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“リベラル”とはいったいなんだろう?

橘玲作家

すこし前に「リベラルが保守反動になった」という話を書いたところ、「リベラルの定義はなんですか?」という質問をいただきました。これはなかなか難しいのですが、わかる範囲でこたえてみましょう。

まず、議論の前提として私たちは「近代」の枠組みのなかで生きています。近代というのは、政治思想的には、「自由」「平等」「人権」「民主政」などを至上の価値とする社会です。

ところで世界には、近代の理念とは別のルールで動いている社会もあります。代表的なのはコーランの教えに基づいて政治を行なうイスラム原理主義の国で、「神政」は「民主政」と水と油のように相容れません(それに対して中国のような一党独裁は民主政への移行過程とみなされます)。

かつては「文化相対主義」の名の下に擁護されていた近代とは異なる価値観は、9.11同時多発テロによって(すくなくともアメリカでは)全否定されました。「お前はテロリストを認めるのか」という批判に、文化相対主義者は答えられなかったからです。

リベラル(自由主義)は「近代の理念」の実現を純粋に求める立場で、もともとは封建制(王政)への回帰を目指す反動勢力とのたたかいのなかで生まれました。その意味では、日本を含む先進諸国の政治思想はすべてリベラルです(天皇制は立憲君主制として認められるのであって、「現人神」のような反近代思想は排除されます)。

ところが封建制とのたたかいに勝利してしまうと、こんどはリベラルのなかで仲間割れが始まります。さらには社会主義(共産主義)の実験が失敗したことで、それが主要な政治論争に格上げされました。

リベラルの理想は福祉社会です。それに対する異議申立ては、大きく以下の三つにまとめられます。

(1)差別や奴隷制を否定する「人権の平等」は当然としても、国家による税の強制徴収と分配で結果の平等まで求めると、肝心の「自由」を圧殺してしまう。これは「リバタリアン(自由原理主義者)」の主張です。

(2)近代の理念はもちろん大事だが、自由や平等、人権を過度に強調すると、民主政の土台となる文化や伝統、共同体を破壊してしまう。これは保守派の立場ですが、最近では「コミュニタリアン(共同体主義者)」と呼ばれるようになりました。

(3)近代の理念を実現するためには偏狭な政治理念にとらわれず、「最大多数の最大幸福」を実現できる合理的で効率的な社会をつくるべきだ。こうした功利主義を唱えるのは主に経済学者で、「新自由主義(ネオリベ)」とほぼ同義です。

財政拡大による福祉社会が持続不可能になり、これらの批判に有効な反論ができなくなって、リベラリズムの退潮が始まりました。しかしだからといって、それに代わる新たな政治思想が誕生したわけではありません。リベラルを批判する側も、それぞれの理念を掲げて対立しているからです(リバタリアンと功利主義者の主張はかなり重なりますが)。

こうした構図を頭に入れておくと、マイケル・サンデルの「白熱教室」やその関連番組がより楽しめるようになるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2013年10月7日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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