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富山の介護老人保健施設にひな人形が71組。次々と集まってくる理由とは?

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
富山市内の介護老人保健施設「富山老人保健施設」で展示中のひな人形(筆者撮影)

「おひなさま」がずらりと並んだ光景は壮観だ。最も古いひな人形は大正末期に作られた七段飾り。人形と調度がセットになったひな飾りは71組もあり、昭和、平成と時代の変遷に伴う流行を見ることができる。富山市にある介護老人保健施設「富山老人保健施設」では、これらを公開する「お雛(ひな)様ギャラリー」を1月29日から3月5日まで開催している。毎年、この時期になると寄贈・貸与として多くのひな人形が届く。持ち主が同施設に思い出の品を託す事情とは?

富山老人保健施設の「お雛様ギャラリー」について語る笹井千鶴子さん(左)と上口佳奈子さん
富山老人保健施設の「お雛様ギャラリー」について語る笹井千鶴子さん(左)と上口佳奈子さん

なぜ多くのひな飾りが集まるのか?

 富山老人保健施設は富山市南部にある入所・通所施設で、医療法人社団翠十字会が運営している。病院や地域包括支援センター、居宅介護支援事業所などを併設しているため、多くの高齢者や医療・介護関係者が訪れる。「お雛様ギャラリー」を担当する事務長の笹井千鶴子さん(69)と事務職員の上口佳奈子さん(42)に「なぜ、こんなに多くのひな人形が、集まってくるのか」と聞いた。

雛飾りが並ぶ施設内
雛飾りが並ぶ施設内

 笹井さんによると、初めてひな人形を展示したのは2005年2月ごろだった。当時の女性職員が私物のひな人形を持ってきて、利用者と一緒に飾り付けをした。それを見た訪問者が「うちのも飾ってほしい」と持参。さらにほかの職員も持ってくるなど、寄贈や貸与がどんどん増えた。

「高齢者施設は女性が多いので、ひな人形が並び、桃の節句が行われることで気持ちが華やぐ効果があると思います」

「お雛様ギャラリー」の歩みについて年表で紹介。手前は男びな・女びなと三人官女だけのひな飾り。住宅事情が反映されている?
「お雛様ギャラリー」の歩みについて年表で紹介。手前は男びな・女びなと三人官女だけのひな飾り。住宅事情が反映されている?

 地元紙などが展示について報じると、「飾ってほしい」という寄贈や、「ぜひ、見たい」という来場者が増えた。催しは「お雛様ギャラリー」として広まり、入居者と来場者がぜんざいや甘酒を味わって桃の節句を祝う恒例行事として定着していった。

 今年は甘酒といちご大福を手土産として渡し、完全予約制とすることで新型コロナウイルスの感染拡大に配慮している。ひな飾りも「3密」を避け、面会室に集中していた展示を廊下などに拡げた。また、窓際にひな飾りを置いて通りかかる人にも見てもらうなどの工夫を凝らしてある。

ロビーには大型のひな飾りを展示
ロビーには大型のひな飾りを展示

施設玄関横には訪問者に向けてひな人形を展示
施設玄関横には訪問者に向けてひな人形を展示

最古は95年前の七段飾り

 雛飾りには、持ち主の名字を付けて「〇〇雛」と表示し、生まれ年(購入した年)も紹介している。71組のうち、30組は寄付、41組は催しの間のみ貸し出されたもので、そのうち26組は職員の所有である。富山老人保健施設では「飾ってほしい」という要望に応えて雛飾りを取りに行き、展示後は返却もしている。

 最も古いものは七段飾りの「三羽雛」。95年の歴史があり、大正末期に作られたと考えられる。所有者の女性は1926年(大正15年・昭和元年)生まれで、併設する病院に入院しており、姪を通じて寄贈の依頼があった。三人官女、五人囃子、右大臣・左大臣、仕丁の下に並ぶ調度が見事である。昭和初期にはすでに、ひな飾りの定型があったことが分かった。

最も古い「三羽雛」。大正末期に作られたと考えられる
最も古い「三羽雛」。大正末期に作られたと考えられる

94年前の「大村雛」。宮殿が付いている
94年前の「大村雛」。宮殿が付いている

 次に古いのは94年前の「大村雛」。男びな、女びなは宮殿に入っており、御簾(みす)を上げて顔を見せている。40代の女性職員が、母の実家にあったひな飾りを寄贈した。母の姉が生まれた時に購入したもので、実家である寺でずっと大切に保管されていたらしい。

 80年前の「中田雛」も宮殿が付いている。ひな飾りだけでなく、七福神のような人形も併せて寄贈され、一緒に飾ってあった。寄贈の際、「鏡のカバーは母親の手作り」との説明を受けたそうだ。71年前の「浅井雛」も宮殿付き。階段や手すりなどの備品もある。

「古き良き時代」のひな人形は小ぶり

「元智雛」は57年前のもの。雅びな雰囲気で、女びなの髪飾りが豪華である。50年前の「竹内雛」は目にガラス玉が入った「入り目」で、人形の顔立ちが現代風になっている。金色の樹脂製の手すりが付いており、七段の台も大きい。50歳の筆者の家にあるひな飾りと同じ商品であり、1970年代に広く一般家庭に普及した汎用品であろう。半世紀以上前のひな飾りは「古き良き時代のお雛様」として一室にまとめて展示してある。上口さんは「古き良き時代」のひな人形のうち、小ぶりのものが好みだと話す。

50年前の「竹内雛」。七段飾りの中段以下には右大臣・左大臣や調度などが並ぶ
50年前の「竹内雛」。七段飾りの中段以下には右大臣・左大臣や調度などが並ぶ

「古き良き時代のお雛様」は小ぶりのものが多い。70年前の「島崎雛」
「古き良き時代のお雛様」は小ぶりのものが多い。70年前の「島崎雛」

ガラスケース入りのひな人形
ガラスケース入りのひな人形

「顔立ち、調度品、着物の色などから、ひな人形にも流行があると分かりました。昭和は七段飾りが主流ですが、平成に入ると住宅事情からか、三段や二段、男びな・女びなのみのガラスケース入りのものなどが多くなっています。着物がスモーキーな色味の人形も出てきました」

 男びな・女びなだけのものも、豪華な七段飾りも1組と数えている。調度品も含め1組で100点を超えるものも少なくない。ひな飾りだけではなく、ほかの人形や玩具なども併せて寄贈されるケースもある。備品などを合せると展示品はゆうに1000点を超える。

 例年、職員5人が1月中旬ごろから約2週間かけて、業務の合間を縫って飾り付けを行っている。箱から出して全てを定位置に据え、展示が終わった後はきちんと紙に包んで箱にしまう。作業はなかなか大変だが、笹井さんは「私たち、回を重ねて熟練してきました」と楽しげに話した。

「お雛様ギャラリー」に携わる職員ら
「お雛様ギャラリー」に携わる職員ら

亡くなった娘の供養にひな人形を飾る

「家に眠っているだけではもったいない」と多くのひな人形が託されるようになった。「印象に残った寄贈」があるという。

「先日、取りに行ったひな人形からは、本当に強い思いが伝わりました」と笹井さんが話し出したのは、富山市中心部に住む80代女性から引き継いだ男びな・女びなと三人官女のひな飾りについてのエピソードだった。

「ひな飾りを受け取りに行くと『娘は幼くして亡くなり、毎年(ひな飾りを)出すたびに思い出していました』と言われました。『夫が亡くなり、私も高齢になったので、飾ることができなくなりました。だから、どうぞお願いします』と。供養のためにひな人形を飾っておられたのですね。思いを受け継いでいきたいと思いました」

亡き娘の供養として大切に飾り続けられてきたひな人形
亡き娘の供養として大切に飾り続けられてきたひな人形

「娘が他家に嫁いだため、ひな飾りを活用してほしい」という依頼は多い。笹井さんは、ある女性から「一人娘のために夫が探して買ってきてくれたものです。転勤族だから、それを持って引っ越ししていました。ひな人形を見ると思い出が浮かびます」と言われ、家族の歴史を知ったそうだ。

「ひな人形には思い出と思い入れが詰まっていると分かりました。人と人とのつながりがある限り、手元に置いておきたいものです。『粗末にできない』との気持ちが『飾ってほしい』という依頼につながっているのだと思います」

 家族のありようが変わったことから、引き取ることになったひな飾りもある。笹井さんと上口さんは続けた。

「『離婚したので置いておくわけにいかない』と持ってこられたケースもありました。また、ごみ収集の仕事をしている男性から『捨ててあったけれど、きれいなままなので処分するには忍びない。報道で展示について知り、活用してもらえたらと思い届けた』という寄贈もありました。どんな事情があっても大切に保管し、毎年飾っています」

ごみ収集に携わる男性から持ち込まれたひな飾り
ごみ収集に携わる男性から持ち込まれたひな飾り

昭和・平成の時代、ひな人形は家の宝

 筆者も今春、二十数年ぶりにひな人形を飾った。すると上口さんから「なぜ、長い間しまってあったものを出す気になったのか」と質問を受けた。「昨年、父が亡くなり遺品整理を兼ねて家の中を片付け、飾るスペースができたから」「母が喜ぶと思ったから」「ひな人形を飾った日の家族の思い出を振り返りたいから」など、いくつかの理由を述べるうち「ゆくゆくは(ひな飾りの)引き取りをお願いしたい」という話になった。笹井さんはうなずき、こう話す。

「昭和・平成の時代、ひな人形は家の宝でした。ご高齢の方は認知症であっても、ひな飾りを見ると家族の思い出がよみがえります。コロナ禍で展示の形式は変えましたけれど、中止にはしたくありませんでした。施設にとっては大切な催しです」

 介護老人保健施設に集う71組のひな飾りの物語は悲喜こもごも。ひな人形の面差しがそれぞれ違うように、1組ずつに家族の歴史がある。面会室で歓談する女性と高齢の両親の姿は、娘の幸せを願った遠い記憶の中の桃の節句を再現していた。

面会室でひな飾りを見る親子
面会室でひな飾りを見る親子

※写真はすべて筆者撮影

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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