「母語がえり」で施設に入居できないことも――認知症の在日外国人高齢者が直面する壁
「ニューカマー」と呼ばれる在日コリアンらが、高齢化に伴う問題に直面している。戦前の植民地支配時に日本に渡ってきた人やその子孫(オールドカマー)とは異なり、戦後数十年たってから来日したニューカマーは、後天的に習得した日本語を忘れてしまうことがある。特に認知症になると、母語しか話せなくなる「母語がえり」が顕著になるという。こうした言葉の壁に加え、家族が身近にいないため、必要な福祉サービスを受けられないまま孤独に苦しむ外国人高齢者は少なくない。この人たちを日本最大級のコリアンタウン東京・新大久保を拠点に支えているのが、在日韓国人福祉会(福祉会)だ。在日コリアンに代表される外国人高齢者がぶつかる課題は放置できなくなっている。福祉会代表のキム・ヨンジャさん(54)は、「日本の将来に関わる話」だと訴える。
3月でも今は「秋」要介護認定調査とのやりとり
春めいてきた3月中旬。福祉会代表のヨンジャさんは、韓国出身のキム・エギョンさん(仮名・79)の自宅での要介護認定調査に通訳として立ち会っていた。調査は介護保険サービスを受けるのに必要で、要介護者の心身状態や生活について本人らから聞き取るものだ。
認定調査員が「今の季節は?」と尋ねる。エギョンさんはすぐに「가을(カウル)」と答えた後、しばらくして日本語で「秋」と言い直した。
福祉会では、コミュニケーションがうまくとれず、孤独になりがちな韓国人高齢者のために、毎週金曜日に一緒に食事や運動、勉強などができる「居場所」を設けている。エギョンさんはその利用者だったが、次第に曜日を間違えて顔を出すようになった。
ヨンジャさんたちが何度も「金曜日に来てね」と伝えても、月曜日や火曜日に来てしまう。気分の浮き沈みも激しく、「やる気が出ない。楽しくない。死にたい」などと口にする。会話がうまく成り立たなかったり、記憶が曖昧だったりすることも多くなった。住環境にも問題を抱え、認知症が疑われた。
エギョンさんは20代の頃から歌手として韓国と日本を行き来する生活を送っていた。やがて日本人男性と結婚し、永住者として数十年にわたり、日本で生活してきた。その夫にも先立たれ、いま日本に家族はいない。
エギョンさんの置かれた状況に深刻さを感じたヨンジャさんたちは、直ちに支援に入ることを決めた。まともに食事をとらず、低栄養状態にあったことから、毎日必ず事務所で昼食を提供した。主治医を選び、介護保険を使えるよう手続きを進めた。自宅での認定調査はその一環だ。
引っ越し先を見つけるのは至難の業 見つかっても先行きは不透明
福祉会はエギョンさんの家計簿の確認など生活全般のサポートに加えて、家主とのトラブルから、立ちのきが求められていた住環境の問題に着手した。住み慣れた地域の中で、福祉会のメンバーが朝晩や仕事の合間に見守り支援することが可能な場所への引っ越しだ。環境の変化がストレスになり、心身の健康を害することは「リロケーションダメージ」と呼ばれる。認知症のある高齢者はその影響を特に受けやすいとされるため、慎重な配慮が必要だった。
ところが、物件探しは一筋縄ではいかなかった。そもそも日本語ができない外国人であること、後期高齢者であることから、受け入れてくれるところは少なく、金銭的にも余裕がなかった。それでもヨンジャさんたちが仕事の合間に不動産屋を何軒も巡り、条件の合った物件を奇跡的に契約できた。引っ越し業者への依頼や荷作りなどはすべて福祉会のメンバーで行い、エギョンさんが新しい環境に慣れる手助けをした。
エギョンさんはいま、ヨンジャさんたちの24時間の見守りのもと、一人暮らしをしている。ただ、いつまで続けられるのかは不透明だ。
「韓国語でのケア体制が整っていれば……」身近な支援で感じた悔しい思い
ヨンジャさんは、以前、認知症の外国人高齢者の苦しい現実を目の当たりにした。
福祉会のある大久保地区に長く住んできた、とある韓国人高齢女性の認知症が進み、在宅での生活が難しくなった事例だ。それでもヨンジャさんは、適切な施設と支援があれば、それなりの生活はできると考えていた。ヨンジャさんが韓国語で語りかけると、女性は母が娘に語りかけるような優しい口調で返事をしていたからだ。
ケースワーカーとケアマネージャーが中心になって、女性を受け入れてくれる施設を1年ほど探し続けた。だが、日本語が全く話せない認知症の外国人高齢者であることから、受け入れ先は見つからなかった。
その間も女性は毎日のように徘徊(はいかい)を繰り返し、新宿区内だけでなく時には神奈川県や千葉県にまで行ってしまう。ついに渋谷の道端で転び、頭にけがをしたため救急搬送され、しばらく入院することになる。
しかし、病院でもコミュニケーションが取れず、女性は最終的に、八王子の精神科病院への転院が決まった。ヨンジャさんは「提供されるケアの内容で受け入れ先を選ぶような余裕はないんです。ケア体制が整っているかどうかはさておき、受け入れてくれるところに入るという状況でした」と振り返る。遠方により直接は会えなくなったが、今後、必要があれば対応できるように、見守りを続けている。
「韓国語でのケア体制が整っていれば、彼女は今でも穏やかに暮らせていたのではないか。そう思うと、残念で残念で仕方ない」
在日外国人だけの問題ではなく、日本の将来に関わる話
言葉の壁を抱えた高齢者が介護保険サービスを受けるのは容易ではない。サービスの内容は、厚生労働省が定める政策や方針の上で、自治体が地域の実情に合わせて具体化していく。新宿区には現在、約130の国や地域からなる4万人をこえる外国人が暮らしているが、新宿区の介護保険サービスに通訳支援は含まれていない。申請ひとつするにも大変な苦労が生じ、病院での意思疎通も難しい。認知症が疑われる場合はなおさらだ。
このため福祉会では、訪問介護や医療現場での仕事の合間に、無償で通訳支援にあたっている。具体的には支援担当者の自宅訪問、かかりつけ医の検査、各種申請書の翻訳、ケアプランの本人への提案や説明、福祉用具の使い方やリハビリ、介護保険サービスを利用するための環境調整など多岐にわたる。
深刻な病気の場合は、病院での検査に関わる通訳全般も担う。検査結果の説明を受け、手術にも立ち会う。入院が決まれば、必要なものを自宅から病院へ届けたりもする。
電話や翻訳アプリで対応することもあるが、直接会わなければ利用者の本音を正確に把握することは難しい。行政手続きや病院での通訳には専門用語が多く、細かいニュアンスをきちんと伝えなければ誤解や思わぬ結果を招く恐れもある。
とはいえ、通訳支援は福祉会が行う支援の一部に過ぎず、「ボランティアで行うには限界がある」とヨンジャさんはいう。このため福祉会は、介護保険のサービス内容に通訳を含める必要があると考えている。
そのほか、福祉会では支援者同士がつながり、支え合うためのネットワークづくりを進めたり、介護保険サービスや介護用具などを韓国語で学ぶ勉強会を開いたりしている。さらに、「安心して入所できる施設づくりが緊急に求められている」として、NPOの法人格を取得して有料老人ホームをつくろうと準備に奮闘している。
ヨンジャさんは、よく考えてほしいと訴える。
「これは在日外国人だけの問題ではありません。日本という国の将来にかかわる話です。日本が本当の意味で、労働の現場として魅力的かどうか。安心して暮らし続けられる環境やシステムがあるのか。働きに来る外国人にも人生があるという認識が社会にちゃんとあるのか。そして、みんなはどういう社会で生きていきたいのか。私たちはみな、当事者なのです」
<在日韓国人福祉会>
キムヨンジャさんを代表に9年前に立ち上がったボランティア団体。6人の主要メンバーは全員韓国出身で、医療や福祉の現場で働くことを本業としている。
主な活動は、毎週金曜日の居場所「福祉館」運営に加え、生活相談、介護保険の説明会、各書類の翻訳 、通院や入退院、区役所等での通訳支援、食支援活動、日本語学習支援、定期見守り活動、韓国語対応可能な介護人材育成、外国人認知症高齢者支援、ボランティア受け入れ、連携先機関や地域住民との交流など。2024年4月から、居場所「福祉館」のみ新宿区通所型住民主体サービス事業補助対象となった。また、赤い羽根共同募金「外国にルーツがある人々への支援活動応援助成」第4回によって、「外国人高齢者支援者のネットワークづくり」の開催がかなっている。
【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】
『Blessing Lies Here』
演出・撮影・編集 倉田 清香
通訳・翻訳 金 善
オンライン編集 藤井 遼介
音楽 HoKø (Théo Tiersen)
Special thanks 井上裕太 Joceran Moreau
プロデューサー 煙草谷 有希子
細村 舞衣