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安倍政権が「リベラル」になる理由

橘玲作家

安倍内閣が10%への消費税増税を再延期して参院選に臨むのではないかとの憶測が盛んです。現時点ではどうなるかはわかりませんが、安倍首相が憲法改正可能な議席を確保しようと思うのなら、この戦略は合理的です。

20年以上にわたって続いた中国の高度経済成長が減速をはじめ、今年に入ってから世界経済が動揺しています。鳴り物入りではじまったリフレ政策も、日銀がどれほど金融緩和してもインフレは起きず、マイナス金利という奇策に頼らざるを得なくなりました。

こうした状況を見て安倍首相は、韓国とのあいだで慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」に乗り出し、年頭の施政方針演説では「同一労働同一賃金」の法制化を目指すと宣言しました。

慰安婦問題での妥協は保守派・右翼に大きな不満を残しましたが、安倍首相に対抗する右派の政治勢力が存在しない以上、なんの脅威にもなりません。国際社会では彼らの主張は「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ団体と同一視れており、政治的資源というより厄介者になった、ということもあるでしょう。しかし決定的なのは、これ以上右にウイングを伸ばしても支持者が増えないことです。

安倍政権にとって肥沃な票田は、中道から左にあります。本来はこの層は野党第一党である民主党の地盤でなければならないのですが、政権担当時の失敗で有権者から見放され、その後も漂流をつづけたあげく、維新の党と合流して民進党になったものの支持率は一向に回復しません。そうであれば、安倍政権の最適戦略が中道左派(リベラル)に向けてウイングを伸ばすことなのは明らかです。

これまで繰り返し述べてきたように、「同一労働同一賃金」は労働制度の話ではなく、労働者を「正規」「非正規」という身分で差別してはならないという人権問題です。ところが日本の「リベラル」勢力は、正社員の既得権を守るための組織である連合の支援を受けてきたため、この「身分差別」に見て見ぬ振りをつづけてきました。その偽善を、狡猾な安倍政権に利用されるのは必然だったのです。

しかしこれは、日本社会にとって悪い話ではありません。

日本経済にとっての最大の問題は、格差の拡大ではなく、国民のゆたかさを計る指標である一人あたりGDPが1990年代までのトップ5から22位(2014年)まで凋落してしまったことです。アジアでもシンガポール、香港の後塵を拝し、2020年には韓国に抜かれるという推計もあります。縮小するパイを無理に分配しようとすれば、社会の軋轢が強まるは当たり前です。

日本が貧しくなった理由は、労働者一人あたりの生産性がOECD34カ国中22位、先進7カ国のなかでは最下位(2013年)と際立って低いからです。日本人は自分たちを働き者だと思っていますが、その“稼ぎ”はアメリカの労働者の6割ちょっとしかないのです。

日本人を苦しめる長時間労働は、ゆたかさにはまったく結びつきません。その理由は日本の労働者が愚かでだらしがないからではなく、働き方の仕組みが間違っているからです。

安倍首相が目指すのは「日本を世界に誇れる国にする」ことだそうです。それならなおのこと、この恥ずかしい前近代的な「差別制度」を廃止して、すべての労働者が平等に働ける「差別のない明るい社会」を実現してほしいものです。

『週刊プレイボーイ』2016年4月11日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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