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「大蛇」が伝える地震の記憶

田中森士ライター・元新聞記者
横ずれによってクランク状となった畑のあぜ道(筆者撮影)

クランクのように不自然な形状のあぜ道を見るため、ここには何度か足を運んでいる。国の天然記念物に指定されている、熊本県益城町の布田川断層帯(堂園地区)。5年前に発生した熊本地震で180mにわたり表出した横ずれ断層だ。

すぐそばには池がある。名を堂園池という。池の脇には「平成二十五年四月 益城町教育委員会」と書かれた立派な看板が立つ。熊本地震の発生が平成28(2016)年4月なので、その3年前に製作されたことが分かる。

看板にはこう書かれている。「大蛇伝説と辻ヶ峰」。この地に伝わる民話だ。

「大蛇伝説」について書かれた看板(筆者撮影)
「大蛇伝説」について書かれた看板(筆者撮影)

堂園の南側の山中にある「蛇ヶ谷」に、胴の大きさが大型の甕(かめ)ほど、長さは27メートルほどの大蛇が住んでいた。村の人は恐ろしくて家から出ることもできなかったため、次第に田畑も野原も荒れ果て、(村の人たちは)困っていた。

ある時、この村に旅のお坊さんが立ち寄った。大蛇を鎮めるべく、お経を唱えると、大蛇はおとなしくなり、これまでの罪滅ぼしにと池を掘った。掘り上げた土は、積もり積もって「辻ヶ峰」と呼ばれる小高い山となった。大蛇が「とぐろ」を巻くかのように掘った池は、ひょうたんの形になった。

大蛇は池の主となり、この池を守っていた。ある時、大蛇が河原(西原村)の「浜ん谷」に住む嫁(大蛇)に会いに行く際、ちょうど大矢野で山焼きがおこなわれており、2匹とも焼け死んだ。かわいそうなことをしたなあ。

(同町教育委員会の標準語まとめを筆者が一部加工)

東西百数十メートルの農業用ため池である堂園池には、蓮が自生している。夏には縁がピンクの、白い花を楽しめる。筆者が訪れた3月、蓮は「枯れ蓮」となっていた。水も濁っており、大蛇伝説のことが頭にあると、本当に蛇が出てきそうな気がしてくる。

「大蛇伝説」の舞台・堂園池(筆者撮影)
「大蛇伝説」の舞台・堂園池(筆者撮影)

話を横ずれ断層に戻そう。横ずれの変位量は2.5メートルで、熊本地震の横ずれの変位量としては最大であったという。それが「クランク」を生み出したわけだが、布田川断層帯の説明看板には、今回の地震で表出した地表地震断層をよく見ると「大蛇の通り道」に見えてくると書かれている。

説明に従いクランクを見つめてみる。確かに「大蛇の通り道」に見えなくもない。

この断層帯では、7300年前から現在までに、2~3千年周期で大地震が起きていたという。布田川断層帯の説明看板はこう結んでいる。

「過去にも起きたであろう大地震を経験した先人たちは、当時の記憶を私たちに民話という形で伝えようとしたのではないでしょうか」

もちろん、真偽は不明である。しかし、ストーリーがあると、受け手の印象に残りやすくなることは事実だ。津波など災害に関する民話は日本各地に残る。こうした民話からは「悲劇を繰り返さないように」という先人たちの思いが伝わってくる。

あぜ道は本来、元の形状に復旧されるはずである。しかし、「地震の記憶」を後世に伝えたいという土地所有者らの意向もあり、地震発生直後の状態で保存されているという。横ずれ断層が語る熊本地震の「記憶」は、大蛇伝説と同じように後世に伝えられていくのだろう。

ライター・元新聞記者

株式会社クマベイス代表取締役CEO/ライター。熊本市出身、熊本市在住。熊本県立水俣高校で常勤講師として勤務した後、産経新聞社に入社。神戸総局、松山支局、大阪本社社会部を経て退職し、コンテンツマーケティングの会社「クマベイス」を創業した。熊本地震発生後は、執筆やイベント出演などを通し、被災地の課題を県内外に発信する。本業のマーケティング分野でもForbes JAPAN Web版、日経クロストレンドで執筆するなど積極的に情報発信しており、単著に『カルトブランディング 顧客を熱狂させる技法』(祥伝社新書)、共著に『マーケティングZEN』(日本経済新聞出版)がある。

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