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フリーターからプロ野球選手になった男。失敗を経て気づいた「野球が好き」の大切さ

高木遊スポーツライター
熊谷リトルシニア・落合賢太主将と元西武投手の猪爪義治総監督(筆者撮影)

 熊谷リトルシニアの練習場所に到着すると、多くの中学生たちが白球を元気いっぱいに追いかけている。そのユニフォームのきっちりとした着こなしに「しっかりと指導された良いチームなんだろうなあ」と感じる。そんなことを思っていると「こんにちは!」と爽やかな出で立ちの長身の男性が挨拶してくれた。

 このチームの創設者にして現在は総監督を務める猪爪義治さん(42歳)だ。この名前を聞いてピンと来たコアなライオンズファンもいるかもしれない。1999年のドラフト会議で西武ライオンズからドラフト4位指名を受けた元プロ野球選手だ。

 ドラフト時の所属先には「埼工大深谷出」の文字。“出”と付いているのは、高校卒業後、3年間無所属だったからだ。「フリーターからプロ野球選手に」と話題になった。当時は現在のように育成選手制度も無ければ独立リーグも無い。それだけに今よりもずっと異色の存在だった。

猪爪義治(いのつめ・よしはる)・・・1978年5月11日生まれ。埼玉県行田市出身。埼玉工業大学深谷高校(現正智深谷)卒業後、3年間無所属時代を経て2000年年から西武で2年間プレーした(筆者撮影)
猪爪義治(いのつめ・よしはる)・・・1978年5月11日生まれ。埼玉県行田市出身。埼玉工業大学深谷高校(現正智深谷)卒業後、3年間無所属時代を経て2000年年から西武で2年間プレーした(筆者撮影)

うどん屋のアルバイトからプロ野球選手に

 高校2年の秋に父親が死去。生活はガラリと変わり大学進学を諦めた。卒業後は土木関係の仕事をしていた。だが、高卒3年目に入る前、先輩が転職した会社の社長から「野球に未練があるならウチに来い」と誘われ、香川のうどん屋でアルバイトをしながらトレーニングを積んだ。

 土木の仕事でよく働きよく飲みよく食べという生活の中で大きくなった体は、エースになりきれなかった高校時代よりもはるかに大きくなり、野球の練習を本格的に再開すると、あれよあれよと成長。ついにはサイドスローからストレートの最速が140キロを超えるようになり本人も驚くプロ入りを果たした。

「でもパッと上手くハマったものはパッと崩れるんです」

 自らの予想以上に成長を遂げたフリーター時代だったが、プロに入ってからは練習についていくのも大変で、基礎体力の無さを痛感させられた。「プロ野球選手が毎日できることを僕は1日できても続けることができなかった」と、突如として得た能力はその発揮の仕方も分からぬまま、2年間と短いプロ野球人生を終えた。まだ23歳。周囲からは現役を続けることも勧められたが戦力外通告の瞬間「これで野球をしなくていいんだ」とホッとしてしまったこともあり引退を選んだ。

「上手いかどうか」よりも「努力しているかどうか」

 熊谷リトルシニアを立ち上げたのは25歳の時だ。当時働いていた熊谷のバッティングセンターで小学6年生が「地元に中学硬式チームが無い」という相談があったことで自ら立ち上げた。

 それから17年。今や部員は3学年で70人を超え「強豪校で甲子園に行きたいという子から進学校で野球をしたいという子まで、来てくれる選手の幅が広がりました」と笑顔で話す。

 それぞれの将来の目標が違えば目的意識も違うが選手全員に共通しているのは「野球が好きでこのチームに入ってきた」ということだ。

 一時期は勝利にこだわるがあまり、それを忘れてしまったことがあった。今から10数年前、選手数も増えてチームも勝ち上がるようになった時期だ。全国上位を目指して選手たちに厳しい練習を課した。

「試合に勝つことで成長に繋がると思っていましたし、甲子園に何人送り出したいとかプロ野球選手を輩出したいということばかり気にしていました」

 もちろんそれも全てが間違っているわけはない。だが最も多い時で33人入った部員が卒団時には23人と10人もの脱落者を出してしまった年があった。チームの結果も浮き沈みが激しかった。そこでようやく気づいた。

「野球を好きで入っきてくれたた子供たちなのに野球を嫌いにさせてしまった・・・」。今はそのことに気づき「申し訳ないことをしてしまいました」と後悔する。

「好きで入った野球をもっともっと好きになって高校野球に挑んで欲しいんです。野球を好きであれば自然と努力はできる。その土台を作りたい」と、そのためにどうすべきかを考えた。

 まず技術指導は自らの成功体験を押し付けることをやめた。「今の子供たちはそれぞれで勉強しているし、一人ひとりのタイプがありますからそれを尊重しています。その中で“なんでこうしているの?”と聞かれた時にすぐ答えられるような理由は準備しておくようにと伝えています」

 そして成長を促すためにも「上手いかどうか」よりも「努力しいているかどうか」を重視している。1年生の時は、スイングスピードなどを定期的に測り、その数値の高い順ではなく前回計測時からの上昇順でメンバーを選出する。「努力するから試合に出られる。試合に出るために努力をする」という意識を最初の1年で根付かせるためだ。「僕は成長が早くて体が大きかった分、いい加減にやってもできてしまいましたが、それで後々苦労したので」と話すように自身の経験も大きい。

 選手数も増えてきたため同じ学年でも2チームに分けて練習試合をする。そこで「片方のチームがもう片方のチームのスタメンを決める」という方式を採っている。

「“ちゃんとやっている順にスタメンを組むように”と言うと、我々指導者の視点と違うこともあるんです。指導者の前でゴマをする子もいなくなりますし、適当ではなく、ちゃんとやるようになります。昔は“努力しろ!”と何度も言っていたのですが、今は“やれ”と言わなくても“やらざるを得ない環境”になって、こちらから言わなくてもやるようになりました」

 また「できないことをできるようにする」ために、例えば練習試合で打てなかったコースや球種を野球ノートに書き出し、次の試合までに打てるよう練習するようにするなど課題を明確にさせることでも、そうした努力を促すようになった。

 現在は2014年に全国8強に進んだ際の主将だった加藤礼絃さん(佐野日大高OB)に監督の座を譲り、猪爪さん自身は総監督兼代表として1年生の指導にあたる。試合に勝った・負けたではない「何をするべきか?」を中学最初の1年で習慣づけできるようにした。

「以前は3年生のチームを指導して、試合に勝つために“選手ができること”ばかりを探していました。そうではなくて成長のために“できないこと”を探して、それをできるようにすることで、負けなくなるんだということに気づきました」

広々としたグラウンドで、きっちりと着こなされた白いユニフォームでそれぞれの目標を持った中学球児たちが白球を追いかけていた(筆者撮影)
広々としたグラウンドで、きっちりと着こなされた白いユニフォームでそれぞれの目標を持った中学球児たちが白球を追いかけていた(筆者撮影)

野球が好きだからこそ

「みんなが楽しいと言ってくれる。だから後輩たちにもそうした声が伝わって選手が集まるようになりました。時間はかかりましたが、思い描いたチームになってきました」

 野球が好きな気持ちは猪爪さんも同じだ。日本球界最高峰の地を経験し、野球だけでは生活ができないことを思い知らされたが、「凄い世界を見せてもらいましたし、同期はスカウトになっている人も多いのでいろんな話や相談もします。僕の指名を担当してくださったスカウトの前田俊郎さんには頭が上がりません」と話す。

 野球を続けてきたからこその縁は今も猪爪さんの大きな財産だ。その財産を今の子供達にも受け取って欲しい。そして、それは野球を好きでいられる気持ちと努力があってこそ。その大切さを伝えるべく、この週末も猪爪さんはグラウンドに足を運び、優しい眼差しで選手たちを見つめる。

練習を見つめる猪爪さん(筆者撮影)
練習を見つめる猪爪さん(筆者撮影)

文・写真=高木遊

スポーツライター

1988年10月19日生まれ、東京都出身。幼い頃から様々なスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、ライター活動を開始。大学野球を中心に、中学野球、高校野球などのアマチュア野球を主に取材。スポーツナビ、BASEBALL GATE、webスポルティーバ、『野球太郎』『中学野球太郎』『ホームラン』、文春野球コラム、侍ジャパンオフィシャルサイトなどに寄稿している。書籍『ライバル 高校野球 切磋琢磨する名将の戦術と指導論』では茨城編(常総学院×霞ヶ浦×明秀日立…佐々木力×高橋祐二×金沢成奉)を担当。趣味は取材先近くの美味しいものを食べること(特にラーメン)。

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