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「差別」とは証拠によって合理的な説明ができないこと

橘玲作家

すこし前のことですが、スタジオジブリのアニメ映画『思い出のマーニー』などの元プロデューサーが、英紙ガーディアンで女性差別的な発言をしたとして問題となり、ネット上で謝罪する騒ぎが起きました。

ジブリアニメはこれまですべて男性監督でしたが、ガーディアンの記者から、「今後、女性監督を起用することはあるのか」と問われ、元プロデューサーは、「女性は現実的な傾向があり、日々の生活をやりくりするのに長けています。一方、男性は理想主義的な傾向があります。ファンタジー映画には、そうした理想主義的なアプローチが必要です」として、「女性監督にファンタジー映画をつくれない」ととられても仕方のない発言をしています。

そもそも元プロデューサーは取材時点でジブリを退社しており、会社の方針についてこたえる立場にありませんでした。しかしそれ以上に残念なのは、アカデミー賞にノミネートされた男優・女優がすべて白人だったり、これまでアカデミー賞監督賞を受賞した女性が1人しかいないことなどで、映画産業の人種差別、性差別に注目が集まっている状況に無頓着だったことでしょう。「政治的に正しい」回答(私はもうジブリの社員ではありませんが、今後は女性監督が活躍することを期待しています)をしていれば、それですんだ話です。

もうひとつ残念なのは、謝罪の文面を読むかぎり、「男と女はちがう」と述べたことを謝罪しているように思われることです。かつてのフェミニズムは、「男女に生殖器官以外のちがいはなく、性差はすべて文化的なものだ」と主張しましたが、こうした硬直したイデオロギーを支持するひとはいまでは少数派です。

幼い子どもにクレヨンと白い紙を渡して好きな絵を描かせると、女の子は赤、オレンジ、緑といった「暖かい色」で人物を描こうとし、男の子は黒や灰色といった「冷たい色」を使って、ぶつかろうとするロケット、別の車に衝突しようとする車などを描きなぐります。これは親や教師が「男の子らしい」あるいは「女の子らしい」絵を描くよう指導したからではなく、男と女では網膜と視神経に構造的なちがいがあり、色の使い方や描き方、描く対象の好みが分かれるからです。

幼児の遊びを観察すると、生後6カ月でさえ、男児は集団での遊びを好み、女児は特定の相手とペアで遊ぼうとします。さらに、言語中枢とされる脳の左半球に卒中を起こした男性は言語性IQが平均で20%低下しますが、女性は9%しか低下しません。これは男性の脳の機能が細分化されていて、言語を使う際に右脳をほとんど利用しないのに対し、女性の脳では機能が広範囲に分布しており、言語のために脳の両方の半球を使っているからです。

こうした主張がどれも「差別」でないのは証拠(エビデンス)があるからです。逆にいえば、差別発言とは「合理的に説明できない(アカウンタブルでない)」主張のことです。

「男と女はちがう」と指摘することが差別になるわけではありません。問題は、個人の主観的な思い込みやアニメ業界の常識で、「女にはファンタジーは向かない」と決めつけたことにあります。

このことがわからないと、「差別」との批判を抑圧ととらえ、過剰に自己規制するか、感情的に反発する不毛なことになってしまうのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月8日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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