野村克也氏も出席のOB会 廃部から13年。未だに熱く繋がるシダックスと野球の幸せな関係

野村克也元監督と志太勤会長(筆者撮影/一般財団法人日本中学生野球連盟設立式典)

 2月3日、都内でシダックス野球部OB会が開催された。シダックス野球部は2年間軟式野球部で活動した後、1993年に日本野球連盟に加盟。94年からは当時の国際大会で最強の名を欲しいままにしていたキューバ人の選手・監督を招聘。99年には日本選手権優勝し、2003年にはプロ野球界でも屈指の名将である野村克也監督のもと都市対抗準優勝も果たした。さらにプロ野球界にも武田勝(元日本ハム・現BCリーグ石川監督)ら9選手を輩出するなど、2006年の廃部までわずか14年の活動にもかかわらず大きな足跡を残した伝説的なチームだ。

 廃部から5年後の2011年から始まったOB会は今年で9回目。開催が例年の1月ではなく2月にずれ込んだため「チームのキャンプ等で例年より少ない」(関係者)としながらも約30名もの当時の選手・チア・マスコット・後援会メンバーらが集まり、志太勤取締役最高顧問や野村氏らとともに再会を楽しんだ。

 

準優勝秘話 名将の迷い

 会の冒頭では現役時代は捕手として活躍し、昨年の明治神宮野球大会で大学日本一を果たした立正大の坂田精二郎監督に志太氏から「志の鐘」が送られた。この鐘は“成功は「志」の強さで決まる”とする志太氏の思いが込められたもので、坂田監督も満面の笑みで受け取った。

 坂田監督以外にも指導者として活躍するOBは多く、昨年中央学院(千葉)を春夏連続の甲子園初出場に導いた相馬幸樹監督、甲子園4強入りや侍ジャパンU-18 代表コーチの経験もある関東一(東京)の米澤貴光監督、明治神宮大会準優勝に導いた桜美林大・津野裕幸監督もシダックス野球部のOBだ。

志太氏から志の鐘を送られる立正大・坂田監督(筆者撮影)
志太氏から志の鐘を送られる立正大・坂田監督(筆者撮影)

 また、野村氏を中心にあと一歩で優勝を逃した2003年都市対抗野球大会決勝でのエピソードにも花が咲いた。

 野村監督就任1年目のシダックスは快進撃を続け決勝戦に進出。三菱ふそう川崎(現在解散)に6回を終えて3対0のリード。だが、大会を通して大車輪の活躍を見せていたエース野間口貴彦(現巨人スカウト)に疲れが見えていた。ここで迷いが生じたと、会の終盤の挨拶で野村監督は振り返った。

「ネット裏をパッと観ると山本英一郎会長(当時日本野球連盟会長)の顔が“去年までプロにいた人間がいきなり勝つなんて、とんでもない”と見えました。野間口が連投、連投だったので7回でスパッと変えようとも思ったのですが、そんなこともあって腹をくくりました」

 これが相手に隙を与えることになった。7回に集中打や四死球、スクイズで5点を奪われて逆転を喫すると、最終回に1点を返すも4対5で敗戦。視界に入っていた優勝は掴めなかった。

「志太会長には悪いことをしました。“優勝していいのかな?”なんて…そんなバカなことを考える監督がいますかね?選手に無言で伝わっていくんですね。監督の迷いはチームに大きな影響を及ぼす。正しい考えを持たないと、とんでもないことになる。大きな教訓としてその後に生かされました」

当時の思い出を語る野村氏(筆者撮影)
当時の思い出を語る野村氏(筆者撮影)
野村氏は「話が長くなってしまいました...。おい梅沢、俺の話を早く止めろ」と当時マネージャーだった梅沢直充氏を呼び出すと笑いが起き、挨拶を締めた(筆者撮影)
野村氏は「話が長くなってしまいました...。おい梅沢、俺の話を早く止めろ」と当時マネージャーだった梅沢直充氏を呼び出すと笑いが起き、挨拶を締めた(筆者撮影)

現在も繋がる野球との深い絆

 またその後の二次会でもこの試合の話題が挙がり、当時内野手の野口晃生が舞台裏を明かした。

「僕、決勝スクイズを許す前に野村監督にベンチで“この打者、スクイズあるか?”って聞かれたんです。代打の石塚信寿とローソン(前年廃部)でプレーしていましたからね。僕は彼のバントなんて見たこと無かったから“無いです”と。そしたらいきなり初球で・・・」

 宴席には大きな笑いが起きた。その後も様々な思い出話や現況を語らい合う時間は各自の終電時間ギリギリまで続いた。それは「(当時)野球の話で取っ組み合いのケンカになることもあった」というほどの熱量を持った中で青春を謳歌した者たちの切れることの熱い絆を感じさせるものだった。

 志太氏も各テーブルで止まぬ野球談義や思い出話に誰よりも目を細めていた。そしてOB会の最後にマイクを握り、全出席者に語りかけた。

「年1回こうして、みんなが集まってくれて本当に嬉しい。“元気に生きていますよ”と、皆さんが話してくれて嬉しいです。これはずっと続けていきます。こんな素晴らしい仲間はいない。野村さんを中心にして、今までの人生のことを考えながら新しい人生を歩んでいきましょう」

 野球部は野村監督が楽天の監督に転身が決まった1年後の2006年を持って活動を終了しているが野村氏から「志太さん、もういっぺんやりましょうよ」と語りかけるなど復活を願う声は少なくない。一方で廃部には野村監督の退任だけでなく、インフラを中心とした日本屈指の大企業を相手に頂点を狙うには膨大な予算がかかり「この会社の規模でこれ以上の投資は危険」と判断した経緯もあるだけに志太氏は慎重な姿勢だ。

 一方で現在は中学野球の振興に力を注いでいる。自身が軟式から硬式にボールを握りかえた高校時代に怪我を負い、野球で日本一となる夢を絶たれただけに通称Kボール(その後KWBボールに改称)の全国大会を毎年開催。

 これは軟球と硬球の中間にあたるボールであり、今後はワールドラバーボールの名称で世界に広めていく構想を、故・山本英一郎会長との約束(次回詳述)もあり持っている。昨年には2001年から続けてきた全国大会を「全国中学生都道府県対抗野球大会」として発展させ、中学野球にとって画期的な取り組みも多く含んだ大会を開催したのであった。

志太氏や野村氏を出席者全員で囲み記念撮影。野球を通じて生まれた絆は今も深く結ばれている(筆者撮影)
志太氏や野村氏を出席者全員で囲み記念撮影。野球を通じて生まれた絆は今も深く結ばれている(筆者撮影)

次回「中学生版甲子園」の実現、軟式球児に夢を

最速150キロを投じる森木大智(高知中)も出場した全国中学生都道府県対抗野球大会※次回記事で詳述(筆者撮影)
最速150キロを投じる森木大智(高知中)も出場した全国中学生都道府県対抗野球大会※次回記事で詳述(筆者撮影)