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ITの最先端サンフランシスコで大人気のドーナツ店 経営者は日本人女性

ZAHOMURAドキュメンタリー制作チーム

サンフランシスコは、世界中から働き盛りの若者が集まる米国有数の大都市だ。テック企業が多く、LGBTQや環境運動にも当たり前のように寛容だ。そのサンフランシスコに行列の絶えない人気ドーナツ店がある。「Bob’s Donuts(ボブズ・ドーナツ)」。経営するのは、日本で生まれ育ったアヤ・アンさんだ。1964年創業の店を2001年に引き継ぎ、20年余りで市内有数の有名店に育てあげた。時代の最先端を走るこの街で、英語も十分に話せなかった主婦が「名物オーナー」になれたのはどうしてか。その秘密を探った。

●深夜のカウンターに立つ「みんなの母親」
ボブズ・ドーナツはサンフランシスコの金融街から西へ2キロほど向かったポークストリートにある。ポークストリートは1950年代から80年代までLGBTQの中心街として知られ、サンフランシスコで最初の性的少数者による「プライドパレード」も70年にポークストリートで生まれた。

午前零時。ほとんどのレストランが営業を終えたころ、アヤさんは店のカウンターに立つ。サンフランシスコでは午前2時にバーが閉まるが、市内では珍しい24時間営業のボブズ・ドーナツでは、この時間帯が最もにぎやかになる。

「ALL DAY EVERY DAY (一日中 毎日)」と書かれたカウンターで、アヤさんは一人ひとりの客にその日の出来事や近況を話しながら、ドーナツを売っていく。肩を寄せ合うカップルや学生が、吸い込まれるように店にやってくる。時には娼婦(しょうふ)と警察官が同じ列に並んでいたりする。普通では見られない光景がそこには広がる。

店の前にホームレスがいれば、「この人の分を買うから」と、ドーナツとホットコーヒーを買って渡す客もいる。祭りのようなにぎやかさが絶えないこの場では、アヤさんはみんなの母親のような存在だ。

「両親ともコミュニケーションが大切な仕事だったので、それが遺伝したのかもしれないんです」

行列ができる理由のひとつは、ドーナツの種類の豊富さと新作づくりにある。一緒に働く従業員のアイデアを積極的に取り入れて、商品作りや企画に生かしている。店の名物となった「ドーナツチャレンジ」も、そうした中で生まれたイベントだ。直径30cmの巨大ドーナツを3分以内に食べられたらグッズをプレゼントする。もともとは、従業員と客が交わした冗談から始まった。

大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツでも、アヤさんのドーナツは大人気だ。ホームで試合があるときは、アヤさんが箱詰めしたドーナツをチームに届けている。関係者の間では「ドーナツが届けられた日はジャイアンツが勝つ」というジンクスが語られるほどだ。

●流れに身を任せ、主婦から経営者に
アヤさんは牧師の父親と看護師の母親のもと、埼玉県で生まれ育った。父親の勧めで19歳の時に米国に留学。大学で知り合った同級生の男性との結婚を機に、そのままアメリカに永住することになった。渡米前は大学卒業後に日本へ帰国するつもりだったが、流れに身を任せることにしたという。3代目オーナーだった義母の他界を機に、従業員のことも思ってアヤさんが店を引き継いだ。

専業主婦からの転身で接客に慣れていなかったこともあり、はじめは順風満帆とはいかなかった。2001年9月の同時多発テロの影響で物価が上がって客足が減ったことで、従業員の給料を維持するために自らの報酬を抑えることもあった。

「仕事は17時間とかでも意外と大丈夫だったんですけど、一番大変だったのは子育てですね。どんな状況であっても子どもと過ごしたいって思うものじゃないですか、母親っていうのは」

仕事にも子育てにも全力を尽くしたいと思う中、自分が中途半端だと感じる日々が続いた。だが、「Quantity(量)じゃなくてQuality(質)だから」と思い直し、子どもたちと過ごせる時間を大切にすることで、娘たちもアヤさんの仕事に理解を示した。

アヤさんが接客に困ったときには列に並んだ客が助けてくれることもあり、アヤさんは店の顔になれた。2人の娘は大学を卒業し、就職。息子は大学卒業を控えている。休みの日には長女のレベッカさんを中心に、店の経営を手伝ってくれる。店を受け継いだ時は3人だった従業員が、今は35人にまで増えた。2022年に3店目を開き、今年は4店目のオープンも控えている。

「いい経営者なんだろうなって思われるんですよ。『ボブズを経営してるの? すごいね』って言われるんですけど、そんなことないんですよね」

●大都市の人々をつなぐ「ドーナツの輪」
ボブズ・ドーナツからポークストリートを1キロ半ほど真っ直ぐ南下したところにTwitterの本社がある。2022年11月に従業員の半数を解雇すると発表した後、本社ビルの1階にあるスーパーや飲食店を訪れる人が少なくなった。ベイエリアに本社を置くMetaも1万1千人以上の解雇を発表。米IT業界では大規模な人員削減が相次いでいる。

サンフランシスコはITイノベーションを続ける先端都市の顔を持つ一方で、約20,000人の市民がホームレスを経験していると言われている。メタバース関連のアプリやサービスの発表会が行われているビルのすぐ近くの広場にホームレスが集まり、店で盗んだ商品を路上で販売している光景もよく見られる。現代社会を反映する格差が厳然と存在し、街への帰属意識を市民全体として共有しにくくなっている。

60年以上ドーナツ一筋のボブズ・ドーナツは、そんな街に暮らす人々に「安らぎ」を提供しているように見える。お腹を満たすドーナツのおいしさだけではなく、アヤさんや従業員との会話、店がかもし出す雰囲気、見知らぬ客との出会いを求めて人が集まる。

アヤさんは、昔から続く人とのつながりや周りの人たちとの支え合いの大切さを強調する。

「誰にでもほっとできる場所が必要だと思うんですよ。そういう場所があってもいいんじゃないですか?」

客の出入りが落ち着いた18時頃、アヤさんとレベッカさんが、50cm四方の箱にドーナツを詰め始めた。売れ残ったドーナツを教会やホームレスの人たちへ寄付しているのだという。ボブズ・ドーナツは、日常生活の中での癒しや安らぎの場として、サンフランシスコの街で大きな役割を果たしている。

「みんなが庶民的に入ってきて、ハッピーになって帰るみたいなね。ドーナツでつながる輪というものも、あるんじゃないですか?」

クレジット

監督・編集:細木敏和
記事:岡村裕太
プロデューサー:岡村裕太 / ゴラン・ザネティ / 井手麻里子(Yahoo! Japan)
撮影監督:細木敏和
撮影:細木敏和 / ゴラン・ザネティ / 岡村裕太
音楽:アンジェラ・シェイ
音響ミキシング:小笠原恭司
監修:金川雄策 / 国分高史
制作:Studio One Film / Burn A Light Productions / New Bricolage Films

ドキュメンタリー制作チーム

東京とサンフランシスコを拠点にドキュメンタリー制作を行なっております。