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<朝ドラ「エール」と史実>村野鉄男の失恋は実話? そして「福島行進曲」はどれくらい売れた?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

ようやく朝ドラの放送再開も決まりましたね。来月14日からだそうです。ぜひ、短縮や省略などしたりせず、当初の予定どおり放送してもらいたいと思います。

さて、再放送では、ついに裕一のレコードデビュー曲「福島行進曲」が完成しました。実際の古関裕而も、1931年6月、この曲でレコードデビューを果たしています。作詞者は、村野鉄男のモデル・野村俊夫。歌手は、ジャズシンガーの天野喜久代。またレコードのB面は、竹久夢二の詩に曲をつけた「福島小夜曲」でした。

ドラマでは、村野の恋が作詞のきっかけとなっています。結論からいうと、これはまったく架空です。おそらく「椿姫」のストーリーから作られたものでしょう。「椿姫」も、愛する男性のためにあえて身を引く女性の話だからです。

また「福島行進曲」のつぎのような歌詞も、ヒントになったものと考えられます。

胸の火燃ゆる宵闇に

恋し福ビル引き眉毛

  サラリと投げたトランプに

  心にや金の灯愛の影

出典:「歌詞カード」

このようなご当地ソングは、当時とても流行っていました。古関と野村も、それにあやかったわけです。

レコードはぜんぜん売れなかった

古関は、故郷に捧げるために、デビュー曲を「福島行進曲」にしたと振り返っています。

5月になると、私の第1回発売レコードの話がまとまった。そこで私は、かつて野村君と作った「福島行進曲」を吹き込むことにした。記念すべきデビュー曲なので、故郷に捧げるつもりでこの曲を選んだのである。

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』。一部表記を改めた。

それでは、この記念すべきレコードはどれくらい売れたのでしょうか。残念ながら、これはまったく鳴かず飛ばずでした。日本コロムビアに保存されている資料によれば、1500枚しか製造されなかったようです。つまり、売れたのはそれ以下ということになります。

これにたいして、木枯正人のモデル・古賀政男がほぼ同時期にリリースした「酒は涙か溜息か/私此頃憂鬱よ」のレコードは、最初こそ1800枚でしたが、その後売れに売れて、1942年1月の製造停止までに、なんと23万9376枚も製造されたと記録されています。このように、古関と古賀のあいだには、歴然とした差がついていたことがわかります。

ドラマでは省略されていますが、その後、古関は数々の曲を送り出します。あまり知られていませんが、満洲事変に際しては「満洲征旅の歌」、第一次上海事変に際しては「肉弾三勇士の歌」という軍歌まで作っています。ところが、どれも当たらず。結局、1934年の「利根の舟唄」、1935年の「船頭可愛や」まで、かなり苦しい作曲生活を強いられることになります。

ですので、古関のデビュー曲がここまで注目されたのは、歴史上はじめてでしょう。「福島行進曲」は約90年のときを超えて、ようやく大勢の聞き手を手に入れるにいたったのです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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