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「目が見えない人でも自由にお酒を飲んで電車に乗れるようにしたい」全盲男性自ら手がけるAI アプリ開発

イノマタトシ映像作家・CMディレクター・映画監督

12月3日~12月9日は障がい者週間。障がい者の支援や障害について理解を深めることを目的としている。

視覚障がい者が一人で、どこにでも自由に、安全に行けるようにしたい。その手助けのために開発されたiPhoneアプリが注目を集めている。2023年4月にリリースされた「Eye Navi」。4ヶ月余りで1万ダウンロードを超え、障がい者向けアプリとしては異例の数を記録している。Eye Naviは、GPSと画像認識A I機能を使って障害物や人、信号の色などを認識し、視覚障がい者に音声で案内する。このサービス提供・運用・広報に携わっているのが全盲の川田隆一さん(62)だ。かつて酒に酔い、駅のホームから転落した苦い経験が活動の原点にある。「目が見えない人でも、自由にお酒を飲んで電車に乗れるようにしたい」。自らの障害とも向きあいながら、デジタルの新しい可能性に挑戦する川田さんの姿を追った。

「A I アプリに人の心を吹き込め!」

「Eye Navi」を開発しているのは、北九州市の「コンピュータサイエンス研究所」。地図情報大手のゼンリンでデジタル地図やカーナビを手がけた林秀美さん(72)が退職後、「人生でやり残したことがある」と立ち上げた。ここからアプリのサービス提供を任されたのが、川田さんが所属する「ダイヤル・サービス」社だ。

川田さんは二十数年前に、駅のホームから転落したことがある。酒を飲んで帰宅する途中のことだった。助けられた後、駅の助役に「目の見える人でも酔って転落することがあるのに、目が見えないあなたがお酒を飲んで電車に乗るとは何事ですか!」と叱られた。視覚障がい者はお酒を飲んだら電車にも乗れないのかと、ショックを受けた。それ以来、川田さんは、視覚障がい者でもつらいことやうれしいことがあった時にはお酒を飲んで、それでも安心して電車に乗れる時代が来たらいいなと願ってきたという。Eye Navi のプロジェクトへの参加を打診されたとき、「このアプリなら転落事故をなくすことができるんじゃないか」との期待をもった。

川田さんは、37 年前にダイヤルサービスに入社。視覚障がい者の自宅に届いた手紙などをファクスで送ってもらい、オペレーターが電話で読み上げる「まごころコミュニケーション」というサービスを立ち上げた。3 年ほどで同社を退社すると、視覚障がい者向け福祉放送局のラジオディレクターなどをへて米国に留学。そこで始めたメルマガ「突撃アメリカ通信」がきっかけとなり、『怒りの川田さん』(オクムラ書店)を出版した。米国の障がい者事情や目の不自由な人に対する無意識の差別、バリアフリーのぎまん(ぎまん)など、障がい者の本音をユーモアも交えてつづり、評判となった。そうした活動がダイヤルサービスの目に再び留まり、Eye Navi のプロジェクトチームに加わるために 35 年ぶりに復社した。

携帯アプリは「第3の目」になれるのか

アプリを使って横断歩道を渡る川田さん
アプリを使って横断歩道を渡る川田さん

4 月のリリース以降、アプリのダウンロードは順調に増え、評判も上々だ。それでも改善点はまだたくさんある。それを一つひとつ丁寧に解決していくのも、川田さんの仕事だ。その一つが、リリース直後に頻発した信号機を認識しないトラブルだ。「視覚障がい者が一番気にしているのは、信号を渡ることなんです。騒音問題もあり、夜間に音が出なくなってしまう信号機が多く、夜間の横断が一番怖いんです」と川田さん。信号機の誤認識は命取りになりかねない。アプリはどんな時に信号機を読み取らないのか、検証を進めた。開発者には「信号を安心して渡れるようにしてください」と不具合の修正を厳しく要請。一方、ユーザーにはアプリだけを信用せず、白杖を使って安全確認をしながら横断歩道を渡るよう呼びかけた。

他社の携帯アプリの中には、信号機を読み取るだけのアプリや道案内専用のものがたくさんある。これまで障がい者はこれら複数のアプリをインストールし、状況に応じて使いこなさなければならなかった。川田さんはこれを「All in One」で解決したいと Eye Navi に期待を寄せてきた。「看板の文字を読み上げてください」「お店のメニューを読み上げてください」。こんなユーザーの要望を開発者につなげ、このアプリひとつで障がい者が外出できるようになることをめざし、悪戦苦闘を続けている。

これだけの機能がありながら、Eye Navi は無料で提供されている。開発にあたっては相当の投資が必要だったが、開発元の林さんには、こだわりがあった。

林さんは、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の「誰一人取り残さない」という言葉に刺激され、「有料にすると取り残す人が出てきてしまう、どうやったら無料で提供できるか、ビジネスモデルを考えよう」と決めた。しかし、現実は厳しい。アプリを支援してもらうために会社訪問をすると、決まって「素晴らしいアプリだ」と称賛されたが、いざサポートの話になると尻すぼみになる。視覚障がい者支援にメリットを感じる企業は少ない。「このアプリを持続可能なビジネスとして自立させていくのが、私の夢でもあり使命だとも思っているんです」。

視覚障がい者との体験会
視覚障がい者との体験会

8月 21 日、視覚障がい者を集めた Eye Navi の体験会が開かれた。
実際に使ってもらったユーザーの声を聞き、開発に反映させる狙いだ。参加者からは、称賛の声とともにさまざまな意見やクレームが出た。アプリそのものの機能より、使い方がそもそも難しいという意見もあった。

AI 機能という最新のテクノロジーが障がい者のためにならないことがあってはならない。川田さんはこれまで、テクノロジーが障がい者を置き去りにしてしまう現実を何度も目の当たりにしてきた。例えば、コンビニの無人化も川田さんたち視覚障がい者にとっては、脅威の一つだという。「障がい者の代表というのはおこがましいが、障がい者の気持ちを反映させた心のこもったサービスを提供していくように心がけたい」と川田さんは話す。

A I 機能に人を繋いでサポートする「Eye Navi プラス」

ダイヤルサービスは、Eye Navi に自社のオペレーターを加えた「Eye Navi プラス(仮称)」という新サービスを準備している。例えば、視覚障がい者が道に迷ってしまった時、コンビニで買い物をしたい時、通勤途中でトイレに行きたくなった時、オペレーターとビデオ通話をつなげて障がい者を誘導する。このほか、自宅で服を選ぶ時に色柄があっているか相談に乗るといった、A I にはできないサービスを人間が提供することをめざしている。

川田さんはある日、オペレーターの支援を受け自販機で飲み物を買う実用実験に臨んだ。視覚障がい者とのコミュニケーションには、いくつかの独特のノウハウがある。方向を教える際に時計の短針方向の数字を示す「クロックポジション」などだ。これらの指導を受けたオペレーターの指示に従い、川田さんは自販機のもとへ。オペレーターは川田さんのスマホから送られてきた自販機の映像を見て、川田さんが飲みたいという商品の位置を伝える。たったそれだけのことだが、視覚障がい者にとって自販機で飲みたい飲料を買うのは至難の技。お目当ての飲み物を買えた川田さんとオペレーターは大喜びだ。その姿は、川田さんがこのサービスで心がけたいと語っていた「心のこもった楽しいサービス」を体現していた。

「A I を過信しすぎず、心に潤いのある広がりのあるサービスを心がけたい」。来年のサービス開始に向けて、川田さんの挑戦はまだはじまったばかりだ。

スタッフ

監督・撮影・編集:イノマタトシ(猪股敏郎)

撮影アシスタント:榊原優生

サウンドミキサー:柳田敬大

プロデューサー :初鹿友美

撮影協力:(株)コンピュータサイエンス研究所 ダイヤル・サービス株式会社 (株)わかさ生活

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。

クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

映像作家・CMディレクター・映画監督

TVCM制作会社ティ・ワイ・オーを経てフリーディレクターとして活躍。数百本のTVCMを企画演出。様々な広告賞を受賞。CM以外にもテレビ番組や映画、PV、Web Movieなどを監督。高い評価を得ている。テレビ番組では、フジテレビ「世にも奇妙な物語」などからNHKのドキュメンタリー番組まで幅広く演出。NHK Forbidden KYOTO(禁断の京都)で、シカゴ映画祭 テレビ部門銀賞。ドキュメンタリー映画「OYAKO」International Film Awards Berlin Best Documentary賞など受賞をしている。

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