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河井夫妻事件被買収者“全員不起訴”で「検察の正義」は崩壊

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:西村尚己/アフロ)

2019年7月の参院選広島選挙区をめぐり、河井克行元法相と妻で前参院議員の案里氏から現金を受け取った公職選挙法違反(被買収)の事実で告発されていた広島県の県議会議員・市議会議員ら100人について、東京地検特捜部は、7月6日、全員を不起訴とした。

既に、克行氏・案里氏について、買収の事実で有罪判決が出されており(案里氏は有罪確定)、犯罪事実が認められることは明らかだ。検察は、犯罪の嫌疑が不十分だという理由で不起訴にすることはできない。しかし、検察には、犯罪事実が認められる場合でも、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」(刑訴法248条)という「訴追裁量権」が与えられている。

今回の不起訴処分は、この訴追裁量権に基づき、被買収者全員を「起訴猶予」としたものだ。

「選挙買収」は、しばしば「贈収賄」と混同される。「贈収賄」は、国や自治体から給与を得て職務を行う公務員が、その職務に関連して金品を受け取ることが、「職務を金で売ってはならない」という、「公務員の職務の不可買収性」に反するという理由で処罰される。一方、「買収」に関して言えば、「選挙人自身の投票」や、「選挙運動」は、自らの意思で、対価を受けずに行うべきなのに、それを、対価を受けて行うことが「不可買収性」に反するということである。そういう意味で、「買収」と「贈収賄」とは構造が似ている。「買収」は、「贈収賄」と同様に、供与者・受供与者側の双方に犯罪が成立することになる「対向犯」だ。両者が処罰されるのが原則であり、その例外は、特別の事情がない限りあり得ない。

公職選挙法違反の罰則適用は、「選挙の公正」を確保するために行われるのであり、公平性が特に重視される。検察庁では、買収罪について、求刑処理基準が定められている。私が現職の検察官だった頃の記憶によれば、犯罪が認められても処罰しないで済ます被買収事案の「起訴猶予」は「1万円未満」、「1万円~20万円」は「略式請求」(罰金刑)で、「20万円を超える場合」は「公判請求」(懲役刑)というようなものだった。

今回は、多額の現金の買収事件(金額は5万円~200万円)であり、「被買収者側全員を起訴猶予にする」などというのは、検察の刑事処分としてあり得ない。公職選挙における買収事件の処罰の実務を崩壊させるものだ。

東京地検次席検事が記者会見で説明した「被買収者全員不起訴処分」の理由は、以下のようなものだったようだ(本来、社会的にも極めて影響が大きい事件の不起訴処分であり、記者会見が公開されるのが当然だが、今回も非公開の「記者説明」だったようだ。会見の内容は、マスコミ関係者からの情報による。)。

(1)克行が主導した犯罪で、克行が受供与者の選定など全体を差配し、大半が自ら実行した。克行が計画した事案。大規模買収だが組織的買収事案とは異なっている。

(2)受け取った金員をさらに他者に供与するようなことは認められなかった。

(3)積極的に求めた者はいなかった。立場の差などに基づいてやむを得ず供与を受けた者も少なからずいた。返却した者、家に保管していた者もおり、いずれも受動的。現金の受領を拒む者、むりやり渡された者もいた。

(4)リストに日時の場所の特定ができない者もいる。公判で明らかになったリストでは今回の100人以外の者も含まれているが、証拠によって認定できたものが100人。被告発人100人だけを処分するのは法的な公平性に欠ける。

しかし、いずれも、多額の現金の被買収事案を起訴猶予にする理由には、全くならない。

 (1)については、買収事件を候補者個人が主導したもので、組織的なものではないから、被買収者を処罰しなくてもよいなどという話は、これまで全く聞いたこともなく、凡そ、出てくる余地のない「理屈」だ。処罰する要件を勝手に加えているようなものだ。

 過去に摘発された選挙違反事件の多くは、末端の運動員と有権者との間の現金買収であり、上位の運動者、最終的には候補者も関わっている事案であっても、証拠上、上位者は摘発の対象とはならない場合が多い。本件のように、候補者自身や選挙運動の総括主宰者(克行氏)から直接現金を受領した事案というのは稀だ。

 しかし、同じ現金を受け取っても、末端の運動員からの受領なら処罰され、総括主宰者等の上位者であれば処罰不要などと、どうして言えるのだろうか。誰がどう考えても通用する理屈ではない。

(2)については、被買収者が、それを原資にさらに買収を行うのではなく、金を手元にとどめていた、或いは、使ってしまったからと言って、それは、被買収事件では一般的なことであり、有利な情状にも、不処罰の理由にもならない(この場合、買収金の利益を被買収者にとどめておかないように、起訴して有罪判決の中で、買収額の「没収」「追徴」が言い渡されるのが通常だ)。

(3)については、通常、選挙買収事件は、候補者側が、票や選挙運動をお金で買おうとして、積極的にお金を渡そうとするのが大部分であり、被買収者側から、投票や選挙運動をしてやるからと言って金を要求する事案というのはむしろ少ない。このような理屈が通用するのであれば、贈収賄事件の場合、贈賄業者が、政治家や役人に便宜を図ってもらおうとして多額の賄賂を強引に渡した場合、政治家や役人は「断り切れずやむを得ず賄賂を受け取った」ということで許してもらえることになってしまう。

買収事件では、「選挙の買収金を渡そうとしているとわかって、何回も押し返そうとしたが、結局、そのまま受け取ってしまって、返すに返せず、そのまま自宅で保管していた」などというのは、むしろ、よくある話だ。だからと言って、被買収が不起訴になるなどという話は聞いたことがない、

(4)も全く理由にならない。

 贈収賄の事件でも、贈賄側が、多数の公務員に賄賂を贈っていた事案の中で、賄賂の授受が証拠によって裏付けられたものが、その一部だったという場合、収賄側が自白し、証拠によって立証可能な事件は贈賄側・収賄側両方を起訴できるが、収賄側が否認し、立証が困難な事件は不起訴にせざるを得ないというのは、刑事事件の処分では当たり前のことだ。起訴された収賄者側が、公判で「他にも賄賂をもらった奴がいる。自分だけが処罰されるのは納得がいかない」と不満を述べても、凡そ、弁解として取り上げられることはないはずだ。

「他に同様の事件があるのに処罰されていない。だから偏頗な起訴だ」という主張には一切耳を貸さないというのが、これまでの検察の姿勢ではなかったのか。

 このような次席検事の不起訴理由の説明に対して、記者から質問が行われている。その回答も、唖然とするようなものだった。

(5)「金額300万、複数回の者もいるのに、一律不起訴とする判断は?」

と問われ、

本件犯行の性質から、克行・案里を処罰することがあるべき姿だと判断した。起訴するものを選べばいいのではとの指摘かと思うが、確かに金額を基準にすることも考えられるが、本件では、判決認定事実を踏まえて再度捜査し、受供与者の立場・経緯・状況・返還の有無・辞職したかどうかなど犯行後の事情は、各人各様だ。公職者をみると、10~200万。たとえば、後援会関係者と比べて、多い人も少ない人もいる。さらに少額でも返還せずに使用した者もいる。一定の線引きで選別することは、諸般の事情を考慮すると、選別が公平かどうか、合理的な基準かどうか、考えたときに、線引きをすることが困難と判断した。

 と答えた。

同種の事案で、被疑者ごとに有利な事情と不利な事情とがあり、起訴不起訴の判断に悩むということは、検察官であれば珍しいことではない。だからと言って「全部不起訴にしてしまえ」などということは、検察庁内では凡そ通用する話ではない。そもそも、前記のとおり、検察庁内にあるはずの「求刑処理基準」から言えば、すべて「起訴相当」の事案であり、その中で、特に他と比較して不起訴にすることが明白な事案がない、ということであれば、「全員起訴」が当然だ。

(6) 「公判を終えてから不起訴処分を出したのは、検察に有利な証言を引き出すためだったのではないか」との質問に対して、

河井2人の起訴の時点で、起訴すべきものは起訴した。他の者は処分を要さないという判断だったが、告発がきたので改めて捜査し、本件では、河井克行が否認していたので、克行が公判でどういう供述をするのかという経緯を見ていた。

これまた、「告発」という刑訴法上の制度を軽視するかのような、恐ろしい発言だ。

今回の河井夫妻からの被買収者の事実について、両名の起訴の段階で刑事立件すらしなかったことは、検察官として到底許されることではない。それに対して、市民が「当然の告発」を行い、その結果、刑事処分を行わざるを得なくなったのである。

それを、東京地検次席検事は、克行・案里の起訴の段階で「刑事立件も、刑事処分もしない」という判断をしていたのに、告発が行われたから、したくもない「刑事処分」を行わざるを得なくなり、不起訴にした、というのである。

《検察は、現に証拠があり、犯罪が認められても、検察は「刑事立件も、刑事処分もしない」ということを勝手に決めることができる。「起訴すべきものは起訴した」と言っておけば、理由の説明すら要らない。それに対して、「告発」などという余計なことが行われたから、不起訴処分という余計なことを行わなくてはいけない話になったのであり、それを検察官が不起訴にするのは当たり前のことだ》と言いたいようだ。

そもそも、検察官は、刑事事件として立件、起訴した事件に関連して、証拠によって認められる犯罪があり、処罰しない理由がないのであれば、刑事事件として立件するのが当然であり、それを立件しないで見過すのは「犯人隠避」にも当たり得るというのが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、検察が、大坪弘道特捜部長・佐賀元明副部長を、主任検察官の証拠改ざんについての「犯人隠避」で刑事立件し、起訴した検察の理屈だったはずだ

(7)「お金受け取っても不起訴になるということで、全国で悪い影響がでるのではないか」

これは、今回のような多額の被買収事件が不起訴とされたことが、今後の全国の公選法違反事件の刑事処分に影響を与えるのではないか、という当然の質問だ。

それに対する次席検事の答は、支離滅裂であり、全く答になっていない。

起訴猶予は犯罪の成立を認定している。受け取っても良いんだ、というのは違って、犯罪であるという認定は、我々はしている。検察官は取り調べをして、訓戒している。起訴猶予は良いとか、許しているとかそういうことではない。起訴をしなかっただけということ。

ここで、問われているのは、多額の被買収事件で「犯罪が認められる」としているのに、「起訴猶予」ということであれば、被買収事件についての検察の刑事処分の基準が変わったことになり、今後、同種の買収事件でも、同じような理由で「起訴猶予」にすべきということになるのではないか、買収事件での被買収者の起訴はできなくなるのではないか、という点である。

 それに対して、「検察は犯罪を認めた上で、取調べをして訓戒をして、その上で起訴猶予にして起訴しなかっただけ」というのである。

 検察は、どのような犯罪であれ、取調べて、訓戒をした上で、自由自在に起訴猶予にすることができるという「検察の独善・傲慢」そのものだ。

最後の点は、今回の全員起訴猶予の不起訴処分の決定的な問題であり、今回の事件のような多額の被買収の事案が、「受動的だった」「他に疑いがあっても証拠上立件できない被買収者がいた」などという理由にならない理由で起訴猶予になったことで、今後の公選法違反事件の刑事処罰の実務が重大な影響を受けることは必至だ。

公選法違反事件、とりわけ選挙買収事件に対して、厳正・公平な処分が行われることは、公正な選挙の基盤だ。今回の検察の不起訴処分は、今後、公職選挙の公正を著しく阻害する。

黒川弘務元東京高検検事長の「賭け麻雀」の賭博事件、菅原一秀氏の公選法違反(寄附制限違反)事件と、検察が起訴猶予とした判断が検察審査会で覆され、起訴相当議決で検察の不起訴処分が厳しく批判される事例が相次いでいる。今回の河井夫妻事件被買収者全員「全員不起訴」に対して、検察審査会で「起訴相当議決」が出れば、検察に訴追裁量権を与えていることの是非が問題とされかねない(日本のような制度を「起訴便宜主義」というが、ドイツ等は、「起訴法定主義」であり、検察官は犯罪事実が認められる限りすべて起訴しなければならない。)

今回の不起訴処分は、「検察の正義」を崩壊させるものにほかならない。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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