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UKで感じた戦後70年:「謝罪」の先にあるもの

ブレイディみかこ在英保育士、ライター
(写真:ロイター/アフロ)

以下は英ガーディアン紙の8月13日から15日までの日本関連記事の見出しである。

8月13日 日本、米国人POW(戦争捕虜)を人体実験に使った最も暗い瞬間を振り返る

8月14日 日本の安倍首相、終戦記念のスピーチで新たな謝罪は避ける

8月15日 日本の天皇、安倍首相よりも第二次世界大戦について謝罪的

14日の記事は安倍首相の終戦70周年談話について、そして15日の記事は全国戦没者追悼式での天皇陛下の「おことば」についてのものだ。

で、わたしが最も興味を覚えたのは、13日の記事である。14日と15日は同紙でも一定の枠が日本関連記事のために設けられていただろう。そしてその前日に、九州大学生体解剖事件の目撃者、東野利夫医師の記事を掲載しているのだ。

九州大学生体解剖事件は、遠藤周作の小説『海と毒薬』のモデルになった事件で、1945年に九州帝国大学医学部の敷地内で当時の教授らが米国人捕虜に対して生体解剖を行った事件だ。生きた捕虜の血管に海水を注入したり、内臓を切除した際の生存に関する事件を行ったりした残虐な事件として有名で、同紙は解剖の目撃者である東野利夫医師のインタビューを載せている。

アベ・ジャパンは、国民の集団としての記憶から、その過去の最も残虐的で最悪の部分を消し去ろうとしているという批判が広がっている。その中で、東野氏は日本の近代史の中で最も暗いエピソードに光を当てることが自分の「最後の仕事」だと信じている

遠い昔に「帝国」をその名称から外した九州大学は、今年、驚くべき決断を下した。構内の新たな資料館に、生体解剖を行ったことを示す展示物を展示し、自らの歴史の中で最もダークな出来事を受け入れることにしたのである。

出典:”Japan revisits its darkest moments where American POWs became human experiments” The Guardian

同紙電子版のこの記事には900を超す読者コメントがついており、(かなり過激なものもあるが)読みふけってしまった。

「こんな暗い事実を明るみに出した大学は勇敢だ。多くの組織が、どんな手を使ってもこのような歴史は隠そうとするだろう」

「ドイツと日本の違いは、60年代の後半に端を発する。ドイツでは多くの若者たちが(戦時中に自分の国が行ったことの)真実を明るみにすることを欲したが、日本の若者たちはそうではなかった」

「そんなことはない。日本の60年代の若者たちは戦争犯罪を明らかにしようとした。両国の大きな違いは、日本はクレイジーで過激な政党を支持して、国内で少数民族を虐殺したわけではなかったということだろう。だからドイツのようにディープな反省を行う必要性がなかったのだ」

「日本は(ドイツと違って)第二次世界大戦中、東アジアで行った残虐行為について全てを明らかにしていない。(中略)日本の首相はまだこれらの犯罪を軽視している」

「日本は多様性とインクルージョンの模範だからな。我々みんなが知っているように」

「この記事に書かれていることを擁護するわけではないけれど、いつになったら米英が戦時中に行ったことの批判的考察は行われるんだろう。広島と長崎の原爆だって『実験』だった」

「僕の曽祖父は日本の戦争捕虜になった。生き残ったが、帰還して2年目に結婚が破たんした。彼は、戦争での拷問に耐えられるようにと、僕の祖父を殴り、虐待した。彼の息子の一人は軍に入って戦死し、曽祖父も首を吊って自殺した。僕の祖父は日本人を憎悪している。僕は日本の人々と会うたびに、祖父の憎悪と目の前にいる人々を結びつけることができなくて困惑する。だって彼らは愛すべき人々だからだ。(中略)僕の子供たちは日本人が謝罪しようとしまいと、彼らを憎悪したりしないだろう。そんなことから良いことは何一つ生まれない」

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POW(戦争捕虜)の問題というのは、英国ではこんなに一般レベルで根深かったのか。と気付いたのは、わたしと配偶者が18年前に結婚したとき、彼の親友の母親が、「でも日本人はPOWにひどいことをした残忍な人々だよ」と配偶者に言ったという話を聞いたときだった。

「POWって、いったいいつの話をしているんだ」

「ロンドンの下町育ちの生粋のコックニーだから、古い婆ちゃんなんだよ」

と配偶者や友人たちは笑っていたが、その翌年(1998年)の天皇訪英でわたしは英国でのPOW問題の大きさを再び思い知ることになる。

1998年5月、バッキンガム宮殿に向かう日本の天皇の車に対し、沿道で元POWの人々が背中を向けるという抗議活動を行ったのだ。彼らは日本の天皇が乗っていた車両にブーイングを浴びせ、日の丸の旗を燃やした。UKメディアはこれを大きく取り上げ、炎上する日の丸の写真を一面に使った新聞もあった。当時わたしは、ある日系新聞社のロンドン駐在員事務所に勤めていたが、翌日の日本の新聞の一面は松田聖子と年下の歯科医が結婚したという話題だった。天皇訪英の記事は二面の小ネタ扱いで、その見出しは「天皇皇后両陛下、ロンドンで歓迎を受ける」みたいなきわめて平和なもので、POWの抗議活動や燃やされた日の丸の話題には一言も触れていなかった。

日本からの駐在記者たちはタブロイドの一面や英国のニュース番組を見ながら「これはすごいなー」とか言い合っていたので、知らなかったわけではない。でも、そんなことは誰も書かなかった。書けなかったのだ。

もちろん、今だったらそうはいかない。燃える日の丸の画像を誰かがツイッターに上げて瞬時に炎上するだろうから、新聞だって書かないわけにはいられなくなる。

「日本はここ数年おかしなことになっている」「昔は平和だったのに」というような声をよく耳にするが、その「昔の平和」とは、平和がかき乱されるような外地からの情報がふわっとブロックされていたからこそ成り立っていた、特殊な平和だったのかもしれない。

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ところで、わたしは「日本人は戦時中にPOWに残忍なことをした」と言った英国人のおばあちゃんに、「すみません。わたしの国が昔ひどいことをして」と謝罪したことはない。

わたしも彼女も、新聞や映画で見て「こういうことがあったのねー」程度の知識を持っている市井の人に過ぎなかったし、そんな謝罪よりも、「さっと立ってみんなの紅茶を作りに行く気のいい子だよ」みたいなことのほうが、彼女の中の日本人のイメージアップにはよっぽど有効に機能するようだった。

だが、そんな彼女も7年前に他界した。

人はどんどん亡くなって行く。

そして謝罪がどうのということよりも、さっと自分から立って紅茶を作りに行くかどうかが、そのことだけが物を言う時代になったとき、日本はどんな国になっているのだろう。

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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