このご時世に出店しまくっているアパホテル、コロナ禍で実際どうなのか?
コロナ禍でも開業相次ぐアパホテル
10月から東京発着も対象となることで歓迎の声も出ているGoTo。宿泊業界へ計り知れない影響を及ぼしたコロナ禍において一筋の光にも見えるが、感染が再現する可能性も指摘されており、小規模分散型の旅行をはじめ引き続き慎重な対応が求められる。
コロナ禍において宿泊業における事業停止、開発・建設中止、開業延期など相次いでいるのは周知のとおりであるが、このような状況下にあって新規開業を続けているのがアパホテルだ。2020年8月7日にはアパホテル&リゾート〈両国駅タワー〉が開業、地上31階総客室数1111室とアパホテルとして都内最大の規模となった。今秋から冬にかけても、名古屋新幹線口南、東新宿歌舞伎町タワー、秋葉原駅北の開業とコロナ禍においても攻めの姿勢を崩さない。
日本最大規模といわれるアパホテル。先日、テレビに出演していた元谷芙美子社長が「現在659ホテル」と話していたが、正確に表現するとアパホテルは現在300ホテル69385室(建築・設計中、海外、FCも含む ※2020年8月19日現在)で、アパ パートナーホテルズが359ホテル32210室という内訳だ。パートナーホテルとは、アパポイントを貯めることができる提携ホテルで、一般のアパホテル利用と同様にキャッシュバック等の特典が受けられる。パートナーホテルは「アパが定めた基準を満たしたホテル」とされる。いずれにせよ国内最大規模のホテルチェーンというこは間違いない。
特に東京都心への出店攻勢はすさまじく、都内に75施設(直営ではない施設を入れると77)とされる。一般的に看板はホテルチェーンでも所有はせず運営を行うというスタイルが多い中で、所有という点でもアパホテルの展開は業界でもダントツと言えるだろう。ホテル関連企業の売上高ランキングでも、1位のプリンスホテルズ&リゾーツ2021億円、2位共立メンテナンスの1415億円に続く3位で1008億円となっている(2019年)。
はじまりは1971年
アパグループのはじまりは1971年で、当初は住環境メーカーとして住宅やマンションの分譲を行っていた。ホテル業のスタートは1984年。金沢に第1号店が開業した。アパホテルといえば元谷芙美子社長をイメージするという人もいるだろうが、元谷芙美子社長が就任したのはバブル崩壊と時を同じくする1994年。アパホテルの広告塔として世間の話題をさらった。東京へ進出したのが1997年で山一證券が廃業した年として記憶にあるが、右肩下がりの景気という渦中であった。
その後2001年には札幌へ、2003年には福岡への進出を果たす。筆者が記憶するアパホテルの隆盛を象徴する出来事が幕張プリンスホテルの買収だ。地上50階、高さ180メートルとホテル単体としては日本最高層であり、まさにアパホテルの勢いを感じたが、いずれにせよバブル崩壊後のホテル業界では真似できない戦略を次々と打ち出してきた。
耐震強度不足の発覚
2007年といえば郵政民営化の年として記憶に残っているが、アパホテルにある事件が起きる。アパホテルの所有する京都のホテルが耐震強度を満たしていないことが判明したのだ。これを機に金融機関は借入金の返済を要求、アパホテルは新規ホテル建設用地の全てを“高値で売り切り”借入金を返済した。
ある意味、絶体絶命のピンチといえるが、さらに追い討ちを掛けるようにリーマンショックが。他方、ホテル建設用地を高値で売り切った後の不動産価値大暴落という、ある種アパホテルの先見性を示す出来事でもあった。不動産価格大暴落下で怒濤のごとく全国各地にホテルを建設していくアパホテル。近年でも毎年20棟近くを新規開業しており、都心で言えば駅徒歩3分以内という、アパの言うところの“一等地戦略”も徹底している。孤高のブランドということは間違いないだろう。
アパホテルと景気動向のグラフを重ねると面白いことに気付く。バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災・・・景気が悪くなると開業軒数が増えているのだ。超低金利時代に事業を拡大する経営。景気無視の逆張り経営術とでもいおうか、景気が落ち込むとジャンプアップするアパホテル。コロナ禍での動向も注目だ。
好みが分かれるブランド
ところで、好んでアパホテルをセレクトする人、絶対泊まらないという人・・・他ブランドと比較してもここまではっきり利用者の好みが分かれるブランドは珍しい。評価が分かれるポイントになっているのが、料金を大きく変動させるプライスポリシーや他のビジネスホテルチェーンに比べて狭いといわれる客室面積であろうか。さらに、客室に置かれた元谷代表の著書など思想的な部分という、ホテルの施設や設備、サービスとは関係ない部分もゲストからの評価には見え隠れする。
ハードの統一感とブランディングの課題もある。アパホテルというと、新築の真新しいホテルでロビーはゴージャス、客室も大画面テレビにデュベスタイルのベッドメイク、施設によっては大浴場を擁するなど、いまとなっては宿泊特化型ホテルのスタンダードとなったサービスをいち早く採り入れている。
一方で、地方を中心に古いホテルを買収・リブランドしたアパホテルも見受けられる。ホームページの写真で見ると大型液晶テレビやデュベスタイルのベッドメイクなどアパらしいのだが、実際に入室すると写真ではわからない壁紙の汚れや剥がれ、経年感を隠せない水回りなど “古いビジネスホテルのアパ化”を散見する。実際に筆者が利用した“リブランドアパホテル”も、エアコンの作動音や浴室排水の不備(排臭)などが気になることがあった。どことなく漂う陰気臭さは簡単なリニューアルでは消せないものだろう。
逆張りはコロナ禍でも?
まさかこんなことになるとは・・・2020年、宿泊業界全体の率直な感想であろう。それはアパホテルでも同様のはずだ。有事ともいえるコロナショックであったが、アパホテルに与えた影響も相当である。コロナ禍におけるアパホテルの平均稼働率は、3月/50パーセント、4月/30パーセント、5月/45パーセント、その後2500円という驚愕な設定で話題となった“負けるなキャンペーン”もあり、6月は72パーセントまで戻したというが、現在でも3500円(プランを組み合わせると2900円)という設定で集客している。“料金を下げると稼働率は上がる”という業界の常識のとおり、もちろん採算度外視の料金設定である。
ホテルを開けているだけで固定費は発生するのでそれらを賄うという側面もあるのだろうが、やはりホテルは人であり、ゲストが訪れることによるスタッフのモチベーションも高める効用は計り知れない。従業員6000人以上というアパホテルにとっても、“ホテルを営業し続ける”ということの重要性は、ホテルのヒューマンウェアあってのホテルという考えが根底にあるのだろうか。
アパホテルでは、今回のようなパンデミックをはじめとした不測の事態を3年前から想定し、年間約350億円、3年間で1050億円利益を積み上げてきたとしコロナ禍でも経営そのものには問題はないとする。コロナ関連でいえば、アパホテルは軽症者受け入れ施設としての運用を即断即決したが、元谷代表をはじめとした100パーセントオーナー企業ならではのスピード感は、これまでの逆張り経営でも見て取れる。他のホテルの真似をしない“家族経営”のアパホテルは、他のホテルが真似を出来ない孤高のホテルブランドであることは間違いないだろう。