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【検証】「アベノミクスで格差が拡大した」というのは本当か?

山口一臣THE POWER NEWS代表(ジャーナリスト)
選挙中、立憲民主党の枝野幸男代表は繰り返し「格差は拡大している」と訴えていた(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 先の総選挙では、日本におけるファクトチェックの普及活動をしているファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)の呼びかけで「総選挙プロジェクト」が行われた。このプロジェクトは、選挙期間中に発信された政治家の言葉や報道における事実関係についてのファクトチェックを行うというものだ。BuzzFeed Japan、GoHoo、Japan In-depth(with THE POWER NEWS )、ニュースのタネが参加して行われた日本初のメディア横断型プロジェクトだった。11月3日(金・文化の日)に東京・原宿のスマートニュース本社で報告会とセミナーが行われた。

 以下は、このプロジェクト用に書いた原稿に加筆・修正したのもだ。

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 安倍政権の5年間で人々の生活はどうなったのか。「格差がより拡大した」「いや、格差拡大は改善された」、「可処分所得が増えた」あるいは「減った」、「雇用が増えた」「いや、数は増えたが質が低下した」、「貧困が減った」「いや、むしろ拡大している」……などなど、先の総選挙ではアベノミクスの暮らしへの影響について真逆の言説が飛び交っていた。与党は「改善」の実績を主張し、野党は「改悪だ」と批判する。いったいどちらの言っていることが正しいのか。

 代表的な言説である「アベノミクスで格差が拡大」は本当かどうかのファクトチェックを試みた。結論から言うと、単純に評価できないことがわかった。なぜなら、統計上の数字は万能ではなく、「格差」の基準も多様で、読み方によってさまざまな解釈が成り立つからだ。もしかすると、この種の言説はファクトチェックには馴染まないかもしれない。

 所得格差を表す指標としてもっともよく参照されるのが「ジニ係数」と「相対的貧困率」だ。まずは「ジニ係数」について考えてみよう。

 「ジニ係数」は世帯所得の分布から格差の大きさを測る指標だ。0~1の範囲で表され、0に近いほど格差は小さく、1に近いほど大きいことを示している。日本では、厚生労働省の「所得再分配調査」や総務省統計局の「全国消費実態調査」などが、それぞれ独自にジニ係数を調査・発表している。

格差は拡大しているがアベノミクスが「原因」かどうかはわからない

 厚労省のジニ係数は3年ごとに発表され、最新の調査は2014年のものだ。それによると、同年の当初所得のジニ係数は0.570で、前回調査(2011年、第2次安倍政権発足は2012年12月)の0.554と比べると、確かに上昇している。ここだけ見ると、「格差が拡大している」ことは間違いない。ただ、ジニ係数自体は実は1980年代から一貫して上昇を続けている(1981年は0.349、2002年は0.498……)。つまり、アベノミクスが「原因」で格差が拡大しているのかどうかは、この数字の推移だけで断定することはできない。

 さらに厄介なのは、当初所得から税金と社会保険料を控除するなどした再分配所得のジニ係数というのがあって、これを見ると2011年の0.379に対して2014年は0.376とほんのわずかだが、格差が縮小していることが読み取れる。当初所得の格差は拡大傾向にあるが、再分配システムがうまく機能しているということだろう。つまり、当初所得の格差が政府の政策によって平準化しているということだ。

 ただし、この再分配所得のジニ係数も80年代から上昇し、1999年以降はほぼ横ばい傾向にある。2008年は2014年と同じ0.376だった。つまり、2011年から2014年にかけて再分配所得のジニ係数が小さくなっているからといって、「アベノミクスのおかげで格差が縮小」とまでは言えないだろう。

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 ちなみに、総務省によるジニ係数も細部での違いはあるが、おおむね似たような傾向を示している。

相対的貧困率も確かに「改善」しているのだが……

 次に「相対的貧困率」を見てみよう。安倍晋三首相がよく「安倍政権になって相対的貧困率が改善した」と引き合いに出していた指標である。具体的には、世帯当たりの可処分所得を低い方から順番に並べ、真ん中の人の額(中央値)の半分(貧困線)より所得が下回る人を「貧困層」と認定し、その割合を示した数値だ。ジニ係数と同じく、厚労省と総務省が別々に調査して、それぞれ独自に発表している。

 厚労省が今年6月に発表した「国民生活基礎調査」によると、全人口の相対的貧困率は2012年の16.1%から2015年の15.6%へと減少した。子どもの貧困率も16.3%から13.9%になっている。この数字をもって「改善した」と言うのは間違いではない。

 ただ、この相対的貧困率にはカラクリがあって、貧困を認定する「貧困線」がどうなっているかを見るとまた違った景色になることがある。実は、この貧困線(可処分所得がこの数値より低くなると貧困とされる)は1997年の149万円以来、ずっと下がり続けていた。つまり、国民全体の可処分所得が減り続けていたということだ。これによって、それまで貧困だった人が“貧困の枠”から外れ、数値が改善するという現象が見られるのだ。貧困線が下がったというのは、むしろ低所得者層が増えたことを意味している。

 例えば、2000年から2003年にかけて相対的貧困率は15.3%から14.9%へと減少している。しかしこの間、貧困線も137万円から130万円と7万円減っている。2000年に135万円の等価可処分所得があった貧困世帯は、2003年には所得が同じでも貧困とカウントされない。これで「貧困が改善された」と言えるかどうかは微妙だろう。

 また、前述のジニ係数も相対的貧困率も世帯収入を元にしているため、世帯内の就労状況がわからないというネックもある。例えば、親の収入だけでは食べていけず、子どもが進学をあきらめて働きに出ると、その世帯の収入はアップしたことになる。

 話を戻して、では2012年と2015年の貧困線がどうなっているかというと、両年とも同じ122万円になっている(横這い)。だとすると、安倍首相が言うように相対的貧困率の16.1%から15.6%への減少は素直に「改善」と受け取れる。

 しかし、あえて「いや、そうではない」と主張することもできる。貧困線には、「名目値」と「実質値」があって、122万円というのは名目値なのだ。実質値は物価水準を加味した数値で、1985年の消費者物価指数を100として調整している。厚労省の「国民生活基礎調査(貧困率)よくあるご質問」でも〈物価の推移も考慮して年次推移を観察したい場合は「実質値」を使ってください。〉と、実質値での比較を推奨している。

「名目」でみるのと「実質」でみるので評価が変わる場合も

 そこで、この貧困線の実質値を計算すると、2012年の111万円から2015万円は106万円へと下がっていることがわかる。2012年の実質貧困線を元に2015年の数値を概算すると、全人口の相対的貧困率は17.0%で12年より1.7ポイント上がっている(子どもの貧困率は15.0%で若干下がっている)。このことをもって「貧困率は実質的には改善されていないではないか」と主張することはできなくもない。

 この「名目」と「実質」でしばしばせめぎ合うのが賃金だ。名目賃金は労働者が受け取る給料の額そのものだ。実質賃金はそれに物価指数を加味したもので、受け取った賃金によってどれだけの物品が購入できるか(購買力)を示した数値だ。安倍政権下では、名目賃金は微増傾向にあり、実質賃金は下落が続いた。このため、政権与党は名目賃金を引き合いに出して「アベノミクスの成果があがっている」と主張するのに対して、野党は「実質賃金が下がっているから好景気の実感はない」と批判する。まったく逆のことを言っているにもかかわらず、それぞれに根拠がないわけではない。

 総選挙の投開票日に放送されたテレビの“選挙特番”で、複数の局が「安倍政権下で労働者の賃金が上がった」と報じていた。参照していたのは国税庁の「民間給与実態統計調査」(これは名目賃金)のデータと思われる。それによると、2012年に正社員の平均給与が468万円だったものが2016年には487万円に上昇した。同じく非正規雇用者の平均給与も168万円から172万円へとアップしている。アベノミクスの成果といっていいかもしれない。

実数とパーセンテージの使い分けマジックも!

 しかし、一方でこの数字から次のようなことも主張できる。2012年は正社員と非正規雇用者の賃金の差は300万円(非正規の給与は正社員の35.9%)だったが、2016年には315万円(同35.3%)と、正規vs.非正規の“格差”は広がっている。しかも、この間に非正規雇用者の数は1816万人から2023万人と207万人も増えている。アベノミクスで格差が拡大していることの証左ともいえる。

 非正規雇用者の実数について「200万人も増えた」と書いた。こう書くと非正規だけがかなり増えたような印象を持つだろうが、この間に雇用者全体の数も増えているので、全体に占める非正規の割合は35.2%から37.5%と「2.3ポイントの増加」となっている。「200万人増」と「2.3ポイント増」では受ける印象がだいぶ違う。このように、実数とパーセンテージを使い分けることでイメージ操作も可能になる。選挙中の安倍首相の演説は、実数とパーセンテージを巧みに織り交ぜ、アベノミクスの“成果”をアピールしていた。

 そもそも、こうした統計のほとんどは国勢調査のような悉皆調査(しっかいちょうさ=全数調査)ではなく標本調査だ。結果はあくまでも目安、推定値に過ぎない。

 何が言いたいのかというと、この種の言説は統計数字を“つまみ食い”することによって、いかなる主張も成り立つ可能性があるということだ。「格差が拡大した」という立場にたてば、それに沿ったデータを集めることは容易だ。その逆も同じで、根拠がないどころかいくらでもある。枝野代表や安倍首相に限らず、政治家の多くは、こうしたデータの“つまみ食い”によって、プロパガンダ(政治宣伝)をしていると考えた方がいいかもしれない。

 有権者としては、こうした言説を鵜呑みにするのではなく、自分自身の“実感”を大切にするべきだろう。私個人の“実感”としては、やはり格差は拡大しているように思う。

(山口一臣/THE POWER NEWS)

【参考資料】

「平成26年 所得再分配調査報告書」厚生労働省政策統括官(総合政策担当) 

「平成26年全国消費実態調査」総務省統計局

「6 貧困率の状況-表10 貧困率の年次推移」厚生労働省

「国民生活基礎調査(貧困率)よくあるご質問」厚生労働省

「民間給与実態統計調査」国税庁

「非正規雇用」の現状と課題【正規雇用と非正規雇用労働者の推移】厚生労働省 

THE POWER NEWS代表(ジャーナリスト)

1961年東京生まれ。ランナー&ゴルファー(フルマラソンの自己ベストは3時間41分19秒)。早稲田大学第一文学部卒、週刊ゴルフダイジェスト記者を経て朝日新聞社へ中途入社。週刊朝日記者として9.11テロを、同誌編集長として3.11大震災を取材する。週刊誌歴約30年。この間、テレビやラジオのコメンテーターなども務める。2016年11月末で朝日新聞社を退職し、東京・新橋で株式会社POWER NEWSを起業。政治、経済、事件、ランニングのほか、最近は新技術や技術系ベンチャーの取材にハマっている。ほか、公益社団法人日本ジャーナリスト協会運営委員、宣伝会議「編集ライター養成講座」専任講師など。

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