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日本の危機にSMAP聞きたくなる説 コロナ禍の今も、不安の時代に寄り添い続けたアイドル

太田省一社会学者
(写真:アフロ)

 2020年4月9日、ツイッターの日本のトレンドのトップに「#SMAP完全版」とあった。突然の解散から3年余り経つが、今もSMAPが求められていることは、決して驚きではなかった。「SMAPの姿を見たい」という多くのひとの思いがあふれ出すことが、これまでにも何度かあったからだ。1995年の「がんばりましょう」、2011年の「世界に一つだけの花」、そして今…。なぜ私たちは国家を揺るがしかねない事態に直面すると、SMAPを想起するのだろうか。SMAPが日本に与えてきた「安心」について考える。

不安の時代に寄り添い続けたSMAP

 「#SMAP完全版」がトレンドトップになったことは、あらためて、平成という困難な時代に生まれたSMAPが、私たちの「不安」に真摯に向き合い、寄り添い続けた「安心」の象徴であったと感じられた。

 トレンドトップになった経緯はこうだ。NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』(以下、『プロフェッショナル』と表記)から「過去の傑作を再放送するなら?」という旨の呼びかけがあった。すると、2011年にSMAPが出演した回への「是非SMAP完全版お願い致します!!!」「今、日本に元気をくれるのはSMAPです SMAPに会いたいのです」といったリクエストが殺到し、ハッシュタグ「#SMAP完全版」がトレンドランキングを急上昇したのである。

 番組は、デビュー20周年を迎えていたSMAPの初の海外公演へ向き合う姿が一つの見所になっている。それに加えてもう一つ、私たちに大きな印象を残すのが、SMAPの5人が東北地方に足を運び、ファンミーティングで地元の人たちと親しく交流する姿だ。いうまでもなく、この年の3月11日に東日本大震災が発生していた。その被災地をSMAPが訪れたのである。その場面では、彼らがファンだけでなく世間の人びとにとってどんな存在だったかを実感することができる。

 “エンターテインメントにかける思い”に加えて“私たち社会とともにあること”。この2点こそは、SMAPを語るうえで欠かせないものだろう。『プロフェッショナル』の2つの場面は、図らずもそれらを象徴するようなものだった。

テレビエンターテインメントの象徴だったSMAP

 「エンターテインメントってことを信じてますね。信じてなかったら絶対できないと思うし」。これはその『プロフェッショナル』のなかでメンバーの木村拓哉が語った言葉である。

 SMAPが主戦場としてそのエンターテインメントを提供したのはテレビである。音楽番組出演はもちろん、バラエティやドラマ、さらには情報番組やスポーツ番組、ニュースなど多彩なジャンルで彼らは活躍した。

 「平成のテレビ」は世代や性別に関係なく、誰もが楽しめるエンターテインメントを提供するメディアだった。それは言い換えれば、テレビは「安心」を提供するメディアだということである。互いに立場が違っていても、同じものを見て聞いて楽しんでいるという一体感からくる「安心」。それこそがテレビに私たちの求めてきたものだろう。

 SMAPのテレビでの活躍はまさにその象徴であった。そしてこのコロナ禍のなかで、テレビの与える安心感、そしてSMAPが与えてくれた安心感がいま改めて思い起こされているのではないだろうか。

 音楽番組『CDTV ライブ!ライブ!』(TBSテレビ系)の2020年4月13日放送回は、コロナ禍のなかでのリクエストスペシャルだった。そこでやはりSNSなどで大きな話題になったのが、リクエスト1位の「世界に一つだけの花」がフルバージョンで流れたことである。解散以降SMAPの歌は曲の一部だけが流れることがほとんどであり、フルバージョンというのはあまり記憶にない。それは過去に彼らが歌った場面の再放送ではあったが、そこには近年失われていたある種の「安心感」が一気によみがえってきたような感覚があった。

25年の活動の集大成となったアルバム「SMAP 25 YEARS」(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
25年の活動の集大成となったアルバム「SMAP 25 YEARS」(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

苦しかった「平成」の記憶

 世の中が大きな困難に直面したときに流れる「世界に一つだけの花」。それで思い出すのは、東日本大震災発生直後の2011年3月21日の『SMAP×SMAP』緊急生放送だ。このときもSMAPの5人は、「いま僕たちに何ができるだろう」という切実な思いを互いに語り合い、そして「世界に一つだけの花」を歌った。

 1988年に結成され、1991年にデビューしたSMAPは、「平成」という時代とともに歩んだグループだった。その平成の日本社会は、2度の大きな震災があっただけでなく、バブル崩壊後の長い経済の停滞や格差の拡大に苦しんだ。そして家族や地域、学校など私たちの暮らしを支えるコミュニティにも綻びが目立つようになった。その結果、私たち一人ひとりがどう生きるかを模索せざるを得ない不透明な時代になった

 こうした平成の30年間を一言で表すとすれば、それは「不安」ということになるだろう。そしてその不安は社会全体を覆う漠然としたもの、いわば「見えない不安」だけに余計に対処の難しいものだった。

 そのなかでSMAPは、困難な時代に真摯に向き合い、寄り添い続けた。1995年に阪神・淡路大震災が発生したときにも、その直後の生放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で自らの言葉で被災者にメッセージを伝え、「がんばりましょう」を歌った。また『SMAP×SMAP』では、通常放送回の終わりでも東日本大震災などへの支援を欠かさず呼びかけた。そして東日本大震災後の2011年『NHK紅白歌合戦』の大トリで歌った「オリジナル スマイル」は、被災者か否かを問わず、私たち全員の再出発しようとする背中を後押ししてくれるようなものだった。

 “私たち社会とともにある”そうしたSMAPのありかたは、従来のアイドル観を覆すようなものだった。そうして彼らは、新たなアイドル像を作り上げた。

なぜ、いまSMAPが求められるのか? 

 そして平成は終わり、元号は令和へと変わった。だが一方で、今回のコロナ禍は平成の日本社会が抱え込んだ「見えない不安」を究極とも言えるかたちで顕在化させているようにも思える。

 ウイルスという存在は、自分の周囲にも自分のなかにも潜んでいるかもしれない。そしてそれは見えないだけに、不安を増幅させる。さらにその不安は経済面や心理面にも波及して人間関係を分断し、場合によっては偏見を生み、ひとを孤立させてしまう。それは誰の身にも起こり得る。平成にはどこかまだ他人事であったかもしれない「見えない不安」は、こうしていまやすべてのひとにとって無関係なものではなくなった。

 その点、まだ平成は本当の意味では終わっていない。では、このコロナ禍のなかで、より深い意味でひととひとがつながるにはどうすればよいのか? 単なるキャッチコピーに終わらない「絆」とはどのようなものなのか? 

 平成という時代にエンターテインメントの力を信じ、ひととひとを結びつけるその力で社会に寄り添い続けたSMAPという存在は、そのひとつの“答え”だった。いま私たちは、どんなかたちであれその“答え”をもう一度自分の目で確かめたいと望んでいるのに違いない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

社会学者

社会学者、文筆家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌番組、ドラマなどについて執筆活動を続けている。著書として、『水谷豊論』(青土社)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)などがある。

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