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右足切断の危機を乗り越え、前進しているタイガー・ウッズ、「光が見えたから。希望が見えたから」

舩越園子ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授
(写真:ロイター/アフロ)

タイガー・ウッズが自身のホスト大会であるヒーロー・ワールドチャレンジ会場で会見に臨み、現在の心境や今後への展望を約40分間にわたって米メディアに語った。

今年2月の交通事故直後、緊急搬送されたロサンゼルス市内の病院ではウッズの右足切断が検討されていたという。

「天国から誰かが助けてくれたことに、とても感謝している。それがなかったら、今、僕はこうしてここに居ることもできなかったし、義足無しでは歩くこともできなくなっていた」

しかし、ウッズの右足も、ウッズ自身も、今、しっかりと、ここにある。

「しばらくの間は暗闇にいた。でも再び、前へ進むことができた」

会見で見せたウッズの明るい笑顔は、希望に溢れた笑顔だった。

世界を震撼させたあの交通事故が起こったのは、今年2月23日だった。ウッズ自身が大会ホストを務めたジェネシス招待が終了した翌々日、ウッズはテレビ収録などのため、ロサンゼルス郊外のホテルに滞在しており、そのホテルから「どこか」へ向かう途上で、道路脇のブッシュへ猛スピードのまま突っ込み、転落。

当初は命が危ぶまれ、命に別状なしと報じられてからは、重傷を負った右足の回復が案じられ、ゴルファーとしての再起ができるのだろうかと、世界中のファンが心配していた。

そんな中、事故後に初めて私たちが見たウッズの姿は、ツイッターで発信された写真の中のウッズだった。松葉杖で体を支え、笑顔のウッズ。傍らには愛犬もいた。

実を言えば、あの松葉杖姿は、すでに大きな前進を遂げた後だったのだ。

緊急搬送先の医療チームの尽力と「天国からの助け」のおかげで、ウッズの右足は、奇跡的に切断の危機を回避することができた。

その後のウッズは、ロサンゼルス市内の別の病院へ転院する際も、そこを退院してフロリダ州内の自宅に戻る際も、ずっと車椅子に座っていた。

フロリダに戻り、少しずつ回復。やがて車椅子から体を起こし、松葉杖を使えば立てるようになり、動けるようになった。

あの写真の笑顔は、命も、右足も、「ある」ことに感謝し、喜ぶ笑顔だったのだ。

事故から9か月を経た11月22日、ウッズはスイング動画をツイッターで発信。そこには「前進している」という一言が添えられていたが、まさにウッズはこの9か月、必死の努力でさまざまな前進を続けてきた。

今後、ツアーへのフル参戦は「もう決してない」と言い切った。しかし、フルではなく、「数試合を選んで出場することはできる」と、すでに心を決めている。

「再びゴルフができることがうれしい」と言いつつも、ウッズはそれ以前に命と右足が今もそこに「ある」ことを喜んでいる。

「再び前進してきた。なぜなら光が見えたから。希望が見えたから」

そんなウッズの笑顔に、世界中が勇気と力をもらったのではないだろうか。

ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学・客員教授

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年に独立。1993年渡米後、25年間、在米ゴルフジャーナリストとして米ツアー選手と直に接しながら米国ゴルフの魅力を発信。選手のヒューマンな一面を独特の表現で綴る“舩越節”には根強いファンが多い。2019年からは日本が拠点。ゴルフジャーナリストとして多数の連載を持ち、執筆を続ける一方で、テレビ、ラジオ、講演、武蔵丘短期大学客員教授など活動範囲を広げている。ラジオ番組「舩越園子のゴルフコラム」四国放送、栃木放送、新潟放送、ラジオ福島、熊本放送でネット中。GTPA(日本ゴルフトーナメント振興協会)理事。著書訳書多数。

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