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「障がい者なんだから」の言葉に奮起 1つ300円の卵を作る事業所の哲学

長塚洋映像ディレクター

宇都宮に近い栃木県真岡市の田園地帯の一角に、その鶏舎はある。「平飼い」、すなわち広い空間を自由に動き回る何百羽もの鶏に交じって働くのは、発達障害や知的障害などさまざまなハンディを抱える男女だ。運営するのは就労継続支援A型事業所「わらくや」。20人余りの働き手の中には、叱られることへの恐怖が耐えがたかったり、怒りの表現がうまくできずにモノを壊したりするなど、感情のコントロールが難しい人も多い。事業所のスタッフたちは一人ひとりと丁寧に話し合いを重ねながら、一緒に卵の生産に取り組んでいる。売り出される卵は、最上級品が1個300円。予約を中心に毎週、売り切れが続く。

■「人と関わるよりは」

障がい者たちと高級卵を作る現場とは、どのようなものか。8月初頭、ひとりの新人が事業所で働き始めた。高橋晴綺(はるき)さん、26歳。幼い頃に「自閉症」と診断された。特別支援学校を卒業後、まずは大手ラーメン店へ「一般就労」。「大好きな祖母に初月給をわたしたかった」という高橋さんだが、対人関係に苦しんだ。忙しい時間帯などに厳しく求められるスピードや効率優先についていけず、失敗をしつこく叱責されるなどして傷つき、間もなく退職した。

自宅に一人でいる時は、趣味の玩具ブロックで想像上の怪人や艦船を次々と作り上げる。そんな独特のこだわりと高い集中力を持つ半面、他人との関係には強い不安を感じやすい。母の文子さん(57歳)は「それもすべて個性だと社会が理解してくれたら、こんなに生きにくくはないのに」と語る。その次に仕事を得たあるA型事業所は、利益が上がらないことを理由に廃業してしまった。それでも「なんとか仕事をしたい」と高橋さんが訪れたのが「わらくや」だった。「無理せず、続けられるだけ」。こんな思いを吐露しながら。

高橋さんが働き始めた平飼い鶏舎では、たくさん置かれている餌容器のふたが、フンやほこりでどんどん汚れていく。高橋さんは何枚ものふたを黙々と洗いながら「人と関わるよりは、楽」とつぶやく。鶏舎内で清掃をしていると、「この人間は危害を加えない」と察した鶏たちが集まり、足をツンツンとつつく。高橋さんは「マッサージのようで気持ちが良い」とほほ笑む。

こうした感じ方は、高橋さんに限らない。やはり一般就労で挫折後に「わらくや」で働いて6年になる女性は「人間のストレスは耐えられない。でも鶏のストレスなら」と語る。鶏舎で敷板にこびりついたフン混じりの汚れを取り除くのが、彼女が一人で引き受けている仕事だ。作業中に鶏に目をつつかれたこともあるが、脇目もふらずにずっと集中している。わらくや代表の島田利枝さん(54)は「ここで働くメンバーには、前職で周囲からのいじめや無理解に傷ついた人が多い」と言う。

■「弱み」も「強み」も個性

人に合せたり、効率性の要求に応えたりが苦手なことは、この社会を生きる上では「弱み」と見られてしまいがちだ。ただ、それと裏表の「この人たちならではの強み」が生かせるはずだ――。島田さんたちは、こう考えている。実際、養鶏で必要とされる単調な作業を、延々と集中してこなせる人が多い。夏はフン混じりのほこりが舞うのに防塵マスクは外せず、冬には凍てつく風が吹き抜ける過酷さがあるのにもかかわらずだ。島田さんは「私なら1週間続かない」と笑う。ある健常者に同じ仕事をしてもらったが、半日も持なかったという。

毎日同じ作業が続くことは、不安を感じやすい性質の人たちにはむしろ安心でもある。養鶏には餌やりに水やり・掃除・収穫・洗卵など多様な工程があり、一人ひとりの得手不得手を見極めることで、最適な場で活躍してもらうことも可能になる。

新人の高橋さんのこだわりと集中力が生かされたのが、さまざまな用具をきれいにする「洗い物」だ。鶏が水を飲むためにいくつも設置されているタンクを洗うときには、入り組んだ内側についた汚れまでいろいろな形のブラシなどを使い分けて丁寧に洗い、最後はまるで新品のようにする。代表の島田さんは「ついにタンク洗いの達人が現れたか」と感心する。こうした洗い作業や清掃で清潔な環境に保たれた鶏が、良質な卵を生んでくれるのだ。

過酷な仕事をそれぞれ自分の役目と捉えて取り組むメンバーたち。それに報いるにはその価値を認め、必要とされる喜びを感じてもらうこと、そして価値を対価に変えて自立を目指せるようにすることだと島田さんは考える。そのために欠かせないのが、丹念に手をかけた卵に付加価値を付けて売ることだ。

■「二人の父」が教えてくれた経営哲学

「わらくや」と養鶏場「ハコニワファーム」の代表であり、運営会社「Win Graffiti」の代表取締役でもある島田さんは、福祉畑では素人だった。1968年に川崎市で生まれ、栃木に移ってからはメガネ販売店に勤務した。東日本大震災のあおりでリストラされたのを機に、一念発起して障害者の自立支援に乗り出す。その出発点には「二人の父」の存在があったと語る。

夫の父親は統合失調症で、時には家族にとってさえ危険な場面もあったほどだ。ただ、知的能力は高く、細かい手作業などに飛び抜けた能力を発揮。島田さんが、ハンディのある人にも出番がある社会への思いを強める契機となった。

一方、亡くなった実父は川崎で鉄工所を経営していた。経営に失敗して会社を手放したが、育てた職人たちにその後も慕われる姿を見て、人を育てることへのこだわりを自分は受け継いだと感じている。

■障がい者と「一流」を作る

障がい者たちと取り組む仕事を模索する中で、島田さんは廃業する養鶏場を引き継ぐことになった。鶏舎は日本で主流の「ケージ飼い」だったが、島田さんは「人も動物も幸せに」と、鶏をのびのび暮らさせて卵を収穫する「平飼い」に挑戦する。「障がい者にだってできる」と信じ、意気込んで始めたもののほとんど経験がなく、試行錯誤の連続だったという。行政の担当者らから「障がい者なんだから、無理して生産性をあげることは不要」「障がい者の作ったものを高く売るなんて……」と言われたこともあるが、島田さんは逆に発奮したという。「ああいう人たちの作る者は安くていいんだと私たちが考えてしまったら、すべて終ってしまう」。そしてたどり着いたのが、卵の質を高めて売ることことだった。「もともと商人。人は同情では買ってくれないという発想がある」

その視点の先にあるのは「自立」への道筋だ。「就労継続支援A型事業所」は、障がい者が一定の支援のもと雇用契約を結んで安定的に働ける場とされている。だが、実際には多くの事業所で生産性が低く、最低賃金を必ずしも払えていない。一方、「わらくや」は全員に最低賃金かそれ以上を支払う。それを可能にしているのが1個300円の最高品質種「茜(あかね)」をはじめとする、思い切った価格設定だ。手をかけて世話をした鶏が産む卵は、濃厚な味が評判となった。防腐剤や防かび剤を使わない穀物を餌にするなど、安心と健康を追求する姿勢も評価され、固定客を中心に売れ続けている。

味と品質で絶対に勝つ。福祉の世界では異色の考えだが、それをめざすことにより鶏に配慮するアニマルウェルフェア(動物福祉)と障がい者の経済的自立の両立を「わらくや」では追求できている。

■ほめる、励ます、待つ

水やりタンクなどをキレイに洗い上げる高橋さんだったが、「洗いものこそ自分の持ち場」との自覚が、くしくもひとつの壁に突き当たらせることになる。「ほかの人が洗い場を使っていて、自分の仕事ができない」。こんな不満が人間関係への不安へとつながり、仕事を休んでしまった。すると「わらくや」のスタッフは、これまで高橋さんが経験したことのない、卵の「収穫」をしてもらうことにした。これは、その人の最適な働き方を模索する時のいつものやり方だ。

高橋さん自身も期待を持って臨んだが、やってみるとなかなか複雑な作業。ちょっとしたミスをしてからは、スタッフから受ける注意が精神的に耐えられなくなり、さらに休んでしまうことになった。自分から責任者に電話して休みを願い出たとき、高橋さんは涙ぐんでいたという。

数日後。高橋さんは収穫作業を離れ、落ちている羽根を拾う清掃作業をしていた。そして洗い物。きれいな仕上がりをスタッフにほめられるのがうれしく、ますます腕を上げていく。始めて間もないころは、ひとつのタンクをほぼ1日がかりで仕上げていたが、今では40分ほどできれいにしてしまうまでになった。これから必要な時にはほかの仕事を分担することがあったとしても、洗い物は自信を持てる守備範囲として確立しつつある。ほめること、励ますこと、そして待つこと。これが島田さんたちの心がけているポリシーだ。

■自立のために一人前に扱う

とはいえ、高橋さんのように懸命に取り組む人ばかりではない。「どうせ自分は障がい者だから」と投げやりな人もいる。そういう時、島田さんはあえて「なんで?」と問うてみるという。「障がい者には能力が無い」と周囲が決めつけてきたからだと感じながらも、成長できるはずの一人前の相手と見るからこそ、時には真剣勝負で向き合う。「障がいを人生の障害とするかどうかは自分次第なのに、そういう生き方を一生していくの?」。島田さんは、そんな思いをぶつけるのだという。

「経営はきれい事ではすまない」が島田さんの口癖でもある。割高な生産方法と最低賃金以上の報酬支出で経営はいつもギリギリだが、「あんなだった人がこんなになった!」という喜びは何にも代えがたいという。「関係性を取り持つだけで人は変わる」。人同士、そして鶏たちとの「縁」から生まれる卵は、「ゆいのたまご」と名付けられている。

高橋さんは大量の洗い物に取り組みながら、玩具ブロックの組み立てと同じような達成感を味わっている。仕事を任されている自覚や、必要なメンバーと認められている感覚も持ってきているようだ。母・文子さんは、できれば長く続けてほしいと願う。これからを生きる自信を身につけるために。

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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。
【DOCS for SDGs】他作品は下記URLより、ご覧いただけます。
https://documentary.yahoo.co.jp/sdgs/
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クレジット

監督・撮影・編集・選曲:長塚 洋
プロデューサー :細村舞衣
記事監修    :国分高史 中原 望

映像ディレクター

2005年からフリーランス。テレビの報道やドキュメンタリーの現場から、社会的弱者の姿を伝え続けてきた。犯罪を繰り返す高齢者の更生を追ったドキュメンタリー「生き直したい」(大阪ABCテレビ、2017年)で坂田記念ジャーナリズム賞。今回、Yahoo !creators「本人は死刑を望んでいるのか~」に登場した岡田尚と滝本太郎の両弁護士を含む、オウム事件と死刑執行に「被害者側」や「加害者側」で向き合った4人の人物の言葉を紡ぐドキュメンタリー映画「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私〔告白編〕」(60分)を制作。上映拡大を模索している。

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