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<北朝鮮>政治犯収容所の中の日本と「在日」 映画・トゥルーノースが描いたリアル

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
北朝鮮の収容所を描いた『トゥルーノース』 (C) 2020 sumimasen

◆赤とんぼは収容所で唄われたか?

在日コリアン4世の清水ハン栄治監督が作った「トウルーノース」は、北朝鮮の政治犯収容所の内情を描いたアニメーション映画だ。収容所は衛星で空から見た輪郭以外、まったく不可視の施設だ。

その内部をリアルに描くため、清水監督は収容経験のある脱北者と元看守から聞き取り調査を繰り返した。対象には、日本から北朝鮮に渡った在日朝鮮人(以下「在日」)の収容経験者もいた。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か…」

手製の奚琴(ヘグム) という朝鮮の楽器を奏でながら、主人公の妹ミヒが唄う。北朝鮮で、それも収容所の中で日本語の歌? 十分にあり得ることなのである。

◆日本から北朝鮮に渡った人々

今から60余年前、日本から北朝鮮への民族大移動が始まった。1959年12月から25年間で9万3000人余り。在日朝鮮人 とその日本人家族たちだ。主人公ヨハンの父・ヨンジンもその中にいた、というのが作中の設定だ。なぜ日本から北朝鮮に渡ったのだろうか?

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主人公の一家は日本から帰国した在日一家という設定だ。家には日本の親族から送られてきた写真が飾ってある。 『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen
主人公の一家は日本から帰国した在日一家という設定だ。家には日本の親族から送られてきた写真が飾ってある。 『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen

日本がアジア太平洋戦争で敗北すると、35年余りの植民地支配から解放された朝鮮人は、やっと自分たちの国を取り戻して独立できると沸き立った。しかし世界は社会主義陣営と資本主義陣営に分かれて対立する冷戦が始まる。1948年、北朝鮮と韓国という二つの国が樹立され、2年後には戦争が起こって朝鮮半島の分断は決定的になってしまった。この時、日本には植民地時代から移り住んでいた朝鮮人が約55万人いたが、北朝鮮を支持する勢力と韓国を支持する勢力が生まれ、「在日」の間にも南北分断が形成されてしまう。

「在日」は、日本社会でひどい差別にさらされていた。健康保険、年金にも加入できず、就職もままならない。大半が不安定で貧しい暮らしを強いられ将来に展望が見えない状況だった。その時、北朝鮮の金日成首相(当時)は祖国への帰国を呼びかける。当時は自民党岸信介政権。北朝鮮への帰国を、「在日」を厄介払いするための「渡りに船」としたい勢力があった。

一方、社会党や共産党などは人道問題だとして「在日」の帰国を支援、労働組合やマスコミもこぞって賛同した。在日朝鮮総連によって「北朝鮮は地上の楽園」「急発展する社会主義祖国」というキャンペーンも行われた。このように、日本社会がこぞって背中を押すことで、10万人近い「在日」と日本人家族が北朝鮮に向かう帰国船に乗ったのだった。

1961年4月28日に新潟から北朝鮮に出港する帰国船。「第56次 朝鮮民主主義人民共和国 大阪帰国者集団」とある。乗船した1145人中73人は日本国籍者だった。在日の日本人配偶者と子供と思われる。故・梁永厚さん提供
1961年4月28日に新潟から北朝鮮に出港する帰国船。「第56次 朝鮮民主主義人民共和国 大阪帰国者集団」とある。乗船した1145人中73人は日本国籍者だった。在日の日本人配偶者と子供と思われる。故・梁永厚さん提供

「在日」帰国者の大半は地方都市に配置されたが、ヨハン一家のように首都平壌に配置された人も少なくなかった。だが、日本で受けた宣伝とは異なり、実際の北朝鮮はあらゆる物資が欠乏する貧しく自由のない国だった。帰国者たちは日本に残った親族からの援助にすがることになる。

平壌の小奇麗なアパートで裕福な暮しをしているヨハンの家には、日本から送られてきた写真が飾られていた。日本から仕送りがあることを想像させる。一方で、「在日」帰国者は、資本主義の自由な社会から来た異端者、日本や韓国と内通する可能性がある要監視対象とみなされ、北朝鮮でも疎外されていく。

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◆夜中の突然の連行

ヨハンの父親ヨンジンは出勤したきり家に戻ってこない。心配して帰りを待つ妻と二人の子供は、夜中に踏み込んできた保衛部員(秘密警察)によって連行されてしまう。理由も告げられず、逮捕令状もなく。

これには多くの証言がある。私が取材したある脱北帰国者の女性は、70年代に二人の兄が出勤したまま家に戻って来なかった。80年代には二人の息子も出張に出たきり行方が分からなくなった。なぜ、どこに連行されたのか、必死になって調べても当局は何も教えてくれない。彼女は逮捕されることはなかったが、都市から僻地の農村に追放された。

父と祖父母が京都から北朝鮮に渡り平壌で生まれた姜哲煥(カン・チョルファン) さんは、1977年に祖父が行方不明になった後、夜中に家宅捜索に来た保衛部によって祖母、父、叔父、妹と共に収容所に連行された。姜さんはこの時9歳、その後の収容生活は10年に及んだ。

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『トゥルーノース』の一場面。収容所内の痩せた子供たち。 (C) 2020 sumimasen
『トゥルーノース』の一場面。収容所内の痩せた子供たち。 (C) 2020 sumimasen

◆二種類の政治犯

 そもそも北朝鮮において政治犯とは何のことを言うのだろうか?

北朝鮮には二種類の政治犯が存在する。ひとつは刑法によって罰せれた人たちだ。北朝鮮の刑法には「反国家及び反民族犯罪」の章があり、国家転覆陰謀、テロ、反国家宣伝煽動、祖国反逆、民族反逆、間諜(スパイ) などの項目で罪刑を定めている。

例えば「反国家的目的で宣伝、煽動行為をした者は5年以下の労働教化刑に処する。情状が特に重い場合は、5年以上10年以下の労働強化刑に処する」とある(2015年改訂刑法の62条)。政府の政策を批判したり、異見を書いたビラを撒いたり、落書きをしたりすれば、これは刑法に基づいて処罰され「法定政治犯」となり得るわけだ。この場合は教化所(刑務所)に送られる。管轄するのは社会安全省(警察)だ。これは他国にもある。

◆指導者への忠誠と服従を強いるシステム

そして、もう一つの政治犯が北朝鮮に特有の超法規の「掟」によって裁かれた人たちである。この人たちを拘禁する施設が、ヨハン一家が入れられた「管理所」、いわゆる強制収容所だ。管轄するのは国家保衛省だ(警察管轄の「管理所」が一カ所あるとされる)。

2014年に刊行された国連の北朝鮮人権調査委員会の報告書は「管理所」について、「8万~12万人が収容され、過去55年間に数十万人が死亡したと推定される」と記している。「管理所」は北朝鮮各地に点在していたが、統廃合進んで現在では推定4カ所。中国に近い地区のものは、逃亡する怖れがあるという理由で閉鎖されたようだ。

法に定めがない「管理所」送りは「革命化」と呼ばれる。北朝鮮には全国民、全組織を唯一の指導者(金日成、金正日、金正恩)に絶対忠誠、絶対服従させるシステム=「掟」がある。これを「唯一的領導体系」という。この「掟」に反したとみなされると「革命化」の対象になるのだ。

「在日」帰国者の場合、日本にいた時の調子で、つい暮らしに対する不満を口にしたり、指導者を揶揄したりして「革命化」対象になることが多かったという。「人前で金日成の肖像画を指さして『あんただけは、よう肥えてるなあ』と言って連れて行かれた帰国者がいた」と証言した脱北者がいた。まるで不敬罪だ。

労働党や人民軍の高級幹部たちも「掟」から自由ではない。指導者に対する忠誠度のチェックを受ける「生活総和」という会議が毎週ある。相互監視はむしろ庶民より厳格で、幹部の方が「革命化」に行かされる比率は高いのではないか。

法の定めがないということは、恣意的な運用、悪用が横行することを意味する。日本に住む脱北者の男性は次のように言う。

 

「幹部たちがライバル関係にある人間を追い落とすために『指導者の指示通りに行動していない』と告発したり、事件をでっち上げたりすることは茶飯事だ。また党や保衛省の幹部連中が、『在日』帰国者が日本から持ち帰った財産を狙って罪を捏造し、一家全員を逮捕して収容所に送り、財産を没収するという事件が70-80年代によくあった」

「管理所」には刑期の定めがない。出所できる可能性がある革命化区域と、一生出られない完全統制区域に分けられている。

収容所内には様々な生産施設があり、管理機関の利権になっている。主人公のヨハンは炭坑で重労働を強いられる。『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen
収容所内には様々な生産施設があり、管理機関の利権になっている。主人公のヨハンは炭坑で重労働を強いられる。『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen

◆収容所は村であり産業施設

意外かもしれないが、「管理所」は牢屋ではない。社会と隔離するため、山に囲まれた広大な敷地に設置されており、何千、何万人が住む一つの街である。多くの場合、収容者は粗末でも家をあてがわれ、家族と同居することもできる。いくつもの集落に分かれ学校もある。「管理所」によっては結婚や出産を許される所もあるが、そこで生まれて一生を過ごす人もいる。

そして「管理所」は巨大な産業施設でもある。農地、炭坑、鉱山やセメント工場が運営されていたという報告が多数ある。私が調査したある「管理所」では、中国への輸出用のカツラを作らせていた。生産物や収益は国に納められるが、管理する国家保衛省や社会安全省の利権になっている。この構造は教化所でも同じだ。ゆえに、生産継続のために一定の人員の確保が必要になる。教化所の労働力を補充するために逮捕者のノルマが地方の警察に課されることもある。

日本からの帰国者2世の主人公ヨハンと妹のミヒは収容者たちをいたわり、死者の弔いもしてあげた。『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen
日本からの帰国者2世の主人公ヨハンと妹のミヒは収容者たちをいたわり、死者の弔いもしてあげた。『トゥルーノース』より (C) 2020 sumimasen

◆赤とんぼは収容所で唄われたか

日本から渡った「在日」帰国者たちは、祖国とはいえ、貧しく統制だらけの慣れない暮らしの中で、苦しかったはずの日本を故郷として懐かしんだ。「帰国者同士が集まると日本の歌謡曲や童謡をよく唄ったものです」と大勢の脱北帰国者が口を揃える。

姜哲煥氏など、強制収容所を体験した人たちによれば、そこには帰国者だけが集められた「在日村」があったという。収容所送りになった「在日」には、日本で著名だった音楽家、ボクサー、朝鮮総連の幹部もいた。日本人妻もいた。その総数は少なくとも数千名に及ぶと筆者は見ている。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」

強制収容所の中で、きっと唄われたに違いない。私はそう思っている。

※「トゥルーノース」のパンフレットに書いた解説に加筆修正しました。

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アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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