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埼玉スタジアムではなぜ人種差別の権利がないのか?

橘玲作家

サッカーJ1の人気クラブ浦和レッズは、一部のサポーターが「ジャパニーズ・オンリー」という横断幕をスタジアム内に掲げたことでJリーグから無観客試合の制裁を受け、クラブ側は当該サポーターを無期限入場禁止にすると同時に、ホーム、アウエーを問わず、すべての横断幕やゲートフラッグの掲出を禁止しました。

サッカーの本場であるヨーロッパではアフリカ出身の選手に対する人種差別的行為があとを絶たず、FIFA(国際サッカー連盟)は傘下のクラブに人種差別撲滅のための断固たる行動を求めています。今回の処分はクラブにとってきわめて厳しいものですが、浦和レッズのサポーターグループ11団体が「当事者としての責任を認識」して自主的に解散するなど、批判や反発の声はほとんど聞こえてきません。Jリーグには家族連れの観客も多く、子どもに不快な横断幕を見せたいひとはいないでしょうから、これはファンやサポーターの良識でしょう。

その一方で、東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンでは「死ね」「殺せ」などと連呼するヘイトスピーチが止まず、「支那・朝鮮抜きの大東亜共栄圏」を目指す団体はナチスドイツのハーケンクロイツ(カギ十字)を掲げたデモを行なっています。ゲルマン民族の人種的優越を理由に、ナチスドイツは600万人ものユダヤ人を強制収容所などで殺戮しましたから、その旗を公然と掲げるのは人種差別行為そのものです。

埼玉スタジアムでは「ジャパニーズ・オンリー」という横断幕だけでクラブもサポーターも厳しい制裁を受けました。それに対して新大久保や鶴橋でははるかに露骨な人種差別行為が容認されているばかりか、彼らはメディアに対しても堂々と自分たちの正当性を主張しています。

なぜこのようなダブルスタンダードが起きるのでしょうか。

それは、浦和レッズが興行主となる埼玉スタジアムは私的空間で、新大久保や鶴橋は公共空間だからです。私的空間には所有者(管理者)がおり、利用者は一定の規則に従わなければなりません。一方、公共空間は日本国憲法によって結社と言論・表現の自由が保障されているので、どのような政治的主張も認められるのです。

私的空間では、その所有者は自分(たち)の利益を最大化しようとしています。ほとんどのひとは、こうした利己的な場所よりも「公共」のほうが素晴らしいと問答無用に決めつけますが、これは本当でしょうか。

もちろんここで、言論・表現の自由を制限すべきだ、といいたいわけではありません。

自由を原理主義的に擁護するリバタリアニズムでは、「公共」の名の下に国家が私的空間に介入するからこそ、こうした問題が起こるのだと考えます。その解決方法は簡単で、すべての公共空間を民営化してしまえばいいのです。

株式会社新大久保や鶴橋株式会社であれば、浦和レッズが埼玉スタジアムを管理するのと同様に、ヘイトスピーチや人種差別を合法的に排除できます。これは言論の抑圧ではなく私的所有権の行使で、政治的主張をしたいひとはそれ以外の場所で自由に活動することが許されています。

たったこれだけで、憲法を遵守しつつ不愉快なヘイトスピーチをなくすことができます――残念なことに実現可能性はないでしょうが。

『週刊プレイボーイ』2014年5月12日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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