【京都市】右京区 「西高瀬川知ってましたか?」ー映画の発展にも関係した運河
高瀬川には、東と西があることをご存知でしたか?
桂川から分流され鴨川に注ぐ運河である『西高瀬川』は、近世末期から明治初期にかけて物資運搬のために開削されました。
全長約15kmの西高瀬川は、明治年間の終わりごろまで運河として使われていたそうです。
二条城への御蔵米運搬、材木・薪炭などの丹波からの物資を、京都の中心地へ運ぶためなどに用いられた運河である「西高瀬川」。
もともとは、丹波地方を水源にもつ桂川(上流の方は保津川・大堰川とも呼ぶ)から引水したもの。
嵐山の渡月橋で有名な渡月橋のところにも「西高瀬川」が見られます。
京都市内中心にある木屋町の「高瀬川」が一般的によく知られていますが、そちらは「東高瀬川」。
「高瀬舟」と呼ばれる平底の船により淀川筋の伏見から物資が運ばれた運河です。
「西高瀬川」は、京都市街地西部を流れる、桂川から分流され鴨川に注ぐ運河です。
明治以降に木材運搬のメインルートが西高瀬川に移ると、木屋町にあった材木商が次々に千本三条界隈へ引越したそう。
そういえば、『高津商会』の本社がある太秦界隈は、その昔、「ジャパニーズハリウッド」と呼ばれていました。
その時代には材木商がこの界隈にたくさんいたので、木材をたくさん使うセットが組みやすかったことから、多くの映画関係者が集まったという話を聞きました。
高瀬川に東と西があることの発見は面白かったです♪
「西高瀬川を知ってましたか?」駒札
京都市中京区壬生天池町