
重い映画だ。主人公の秋子は、路上生活、子どものネグレクト、男関係、お金の無心と、ありとあらゆるダメな行動をとり、子どもを追い込んでいく「毒親」。長澤まさみさんが美しいからこそ、感情の爆発や、魂が抜けたような無気力な表情に、背筋が凍った。
恋人役の阿部サダヲさんも「クズ男」を熱演しており、耳につく金切り声で、揺さぶりをかけてくる。こうした社会の闇を描く物語は、登場人物の設定が不自然な場合もあるが、二人のキャラは、「こういう不安定な人っている」と思わされるリアルさだ。
〇コロナ禍で母親たちは
作品のサンプルDVDは、新型コロナウイルスの影響で3か月の休校になり、子ども中心の生活で、しばらくは見ることができなかった。ショッキングな内容だし、パソコンに向かおうにも細切れの時間しか取れない。6月に子どもが分散登校を経て学校に行き始め、「見なければ」と思った。
辛いニュースの多い中、現実を忘れる娯楽作品を見たいところだが、マザーのあらすじが、心にひっかかっていた。コロナ禍の制限が多い子育てで、ギリギリの精神状態になった母親は多く、社会から孤立していく秋子の背景に、共通点を感じた。
自分も含め、多くの親が、張りつめた社会で行き場をなくし、家庭という密室で過ごした。家族の絆や夫婦の分担が深まった家庭もあるようだが、SNSや報道では、母親の悲鳴があふれた。
まずいきなりの「休校ショック」で、子どもの居場所や三食をどうするか悩んだ。24時間・365日、命を預かる母親としては、子どもの健康に責任がある。
事件も起きた。子どもだけで留守番中に、強盗が入ったり、事故にあったり。保育園に預けられなくなり、依頼したシッターがわいせつ容疑で逮捕された。
エッセンシャルワーカーは、子どもを留守番させて出勤しているのに、感染リスクが高いからと差別されたという。
平時でも不安定になりがちな妊産婦のケアも、できなくなった。入院中の面会不可、両親学級の中止。対面の交流がしづらい現状で、赤ちゃん連れの母親が孤立しがちだ。
特に課題がないかに見える一般の家庭でも、家事・育児を主に担う親が追い詰められた。「家政婦、教師、看護師、在宅ワーカー…いったい一人何役をやればいいの?」「子どもの勉強を見られない」「学校でオンライン教育をしてほしい」と訴える家庭も増え、学習の格差が大きくなっていった。
〇虐待・望まない妊娠増の報道も
密を避けるため、公園は封鎖され、商業施設や習い事も休業。マジメな親は、子どもの勉強を見て、散歩に連れ出し、努力し続けた。限界を超えた親は、子どもたちを外に放っておくか、YouTube視聴やゲームをさせていた。
以前なら、子どもの活動の場に集まるほか、何気なく近所を歩いているだけでも、親同士でちょっとしたおしゃべりができた。コロナ禍では人と顔を合わせて話す機会がなくなり、オープンエアな居場所を探し回った。
閉鎖空間で、虐待や、家出して望まない妊娠をした子の増加、子どものネット依存も報道された。
現代の親たちは、保育や学校・習い事やサークル活動が機能しない中で子育てするのがいかに難しいか、浮き彫りになった。もともと核家族化が進んでいることに加え、安全な遊び場所は少ない。
コロナの感染リスクを考慮して高齢の祖父母には頼めず、在宅ワークにより、夫婦間の意識や家事・育児の負担の差がはっきりして、「コロナ離婚」という言葉も見受けられた。
ある程度の日常が戻った6~7月の今、3か月の休校と自粛生活の疲れがどっと出て、燃え尽き状態になり、心のリハビリが終わっていない親もいる。その疲れた表情と、「家族全員が狭い家にいて、大変だった」という言葉が、非常時を生きたことを表している。大げさでなく、子どもの命を守るため、身を削った母親はたくさんいるのだ。
〇自分には関係のない事件なのか?
筆者は、ワンオペ育児や、産後の会社勤めにつまずいた経験がある。孤独な子育てが心を凍らせていくこと、多様なセイフティネットの必要性について、折に触れ記事を出してきた。コロナ禍でもギリギリの現実を取材し、当事者でもある筆者にとって、社会から孤立していく秋子の物語は「善良な一般市民には、関係のないできごと」とは思えなかった。
方向性は間違っていたが、秋子もまた、子どもを守るために必死だったのかもしれない。
息子の周平は、児童相談所のスタッフ(夏帆)に勧められ、秋子に「学校に行きたい」と訴える。周平を手元におきたい気持ちからか、社会とのつながりを壊して支配する秋子。
なぜ福祉に頼らないの? 子どもだけ、学校に行かせればよかった。ゆがんだ親子関係だったということか。行政に頼ったところで、嫌な思いはするだろうけど…。
路上生活の経験がある人は、社会や身内との関わりを切って、逃げる場合もあると言っていた。秋子も実の親やきょうだいと確執があった。それ以前に、秋子自身に、何らか障害や病気があるのかもー。
物語を見守りながら、実在しない秋子に対して、寄り添おうとした。なぜそういう行動に出るのか思いを巡らせ、何とかできないのかと考えた。
〇わずかな希望を信じたい
物語の結末は、辛いものではあるけれど、母子の不健全な世界に風穴があき、「社会」や別の考え方が介入した。人は簡単には変わらないので、親子関係は修復できないだろう。それでも、孤立させず、セイフティネットにつながる希望はあると信じたい。
コロナ禍により、日常にあった子育ての困難や、困窮家庭の存在があぶり出された。ネガティブな話ばかりでなく、新しい工夫や支援が生まれ、オンラインを活用した教育やコミュニティ活動、心のつながり作りに挑戦する人たちがいる。
現実に追い付いてはいないけれど、お弁当や食材配布、当事者同士の支援も始まった。今後は、「子育てに、困難や孤独を感じる人」はだれでも、弱音を吐き、つながれるようになってほしい。
コミュニティ活動でも、個人的な関係でも、学校や公共施設でも。自分の感覚で、信じられそうと思ったら、話してみて。平時の小さな小さなつながりが、非常時や追い詰められた時、孤独な世界から帰ってくるきっかけになるかもしれない。