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<朝ドラ「エール」と史実>「自分の地位を脅かすのではないか」実在の山田耕筰も古関裕而を恐れていたのか

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:アフロ)

再放送中の朝ドラ「エール」では、故・志村けんが演じる小山田耕三が初登場。モデルはもちろん、日本洋楽界の大御所・山田耕筰です。

エールの公式サイトによれば、小山田は、主人公・裕一の才能を認めつつも、その「活躍が自分の地位を脅かすのではないかと恐れている」とあります。実際、のちのエピソードで、声楽家の双浦環よりそのことを指摘される場面がありました。これもまた、史実を踏まえたものなのでしょうか。

「自分より優れた作曲家が居るとの印象を世間に与えることは避けたかった」?

「恐れた」説をたどると、つぎの文章にたどりつきます。声楽家の藍川由美氏が、生誕100年記念のCD集『国民的作曲家 古関裕而全集』に寄せた解説文です。

以前より、福島の古関は山田に習作を送り、添削して返送して貰うなどしていた。山田からみれば旧知の青年が書いたオーケストラ曲がイギリスのコンクールで第二位になったというわけだ。日本の楽壇の牽引者を自負する山田としては、自分より優れた作曲家が居るとの印象を世間に与えることは避けたかったはずで、官学派としても、古関を商業音楽の世界に封じ込められればテリトリーを侵されずに済む。山田は古関に、日本では大編成のオーケストラ曲は滅多に演奏されないので、簡単に演奏できる歌を書いた方がよいと助言し、日本コロムビアに推薦したそうだ。

出典:「古関裕而の音楽について」

山田は、古関の才能を恐れて、彼をクラシックの世界より遠ざけたというわけです。とはいえ、語尾に「はず」「そうだ」とあるように、この説はあくまで推測にとどまります。「恐れた」説に、確たる根拠が具体的にあるわけではないのです。

「先生と同じ血が流れているのではないかと……」

山田を必要以上に意識していたのは、むしろ古関のほうでしょう。若いころの傾倒ぶりを、自身でこう振り返っています。

当時発行される先生の楽譜はほとんど空で覚えていた。作曲する時は、自然と先生の旋律が浮かんできた。知らず識らずのうちに先生の作風を模倣していた。いつの間にかゆったりとした日本的で、抒情的な美しい音楽が、私の中にすっかり入り込んでいたのだった。五線譜の上に並んだ音符をたどると、先生の心情が伝わってきた。すっかり山田先生の音楽に傾倒していった私の中には、先生と同じ血が流れているのではないかとひそかに思ってみたりした。

出典:『鐘よ鳴り響け』

「同じ血が」云々は、かなり大胆な空想ですね。そのいっぽうで、ドイツに留学し、日本人ではじめて交響曲を書き、ニューヨークのカーネギーホールで演奏会も成功させた山田が、いかに優秀とはいえ、親子ほど年齢が離れた、田舎の一青年を恐れていたとはやはり断定しにくいでしょう。

ドラマはフィクションなので構いませんが、史実ではかならずしも定説になっていないということは、ここで強調しておきたいと思います。山田は、いろんな意味で、もっと大物だったのです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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