「この世の終わりだった」熱海の土石流で自宅を失った中国人と、彼に寄り添った被災者の一年#災害に備える
2021年7月3日。静岡県熱海市で山から流れ落ちてきた巨大な土石流は、多くの人の命と生活、そして夢までも破壊した。その1週間前、熱海で民宿を営もうと借金をして一軒家を購入した在日中国人の徐浩予さん(29)は一瞬のうちに家と全財産を流された。「人生が終わった」。徐さんは孤立無縁の異国の地で、絶望に突き落とされた。そんな若者に生きる希望を取り戻させたのは、避難所などでめぐりあった被災者たちの支え合いだった。絶望の淵から立ち上がり、これからは「本当の自分の人生」を生きると決めた若者がたどった、再生への1年とは。
[三日間の大雨と土石流が破壊した、夢と希望 ]
災害関連死を含め27人の命を奪う甚大な被害をもたらした熱海市の土石流災害。丸1年たった今年7月3日午前10時28分、地元では多くの人が黙祷を捧げた。現場の伊豆山地区は高台の閑静な住宅地だが、今は一部が避難区域に指定され、立ち入りは禁止。復旧作業は進まず、破壊された家が1年たっても無惨な姿をさらけ出している。土石流で倒壊した家屋は136軒、今も200人以上が自宅に戻るめども立たず、市営住宅などで避難所暮らしを続けている。
この日、犠牲者に黙祷をささげていた徐さんは1週間前に購入したばかりの自宅を災害で失った。希望に胸を膨らませ、住み始めた矢先の出来事だった。
「家だけでなく財産も夢も全て失いました。ここは伊豆山神社に近いパワースポットなのに、神様はいないと思った。」
徐さんは中国モンゴル自治区の出身。子供の頃から日本のアニメや漫画が大好きで、2015年21歳で来日。最初の商売は東京・池袋での中国人相手の化粧品販売だった。2021年5月。たまたま訪れた熱海の美しさに魅了され、移住を決意した。民宿を経営するため、熱海を一望できる伊豆山神社の近くの2階建ての一軒家を購入。コロナ終息のめどがついたと見られたころで、大きなビジネスチャンスを感じていた。しかし、引っ越しからわずか一週間、まさか土石流で全てが流されようとは思いもよらなかった。
[絶望した中国人に寄り添った、熱海の被災者たち]
運命の7月3日。徐さんは、いつもと変わらぬ朝を迎えた。大雨は3日間続いていたが、土石流に家が飲み込まれるとは夢にも思わない。土石流が起きる10分前、買い物に出た。やがて、救急車のサイレンが鳴り、ヘリコプターが飛びはじめたが、気にしなかった。買い物を終え帰宅しようとした時、どの道も通行止めで自宅に帰れなくなっていた。スマホのニュースで初めて災害を知った。
熱海市役所に助けを求めたが、住民票をまだ熱海に移しておらず、担当者から中国語の通訳者を通し「熱海に税金を払っていない人は助けられない」と門前払いされたという。初めて泊まった避難所の体育館はエアコンもなく、日本語が分からないので話し相手もいない。持ち物は財布と携帯電話だけ。とにかく不安だった。避難所やホテルなどを転々とする生活が何日も続いた。
やっと自宅に戻れる許可が出たのは2週間後。しかし、変わり果てた風景にがくぜんとする。あったはずの近所の家が消えていた。自宅も1階部分はなく、残ったのは2階だけ。土砂に埋もれ、中に入ることもできない。全壊だった。民宿の経営どころではない。「人生、終わった」。絶望に打ちひしがれた。
[絶望から再生へ・・・。避難所での出会い]
事態が急変したのは、ニュース番組や新聞の取材を受けてからだ。番組やSNSで徐さんの窮状を知った地元の人々が支援に動き始め、市会議員も積極的に関わった。全国の在日中国人の同胞からは、支援物資が続々と届いた。段ボールで314箱。感動した徐さんは全て熱海市に寄付した。
彼を元気づけたのは避難所で出会った被災者たちだった。小松千洋さんは日本語を教えてくれただけでなく、煩雑な役所の手続きなどもやってくれた。彼女もまた自宅が半壊し、精神的にも大きなダメージを負ていたが、同じ被災者が助け合うのは当然だと、徐さんのために協力を惜しまなかった。
一方、徐さんも熱海の復興に尽力しようとボランティア活動に参加。徐々に日本語も覚えていく。遺族や被災者で結成した「被害者の会」にも入り、一緒に活動を始めた。ボランティアと一緒にガレキの撤去で汗を流すうちに、初めて日本人の友達もできた。日本での6年間は中国人相手の商売に明け暮れ、日本語を全く話さず日本人との交流もなかった彼は、これからは日本語や日本の文化を勉強し、生まれ変わろうと決めた。
2021年末「被害者の会」の集会で、徐さんは習いたての日本語でこう語った。
「日本語もまだ上手くないけど、迷惑かけたら言ってください。熱海のために僕も頑張ります」
新たな人生の再スタートを切った徐さんだが、現実は甘くない。問題は異国の街でどうやって生活していくかだ。貯金はすでに底をつき、支援物資や義援金にいつまでも頼るわけにいかない。「この熱海で、旅館を始めよう」。こう決心し、物件を探し始めた。
[本当の人生を、この熱海で生きていく]
2022年に入り、SNSで徐さんのことを知った地元の人から「使ってない家があるので安く譲ってあげる」との申し出があった。その人の妻は中国出身で、家を提供するだけでなく、リフォームの相談や駐車場探しなども徐さんと一緒に動いてくれた。熱海で旅館を経営するという、新たなビジネスのスタート。コロナ禍で、うまくいくかどうかは分からない。しかし、今までと違い、助け合う仲間がいるという安心感から気持ちは充実していた。
土石流発生から1年が過ぎた7月、熱海で3年ぶりに夏祭りが催された。徐さんも初めて参加させてもらった。そろいの法被を着て、地元の若い衆と一緒に山車(だし)を引く。日本の祭りは子供の頃、大好きだったアニメで見たことがあり、想像以上に楽しかった。太鼓の音、掛け声に、懐かしさが込み上げる。元々こういう世界に憧れ、日本に来たことを思い出した。これから熱海で生きようと決めた。祭りの終わり、一言求められ、みんなの前でこう話した。
「土石流で全て失いました。でも、今までの人生は私の本当の人生ではなかったです。これから本当の人生を生きていきます。熱海人として生きていきます。よろしくお願いします。」
熱海の人々は彼に温かい拍手を送った。
受賞歴
2008年 ATP賞総務大臣賞 TBS「風の歌が聴きたい 聴覚障害夫婦の16年」
2018年 tokyodocs 優秀賞ショートドキュメンタリー「介護ブレイクダンサー」
クレジット
監督・撮影・編集 小田大河
プロデューサー 金川雄策