高梨沙羅のインスタ謝罪から考える アスリートへの「オンライン虐待」とメンタルヘルス
深刻化するネットいじめ、オンライン虐待
高梨沙羅選手が男女混合団体戦で失格となり、泣き崩れる姿や反省と謝罪の自責的な言葉を見ると、心が痛くなる。さらにインスタグラムに投稿された真っ黒な画面から、メンタル面で極度に追い詰められていないか心配だ。ソーシャルメディア(特にTwitter)によるネットいじめ(Online abuse)が、アスリートのメンタルヘルスに与える影響は急速に強まっており、社会を巻き込んだ対策が必要な状況と考える。
トップレベルのアスリートは、ケガなどとは異なる、新たな脅威に直面しなければならなくなっている。ソーシャルメディアでの誹謗中傷や罵倒、悪意のあるキャンペーンだ。Online abuse、すなわち「ネットいじめ」だが、攻撃的な内容や投稿の数からは、「オンライン・バッシング」、いやむしろ素直に訳して「オンライン虐待」という重い用語のほうがいいかもしれない。
匿名で投稿できるTwitterが、誹謗中傷の場となりやすい。ランカスター医科大学の研究では、投稿データをネガティブからポジティブにランク分けして解析したところ、ほぼすべてのアスリートが、パフォーマンスに対する批判や個人的な侮辱など、何らかのレベルの誹謗中傷を受けていることがわかった [1]。
ネットの誹謗中傷がピークに達するのは、この研究によると、以下の2つのパターンだったという。
1.成績が悪かった場合
2.良い成績を収めた場合
(敗れたライバルチームや選手のサポーターからの誹謗中傷)
北京オリンピック、フィギュアスケートのショートプログラムにおいて、羽生結弦選手の前を滑ったロシア選手への殺害予告なども、その類いだろう。
しかしさらに深刻な問題は、スポーツパフォーマンスとは関係のない、アスリートの私生活、ましては家族や友人をターゲットにしたコメントも増えてくることだ。高梨選手も、普通の若い女性であれば当たり前のメイクアップが、バッシングされたという経緯もある。また、自分の子どもに向けられた誹謗中傷を体験したアスリートもいるようだ。事態は深刻であり、アスリート個人で対処できる範囲を超えているケースもあるだろう。
ソーシャルメディアが加速させるアスリートのメンタルヘルス問題
2021年にテニスの大坂なおみ選手がメンタルヘルスの重要性を訴えたことで、アスリートのメンタルヘルスの問題が注目を集めるようになった。心身ともに元気で快活であると世間からは思われているトップアスリートも、抑うつや不安、睡眠障害などメンタルヘルスの問題は、一般人口と同じくらい、あるいはそれ以上の割合であることを示すメタ解析や調査研究もある [2]。
オリンピックやプロ選手から学生・社会人選手までレベルを問わず、アスリートのメンタルヘルスの問題は以前から存在していた。1964年東京オリンピックでマラソン銅メダルを獲得した円谷幸吉選手の自殺は、象徴的な事件である。
わたしも東京2020において、選手村ポリクリニックのメンタルヘルスサービスを担当したが、参加諸外国から不眠や薬剤管理など精神科領域の相談だけでなく、心理相談のニーズも多かった [3]。心理スタッフによるサポートを充実させられなかったことは、改善されるべきと反省している。
アスリートのメンタルヘルス不調は、多岐にわたる。過度なトレーニングによるオーバートレーニング、体重管理が必要な競技に見られる摂食障害、注意欠如・多動症(ADHD)の服薬治療とドーピング問題、など。指導者や選手間での人間関係の悩み、ハラスメントからの心身不調も少なくない。
これに、アスリート特有の完璧主義、1/100の失敗も受け入れがたいゼロ百思考も、メンタル不調と親和性が高い。コロナ禍による活動制限、競技機会の減少による悪影響も、最近では目につく。
競技試合でのプレッシャーや難しい人間関係、ハードな練習・試合スケジュールといった、古典的なストレッサーがこれまでは主な要因だった。しかし最近では、ソーシャルメディアによるストレスの影響が、急速に強くなっている印象を持つ。
わたしが携わっている学生アスリートの心理相談でも、ソーシャルメディアが直接的にも間接的にも、ネガティブに関係しているケースが多い。レベルが高くなればなるほど、ソーシャルメディアによるストレス強度は高まり、モチベーションの低下など、心身のバランスを崩しやすくなる。
ソーシャルメディア対策の指導、投稿スクリーニングの必要性
アスリート個人まかせにするのは、ムリな話になってきている。さまざまな団体が、ソーシャルメディアとアスリートのメンタルヘルスの問題に対処するために、行動を起こし始めている。
サッカーでは、2021年4月に多くのクラブと選手が、4日間のソーシャルメディア・ボイコットを行った。ソーシャルメディア各社に、ネットいじめへの取り組みを強化し、予防策を講じるとともに、説明責任と結果をより明確にすることを要求するためだ。
リバプールFCは、ネット上の誹謗中傷に対処するために、専門の心理師を雇用した。アスリートへの心理サポートは、ネットいじめに関する知識がなければ、務まらなくなる時代が来ているようだ。
選手個人の取り組みも、もちろん大切だ。アスリート、特に今後活躍が期待されるスター選手は、ソーシャルメディアがもたらす課題やオンラインプロフィールの管理方法について、専門的なトレーニングを受けたほうがいいと考える。
海外では、たとえばオーストラリア・プロサッカー選手協会は、オンラインでの対立を回避する方法や、コンテンツの誤報や誤解を招く可能性について、指針やアドバイスを提供している。
ファンや一般人ができること:オンラインでのあたたかい応援
専門家や組織でしか、誹謗中傷に悩むアスリートをサポートできないわけではない。わたしたちでも、できることはある。オンラインで、応援することである。
イングランドがEuro 2020決勝でイタリアに敗れた後、PKを外した選手に、人種差別的な誹謗中傷がネット上に殺到し、11名が逮捕される事件となった。しかしその反動として、ネットにおいてもサッカースタジアムにおいても、これらの選手への応援がより熱烈に行われるようになったという(England Football)。
ソーシャルメディアは、アスリートに素晴らしい機会を提供していることも事実である。アスリートは、従来のメディアを通じてではなく、ダイレクトに自己表現を行うことができる。膨大な数のフォロワーを集めれば、有利なスポンサーシップの機会を得るチャンスも増えるだろう。ソーシャルメディアは、草の根スポーツとのつながりを促し、若いアスリートを刺激することもできる。
アスリートは、ネットいじめやオンラインバッシングを減らし、ネガティブな影響を軽くするためのサポートを求めている。オンライン、ソーシャルメディアによって、選手は自己表現をやりやすくなり、ファンとの良い関わりももてるようになってきている。
高梨選手へは、ねぎらいやいたわり、敢闘を讃えるコメントが次々と寄せられているという。こういったソーシャルメディアのポジティブな働きは、心理専門家によるカウンセリングサポートとは、別物であろう。不当な誹謗中傷には、異を唱え、応援していくことも、わたしたちにとって、ますます必要になっていくと考える。
[1] Meggs J & Ahmed W. (2021) Applying cognitive analytic theory to understand the abuse of athletes on Twitter, Managing Sport and Leisure, https://doi.org/ 10.1080/23750472.2021.2004210
[2] Purcell R, Gwyther K, Rice SM. (2019) Mental Health In Elite Athletes: Increased Awareness Requires An Early Intervention Framework to Respond to Athlete Needs. Sports Med - Open 5, 46. https://doi.org/10.1186/s40798-019-0220-1
[3] Nishida M, Takagi S, Yamaguchi T, Yamamoto H, Yoshino S, Yagishita K, and Akama T. (2022) Mental health services at the Tokyo 2020 Olympic and Paralympic Games during the COVID-19 pandemic. Sports Psychiatry. 0. 0. https://doi.org/10.1024/2674-0052/a000005