TSMCモーリス・チャン氏引退、ファウンドリのビズモデル発明者
世界トップのファウンドリサービス企業、台湾のTSMCの創始者であり、取締役会会長でもあるモーリス・チャン氏が2018年6月に引退すると表明した。今後はTSMCの経営から完全に手を引くという。実は彼は、リーマンショック前にも引退していたが、リーマンショックでの業績の落ち込みによって、経営に戻ってきた。しかし、今は後継の道筋も見えたため、引退を決意した。モーリス・チャン氏は、エイサーの創始者スター・シー氏と並び、台湾の英雄と呼ばれている。
チャン氏は、ファウンドリサービスという半導体の製造だけを手掛けるビジネスモデルを創り上げた。1990年少し前、上級副社長を務めていたTIを退社し、台湾でTSMCを立ち上げた。当初の出資者にはITRI(工業技術院)やフィリップス(現NXPセミコンダクタ)などがいた。1980年代後半から米国シリコンバレーでは「Start-up fever(ベンチャーフィーバー)」と揶揄されたほど、ファブレスのベンチャーが続出した。当初、製造は、IDM(設計から製造まで手掛ける垂直統合型半導体メーカー)しか請け負えなかったが、同氏はその様子を見て、製造だけの請負サービスを始めようと考えた。半導体産業での分業化の始まりである。
TSMCは今や、2016年の売上額285億7000万ドル(約3兆1427億円)、市場シェア58%という圧倒的な強さを誇る、世界一のファウンドリ企業となった。ファウンドリビジネスで最も重要なことは、製造プロセスの完備もさることながら、多くの顧客を獲得するために設計に強いセールスエンジニアを確保することだ。このためTSMCは設計ツールを十分揃え、設計サービスを提供できるグローバル・ユニチップというデザインハウスを小会社にし、どのような顧客の要求にも答えられるように努めてきた。TSMCはIDMになる、と誤解したアナリストもいたほどだ。
設計ツールと設計エンジニアを揃えたのは、顧客によってはLSI設計特有の言語であるVHDLやVerilogなどの言語を覚えたくない、というレベルから、GDS-IIフォーマットのマスクデータまで作成できる、というさまざまなレベルにも対応するためだ。設計フローによって顧客の要求レベルがマチマチだったため、設計の知識があればどのような顧客にも対応できる。だからファウンドリビジネスでは設計に詳しいセールスエンジニアが欠かせない。
これが日本にはなかなかいない。パソコン画面に向かって、VHDLなどの言語でLSIの機能仕様をプログラムしていく、という作業を経験してきたエンジニアは、人付き合いの苦手な人が少なくない。様々な顧客の要求を聞いてその設計レベルまでできる顧客なのかを工場で伝えなければならない。そのような対面営業トークができる愛想の良いセールスマンでしかも設計に熟知しているエンジニアが望ましい。
ファウンドリ工場は、マスクデータのフォーマットであるGDS-IIレベルからスタートするため、システム設計、機能記述、検証などの設計・検証作業は別会社が担う。この別会社は、その後のネットリストによる回路構成、さらにレイアウト、配置配線、検証、などのLSI設計作業を担うデザインハウスと呼ばれている。今はファブレス大手となったメディアテックも当初は、ファウンドリ3位のUMCのデザインハウスだった。今やファウンドリは、PDK(プロセス開発キット)というツールをこしらえ、自社の固有のプロセスに沿った形のトランジスタに基づく設計を要求するようになった。
ただし、最近のTSMCの売り上げは実は伸びていない。1~9月の売り上げは累計で前年同期比わずか2.1%増の6998億7700万台湾元(約2兆6000億円)にとどまっている。9月単月では前年同月3.6%減となっている。今の半導体景気がメモリ単価の値上がりによるものであるため、TSMCはその恩恵を得ていない。それどころか、クアルコムの10nmアプリケーションプロセッサSnapdragon 835の製造をサムスンにとられた。ただ、10nmプロセスを使ったiPhone 向けアプリケーションプロセッサA11の製造は、サムスン嫌いのアップルから請け負っただけにすぎない。その前まで、Aシリーズはサムスンが、SnapdragonはTSMCがそれぞれ製造を請け負っていた。それが逆転した。先端プロセスのファウンドリビジネスは、まさにサムスンとの一進一退を展開している。
ただ、モーリス・チャンが引退を表明したのはこれが初めてではない。2005年に一度退任したが、2007~2008年のリーマンショックで業績が大きく落ちたことで経営に復帰している。この時から2016年までは極めて順調に成長を遂げ、昨今の半導体ブームで大きく落ちることもなくなった。TSMCの今後は、マーク・リュー氏を会長、C.C.ウェイ氏をCEOとする2頭経営という形で運営していくとしている。
米国の有力ビジネス誌の一つであるフォーブス誌は、2年をかけて、世界のビジネスに大きなインパクトを与えた100人の一人にモーリス・チャン氏を選んだ。その100人の中には、投資家のウォーレン・バフェット氏、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏、eベイとテスラ・モーターズのイーロン・マスク氏、バージン・グループのリチャード・ブランソン氏、フェイスブックCEOのシェリル・サンドバーグ氏、メディアのルパート・マードック氏、ファッションデザイナのジョルジオ・アルマーニ氏、メディア兼ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ氏などそうそうたる人たちが含まれている。半導体業界からはモーリス・チャン氏のみ、だとしている。
(2017/10/20)