登山家・栗城史多の死から5年。「凍傷は雪に手を突っ込んだ自作自演」という噂は本当か。
2018年5月21日、登山家・栗城史多は35歳の若さでこの世を去った。8回目エベレスト挑戦中での事故だった。死因は下山中におきた滑落時の衝撃による鈍的外傷と診断されている。
私は、2015年に栗城本人から映画を依頼され、2019年に栗城事務所・小林幸子マネージャーと父・敏雄さんと話し合って同意を得て、栗城の映画製作をしている。現在、彼が撮りためた膨大な映像素材の確認と整理も終わり、関係者インタビューもある程度集まった。
死後も議論は続いている
人間としてすごい魅力があったんだろうな」
生前、栗城を「3.5流の登山家」とテレビ番組で言い放った登山家・服部文祥は、今年行った映画のインタビュー終了後に、こう呟いた。今も彼のために動く人がいるのかと。
栗城は、賛否両論ある登山家であった。死後も彼に関する動画や本が出されている。ほとんどは批判的な論調だ。5周忌を迎えた今、追悼の意味を込め、映画の取材で得た情報やインタビューを元に、新しく生まれた噂を検証してみる。
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栗城の凍傷はパフォーマンス?
栗城は、2012年4回目のエベレスト挑戦中に重度の凍傷となり、指を9本失うこととなる。これに関して、指の凍傷は演出だったという噂がある。前出の服部も聞いていた。
服部文祥:
「指の凍傷はわざとで、パフォーマンスの一部みたいですよって。その噂を聞いた時、なんかちょっと、ストンと腑に落ちた。すげぇことすんな、こいつって。まぁ知らんけど。会ったこともないし」
この噂は本当なのか。どこから生まれたのか。
噂は2020年に生まれた
私は、栗城の生前に「自作自演説」を聞いたことがなかった。あったのは「スマホを触るために指なし手袋を使って凍傷になった」というネットの書き込みぐらいだ。結論から言うと、この新しい噂の出処は、死後に出版された「デス・ゾーン」という本にあったと思われる。問題の箇所を引用する。
本文に登場する森下とは、2010年まで栗城隊スタッフをしていた栗城の北海道時代の先輩だ。おそらくは、この文章が一人歩きし、凍傷は自作自演という噂に変わった。
本文の登場人物に聞く
エベレストのベースキャンプでは、本当にそのような噂があったのかどうか。私は森下に連絡し、自作自演の噂を誰から聞いたのか尋ねた。
「え?そんなこと書いてますか?ちょっと待って下さい」
森下は少し驚き、書かれた部分を読み返した。
「あぁ、これは僕の想像です。高所に22時間も滞在していて、普通ならすぐ下山するのに何をしてたんだ、と思ったことから出た想像です。他の誰かから、雪に指を突っ込んだという情報を聞いたわけではないです」
これで、自作自演説はただの想像であり、現場の情報ではないとわかった。念の為、当時の隊員たちにも聞いてみたが、やはり「そんな話は知らない」と全員が否定した。
指の自撮りもしていない
映像素材からの傍証もあげておく。もしも演出なら、カメラに映すのが自然だ。しかし栗城は一度も指を自撮りしなかった。ヘリで下山する際に、一瞬だけカメラマンに黒ずんだ指を見せるが、すぐに隠している。カメラで映さずして、どういう狙いの演出なのか。
もちろん、高所で酸素が足りず、通常の思考ができなくなった可能性も否定できない。だが、無線のやりとりを聞く限り、寒さや風の強さ、自身の状態を理解していた。参考として、凍傷時の栗城の行動を記す。
- 10月17日19:00、キャンプ4(7500m地点)から頂上へ向けてアタック開始。
- 18日3:33に西陵ホーンバインクロワール直下に(8000m付近)到着。「手足が動かない。時間がかかってる」
- 6:30、強風で行動不能となり時間的にも無理と判断し、無線で撤退宣言。
- 8:18、9:07の無線「岩陰に隠れている」
- 9:42の無線「手が凍傷になった」
- 17:30頃、キャンプ4のテントに帰還。そのままステイ。
- 19日夜、救出に来たシェルパたちと共にキャンプ2(6400m地点)へ下山。
- 20日、ヘリが飛ばずキャンプ2にステイ。
- 21日朝、ヘリでキャンプ2からカトマンズの病院へ搬送。
もう一つの、凍傷に関する噂
ついでにもう一つ。「指なし手袋を使ったから凍傷になった」という噂は、栗城本人が生前、ツイッターで否定している。2012年凍傷直前の映像を確認しても、インナーの手袋をしたままで無線しており、10本の指は露出していない。無線以外で誰かに連絡したという話も聞いていない。
噂の検証結果
以上の検証より、私は、凍傷が「栗城の自作自演」と「指なし手袋でスマホを触ったせい」という2つの噂は「嘘」と断定する。凍傷は演出ではなく、登山行動中の判断ミスだ。栗城ならどんな嘘でも許していいとは思わない。
様々な解釈を生む、行動と言動
その上で、森下が抱いた疑念というのは、自然な考え方だった。それぐらい栗城の行動は理解不能だった。栗城と親交のあった国際山岳ガイド・近藤謙司は、凍傷のニュースを聞いた時の心境を静かに語った。
近藤謙司:
「ちょっと悲しくなりましたね。多分、分かってたんじゃないかなって…。
凍傷になるのを覚悟していて、行っちゃったんじゃないかなって…。
栗城は、引き返すだけの知識も体力もあったと思うんです。
指を守ることができたんじゃないかなって…。
本当に指を失っちゃうまで…この子は、山に、病に取りつかれちゃってる。
悲しかったですね…」
後日、近藤は栗城に凍傷の名医を紹介した。「1mmでも指を伸ばして欲しい」そんな近藤の思いをよそに、栗城は名医の治療をやめて、インドへ旅立ち、指の謎治療を始めた。
馬を水辺に連れて行けても、飲ませることはできない
栗城は行動と発言がわかりにくい。単独と言うが、割と近くにシェルパや撮影スタッフがいる。わざわざ難しい方法で、登頂者が増え続けるエベレストを登って、8度も失敗する。普通の人なら何かを変える、もしくは諦める。しかし、彼はやり続けた。
「なぜ同じやり方で登り続ける?」
この問いかけに対し、彼は理解できる言葉で答えなかった。
「批判する人はそこを登ったことないでしょう?無理だと言われる『否定の壁』を登ることで、すべての挑戦者を称える世の中を作りたいんです」
意味がわからない。あなたが難易度の高いエベレストを登ることで、なぜ世の中が変わる?普通の人なら呆れて、無視する。しかし、栗城の行動と発言は、一部の人たちの心を揺さぶり、様々な解釈や噂を生み出した。「金儲け」「売名行為」「スポンサーのため」「演出だ」。その解釈は、果たして本当に栗城の本音なのか?もう直接聞くことはできない。
現在、私は栗城の言ったこと、やったことの意味を映画で解釈しようとしている。未だ結論はついていない。ただし、一つだけ言えることがある。
彼は、エベレストを登り続けた。
不自由があるから自由になれる
最後に、映画のインタビューで印象的だった言葉を紹介する。登山家の服部文祥は2つの視点を持っているように感じた。登山の歴史を守る文筆家と、自由を大切にする登山家としての視点。この2つの視点が時折、対立した。許さないはずの栗城を応援していたと。
服部文祥:
「本当のことを言うと、栗城くんの何が悪いのかって、ないですよ。登山は自由。
我々登山界が築き上げた単独無酸素という登山文化の盗用以外に、栗城君が悪かったことってないです。
登山は、命を懸けて挑むことまで許される「自由」がある。その「自由」さ加減を栗城くんが証明してくれたらすごいなと思っていた。
正直、我々はニートの登山家が無酸素でエベレストを登れるわけないと思っている。そんなレッテルをひっくり返して欲しかった。ジャイアント・キリングして欲しかった。でもそんなに山は甘くなかった」
服部のツイッターは栗城の命日になると少しフォロワーが増える。それで「ああ今日は栗城が死んだ日か」と気づくんだと。
死から5年が過ぎた今も、栗城は人を動かし続けていた。
(本文中敬称略)
忙しい中、インタビューに応じていただいけた関係者のみなさまには感謝申し上げます。もう少し撮影と編集を続けて、映画は今年中に完成予定です。
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文中のエベレスト写真の引用で間違いありました。訂正してお詫びいたします