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「介護は日常の延長」 慢性的な人材不足に喘ぐ介護業界で、楽ワザ介護術が変える現場力 #老いる社会

岡崎拓也ディレクター

人材や財源の不足、過酷な労働環境。さまざまな問題に直面する介護業界で、新たな技術を積極的に活用することによって、利用者がいつも通りの生活を送れるよう試行錯誤している施設がある。京都府京丹波町の通所介護施設「くろまめさん」。ここでは利用者たちは積極的に屋外に出て、畑仕事や車での遠出を楽しんでいる。それを支えているのが、ベッドから車いす、車いすから乗用車の座席へとお年寄りを移す「移乗技術」だ。移乗は、一般的に介護士の身体的負担が大きいとされているが、この施設では生体力学を基にした技術を導入し、負担軽減に成功した。新たな技術が、高齢者の生活の質をどのように高めているのか。くろまめさんの目指す介護のあり方に共感して入社したばかりの大久保夏南さん(28)を通してその新たな可能性を追った。

2017年に開設されたくろまめさんが掲げる理念は、「介護は日常の延長」。広いキッチンや開放感のあるリビングなど、通常の介護施設には見られない生活感のある設備が特徴だ。屋外には、利用者が農作業を楽しめる畑まで用意されている。スタッフは常に利用者目線での介護を心がけ、利用者がそれまで通りの生活を送れるよう工夫されている。

ここで積極的に取り入れられているのが、利用者の外出だ。体の不自由な高齢者を移動させるには本人やスタッフに大きな負担がかかるため、一般的な施設では避けられがちだ。しかし、くろまめさんでは、生体力学を用いて体の動かし方を工夫した移乗技術を導入。これで利用者とスタッフの負担が軽くなり、利用者の要望に沿った介護の幅が広がっている。

利用者からは「(施設を)利用し始めた時は腰が痛かったが、初めてお風呂に入った時、スタッフに『私に任せて』と言われて安心して入浴できた」と喜びの声が上がる。この技術を紹介した施設のSNSには、全国の介護従事者から驚きのコメントが寄せられている。くろまめさんが主催する研修会も人気で、技術を学ぼうと去年の6月から2月頭までで130人以上の介護従事者が全国から参加した。

・「死にたい」から笑顔へ 介護技術との出会い

利用者をベッドから車椅子へ移乗させる稲葉さん
利用者をベッドから車椅子へ移乗させる稲葉さん

より負担の少ない介護技術を追い求めているくろまめさん。施設長の稲葉耕太さん(40)は元々、地元である京丹波町の特別養護老人ホームで働いていた。この時からより高い技術で高齢者にとって安全な技術を身につけたいと考え、通称「楽ワザ介護」と呼ばれる介護技術を開発した青山幸広さんの講義を受けた。

稲葉さんは、青山さんの指導により身体的負担の少ない介護技術を習得。就職から5年後に老人ホームを退職し、株式会社ひだまり介護を立ち上げた。当初は資金繰りに悩まされたが、高齢化が進む地域の中で介護施設の必要性を実感した地元の人々の協力を得て1日カフェを企画、宣伝に成功し施設の運営を軌道に乗せた。

そんな時、技術の重要性をより実感する出来事があった。前の施設で腰を痛めたおばあさんが入所してきた時のこと。「腰が痛い」といってなかなか介護を受け入れてもらえなかった。しかし、習得した技術を元に、丁寧な介護とコミュニケーションを重ねることで、信頼関係が築かれていった。「死にたい、死にたい」と繰り返していたおばあさんが笑顔を取り戻したのを見て、稲葉さんは「やはり介護技術は、すごい重要やな」と実感したという。

・介護業界の抱える深刻な問題

介護技術が必要な背景には、深刻な高齢化と介護職の人材不足がある。介護を受けている高齢者は600万人近くいるのに対し、介護業に従事するのは210万人程度。介護業界では人手不足が慢性化している。2040年には280万人の介護職員が必要だという厚生労働省の試算もあり、人材確保は急務となっている。

そんな介護職員にとって、大きなネックとなっているのが身体的負担だ。労働の悩みに関するアンケートでも「身体的負担が多い」と答えた人は全体の3割にのぼる。特に利用者の体を動かす移乗技術は、介護者にとって大きな負担となることが多い。利用者にとっても負担となることが多く、介護における悪循環の原因となっている。

こうした問題を解決するために、介護者、利用者ともに負担の少ない技術を取り入れていこうというのがくろまめさんの取り組みだ。お互いの負担が軽くなれば、その分の人手や時間を利用者が希望する活動にあてられる好循環を生むことができる。

坪倉さんを車に乗せる大久保さん
坪倉さんを車に乗せる大久保さん

大久保夏南さんは、ひと月半前にくろまめさんに入社した介護士だ。神奈川県の施設で6年間働いたが、自身が思い描く理想の介護と現実とのギャップに悩んでいた。この仕事を始めたのは、利用者とのコミュニケーションの楽しさがあったから。ところが前の施設では全てが業務化・マニュアル化されていて、利用者とのコミュニケーションは禁止されていたという。研修を通じてくろまめさんの稲葉施設長と出会い、安全で効率的な介助によってできないことを可能にするあり方にひかれ、入社した。

「利用者さんのやりたいことが見つかったとき、どんな方法でも安全にできるなら、それを学びながらやっていきたいと思います」。そう話す大久保さんは、ある利用者の外出を企画した。元高校教師の坪倉紀代治さん(83)は、5年前に筋肉の硬直が始まり、体を自由に動かすことができなくなった。手厚い介護が魅力だったくろまめさんに通い始めたが、「周りに迷惑をかけたくない」と家と施設を往復する日々が続いていた。そんな姿を見て大久保さんが企画したのが、坪倉さんがかつて教えていた高校への訪問だ。

外出するには、坪倉さんを車いすから車の座席まで安全に移さなければならない。大久保さんは当日まで練習を重ねた。相手の体の下に肩を入れ込み、担ぎ上げる形で体を動かす。一見無理な体勢に見えるが、生体力学に基づいており、介護者にも利用者にも負担の少ない姿勢だ。

そして迎えた外出の日。坪倉さんは少し緊張していた様子だったが、大久保さんの助けですんなりと車に乗ることができた。久しぶりに訪れた高校では、かつての教え子が校長として迎えてくれた。坪倉さんの顔に、笑顔が浮かぶ。帰り際、大久保さんに再び車の座席に乗せてもらった坪倉さんは、こうつぶやいた。「しっかり力持ちやわ」。大久保さんへの厚い信頼がうかがえた。

・大久保さんの理想とする介護士

高校を訪問する坪倉さんと大久保さん
高校を訪問する坪倉さんと大久保さん

大久保さんは、介護やその技術をどう考えているのだろうか。

「やっぱり介護技術も信頼関係がないといい介護ができないっていうのが、本当にその通りだと思った。その人を知ることは本当に大事なこと。それがあるからこそ、介護の醍醐味につながっていく」

これからどんな介護をめざすのかという問いには、こう答える。「ただただやる介護じゃなく、その人のことを考えて少しでも気持ちを共感できたり、ホッとできる存在になれたりするような介護士になりたい」

効率的で安全な介護の技術を高めることで、利用者の活動範囲が広がり、スタッフと利用者双方の幸せにつながっていく。技術革新による好循環を目指す介護士たちの姿に、高齢化社会への希望を見た。

「#老いる社会」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となります。また、さまざまなインフラが老朽化し、仕組みが制度疲労を起こすなど、日本社会全体が「老い」に向かっています。生じる課題にどう立ち向かえばよいのか、解説や事例を通じ、ユーザーとともに考えます。

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

クレジット

プロデューサー:岡﨑拓也

ディレクター:倉本淳/岡﨑拓也

撮影:須藤しぐま/岡﨑拓也

編集:倉本淳

ナレーター:かわたそのこ

音効:ニュアンスデザイン合同会社

ディレクター

1991年3月11日生まれ。東京大学文学部卒業。2013年、NHK入社。京都放送局に配属後、番組ディレクターとして、ニュース企画やスポーツ中継に携わる。主に、教育や福祉に関わるドキュメンタリー制作に注力する。2018年退職後、フリーランスとして、映像制作やデータ分析、システム開発およびNPO法人での10代のキャリア支援など幅広い分野で活動。2021年に株式会社枠を創業。