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日本における武器の輸出・国際共同開発について ー武器輸出三原則と防衛装備移転三原則ー

田上嘉一弁護士/陸上自衛隊三等陸佐(予備)
F-35戦闘機(写真:ロイター/アフロ)

はじめての日英ミサイル共同開発

 小野寺五典防衛相は24日の記者会見で、日英両政府による戦闘機に搭載する空対空ミサイル(AAM)の共同研究について「2017年度をもって一定の終了とする。18年度は試作品をつくって性能の評価をする」と発表しました。 日英両政府は12月14日に英ロンドンで開く外務・防衛担当閣僚級協議(2プラス2)でAAM開発に向けた連携を確認し、共同文書に明記する予定とのことです。

 今回、日英で共同開発に取り組んでいるのは、F-35戦闘機用のAAMミサイル(JNAAM)です。このミサイルは、「ミーティア」という名前がつけられており、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、スウェーデンの資本が入った合弁企業であるMBDAで開発されたものです。ミーティアは、射程100km以上、マッハ4の速度で飛翔し、徐々に速度を落としながら目標に到達します。このようにミーティアはとても高性能なのですが、一方で、タレス社製のシーカーが搭載されており、命中率においてアメリカのAIM−120に劣るという評価でした。

 そこで、このミーティアに、高性能と定評のある、三菱電機製AESAレーダー(フェイズド・アレイ・レーダー)を搭載するという案が出たわけです。この、三菱電機製AESAレーダーは、F-15J戦闘機に搭載されているミサイルAAM4(99式空対空誘導弾・射程120km)に使用されています。これが実現すれば世界有数の射程距離のミサイルに、高い命中精度が加わることになります。まさに鬼に金棒。

 第二次世界大戦のころと違い、現代の航空戦は、先に相手を見つけたほうが離れた距離からミサイルで撃墜する「ファーストルック・ファーストキル」です。ミサイルに搭載したレーダーの性能がとても重要なのです。

 アメリカ以外との攻撃型兵器の共同開発は初めてであり、準同盟国に位置付ける英国とのAAM開発は日本の防衛装備政策の大きな転換点となることでしょう。

 共同開発・試作が完了した後、23年度には実射実験を行って飛距離や命中精度を検査し、量産配備に向けて進めるという予定のようです。そして、実際に配備するにあたっては、航空自衛隊の最新鋭機F-35、そして場合によってはドイツやフランスへの輸出も視野に入れています。

武器輸出三原則とは

 さて、これまで日本には武器輸出三原則があり、武器の輸出や国際共同開発を事実上行うことができませんでした。したがって、今回のようなイギリスとの間でミサイルを共同開発することは行えなかったわけです。それでは、なぜ今は国際共同開発が認められているのでしょうか。

 少し歴史を振り返ってみましょう。大東亜戦争に敗れた日本は、GHQの占領下に入り、一切の武器の製造を禁止されます。しかし、1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まると、共産圏諸国に対抗するために、日本を活用する方向へアメリカは戦略転換を行い、その一環として1952年(昭和27年)には許可制による武器製造が再び認められるようになります。日本は駐留軍への武器提供を求められたわけです。翌年には、早速タイに向けて戦車砲弾5万発が輸出されています。

 続いて、1967年(昭和42年)には、東京大学の糸川教授によるペンシルロケットの技術を、インドネシアやユーゴスラビアへ輸出する計画が持ち上がります。しかし、結果的にこの技術は武器に転用されるおそれがあるとして、平和憲法の精神からこのような軍事技術の輸出は見送られることとなりました。このとき4月21日の衆議院決算委員会において野党からの追及に対して、佐藤総理大臣が表明したのが、「武器輸出三原則」です。

 その内容は、(1)共産国、(2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国、(3)国際紛争当事国又はそのおそれのある国に対しては、武器輸出を認めないというものでした。

 その後、1973年(昭和48年)に起きたオイルショックによる石油価格の急騰を受けて、国際経済は長期に渡って経済的不況とインフレ状況に陥ります。ここでも防衛産業界からは、海外に需要を求めて武器輸出三原則の緩和を求める声が高まっていきました。1975年(昭和50年)に召集された第77回国会では、武器の定義を巡って議論が巻き起こり、救難飛行艇US-1やC-1輸送機など戦闘用ではない航空機が武器に該当するかどうか、通産省と野党との間で論戦が繰り広げられました。最終的には、2月27日の衆議院決算委員会にて、三木内閣が次のような政府統一見解を表明します。

「武器」の輸出については、平和国家としての我が国の立場から、それによって国際紛争等を助長することを回避するため、政府としては、従来から慎重に対処しており、今後とも、次の方針により処理するものとし、その輸出を促進することはしない。

(1) 三原則対象地域については、「武器」の輸出を認めない。

(2) 三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎むものとする。

(3) 武器製造関連設備(輸出貿易管理令別表第1の第109項など)の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。

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 これにより、佐藤内閣が示した三原則の対象地域外に対しても、武器輸出は「慎む」こととなり、事実上の武器の全面禁輸というかたちとなりました。

 さらに、1981年(昭和56年)には、大阪の商社、掘田ハガネが韓国の兵器メーカーに武器半製品を輸出していたことが発覚します。これを受けて3月20日の衆議院本会議、3月30日の参議院本会議では、「武器輸出について、厳正かつ慎重な態度をもって対処する」ことを求める等の武器輸出規制をより徹底させる旨の「武器輸出問題に関する決議」が全会一致で採択されました。

 このように、60年代から80年代初頭にかけては、憲法の理念に基づき、武器自体の輸出はもちろんのこと、武器関連技術の輸出や共同開発についても行わず、軍事施設工事の請負も行わないといったようなかたちで、より厳格な方向へ規制が進む一方でした。日本の防衛産業側は、たびたび海外への武器輸出を要望しましたが、これを制したのは国民世論と社会党を中心とした野党の存在でした。もっとも、まだ当時は冷戦構造が続いているため日本独自の安全保障戦略を持つ必要がなく、それでいてベトナム戦争などを横目に眺めつつ、戦後における平和の理念を押し通すことが可能だったともいえます。いずれにしても、結果的にみれば、この方針こそが日本を戦争に巻き込むことなく戦後の平和維持に役立ったといえるでしょう。

外為法の条文を読んでみる

 もっとも、これらは法律に明文化されているわけではなく、あくまで、外国為替及び外国貿易法(外為法)そしてそれに基づく政省令の運用の指針として位置づけられているにすぎませんでした。

 外為法48条1項は、「国際的な平和及び安全の維持を妨げることとなると認められるものとして政令で定める特定の地域を仕向地とする特定の種類の貨物の輸出をしようとする者は、政令で定めるところにより、経済産業大臣の許可を受けなければならない。」と定めており、これを受けて輸出貿易管理令別表第1の1で、許可対象となる武器がリストアップされています。

(一) 銃砲若しくはこれに用いる銃砲弾(発光又は発煙のために用いるものを含む。)若しくはこれらの附属品又はこれらの部分品

(二) 爆発物(銃砲弾を除く。)若しくはこれを投下し、若しくは発射する装置若しくはこれらの附属品又はこれらの部分品

(三) 火薬類(爆発物を除く。)又は軍用燃料

(四) 火薬又は爆薬の安定剤

(五) 指向性エネルギー兵器又はその部分品

(六) 運動エネルギー兵器(銃砲を除く。)若しくはその発射体又はこれらの部分品

(七) 軍用車両若しくはその附属品若しくは軍用仮設橋又はこれらの部分品

(八) 軍用船舶若しくはその船体若しくは附属品又はこれらの部分品

(九) 軍用航空機若しくはその附属品又はこれらの部分品

(十) 防潜網若しくは魚雷防御網又は磁気機雷掃海用の浮揚性電らん

(十一) 装甲板、軍用ヘルメット若しくは防弾衣又はこれらの部分品

(十二) 軍用探照灯又はその制御装置

(十三) 軍用の細菌製剤、化学製剤若しくは放射性製剤又はこれらの散布、防護、浄化、探知若しくは識別のための装置若しくはその部分品

(十三の二) 軍用の細菌製剤、化学製剤又は放射性製剤の浄化のために特に配合した化学物質の混合物

(十四) 軍用の化学製剤の探知若しくは識別のための生体高分子若しくはその製造に用いる細胞株又は軍用の化学製剤の浄化若しくは分解のための生体触媒若しくはその製造に必要な遺伝情報を含んでいるベクター、ウイルス若しくは細胞株

(十五) 軍用火薬類の製造設備若しくは試験装置又はこれらの部分品

(十六) 兵器の製造用に特に設計した装置若しくは試験装置又はこれらの部分品若しくは附属品

(十七) 軍用人工衛星又はその部分品

 さらに、外為法25条1項は、「国際的な平和及び安全の維持を妨げることとなると認められるものとして政令で定める特定の種類の貨物の設計、製造若しくは使用に係る技術(以下「特定技術」という。)を特定の外国(以下「特定国」という。)において提供することを目的とする取引を行おうとする居住者若しくは非居住者又は特定技術を特定国の非居住者に提供することを目的とする取引を行おうとする居住者は、政令で定めるところにより、当該取引について、経済産業大臣の許可を受けなければならない。」と定めており、これを受けて外国為替令別表第1項で輸出許可品目名を規定しています。

輸出貿易管理令別表第一の一の項の中欄に掲げる貨物の設計、製造又は使用に係る技術

 その他にも、日本が加盟している国際輸出管理レジームである、「ワッセナー・アレンジメント」「原子力供給グループ(NSG)」、オーストラリア・グループ(AG)」、「ミサイル技術管理レジーム(MTCR)」とリンクしたかたちで武器や武器技術もそれぞれ輸出貿易管理令(別表第1の2以下)、外国為替令(別表第2項以下)で列挙しています。

武器輸出三原則の緩和

 このように1970年代までは非常に厳格に武器輸出は禁じられてきました。翻ってみれば、この頃が戦後憲法に基づく平和主義の理念がピークに達していた時期といえるかもしれません。

 しかし、1980年代に入り、英米がそれぞれサッチャー、レーガンという保守的路線に入っていくと、日本もその流れとは無縁ではいられなくなります。1983年(昭和58年)になると、中曽根内閣は、米国政府から日米間の防衛分野における技術の相互交流の要請を受け、対米国については武器輸出三原則等の例外として対処する方針を固めます。

 一度緩和された武器輸出三原則等は、次々と例外事例を生み出し、2013年(平成25年)までに実に21件もの例外化措置が実施されています。

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 また、民主党野田政権は、これまでの個別の例外化措置を改め、「防衛装備品等の海外移転に関する基準」を設けました。(1)平和貢献・国際協力に伴う案件、(2)我が国の安全保障に資する防衛装備品等の国際共同開発・生産に関する案件については、包括的に例外化措置を認めることとなります。

 さらに、2012年(平成24年)4月には、野田首相は、英国のキャメロン首相と首脳会談を行い、装備品共同開発、化学防護服性能評価方法に関する共同研究開始の合意を交わしています。

防衛装備移転三原則ー安倍内閣によるパラダイムチェンジ

 平成26年4月1日、第二次安倍内閣は、国家安全保障会議及び閣議において、武器輸出三原則等を変更し、「防衛装備移転三原則」を決定しました。

 この新三原則により、これまでの武器輸出三原則は改められ、日本の安全保障に役立つなどの条件を満たせば輸出や共同開発が認められるようになりました。冒頭に書いた日英における空対空ミサイルの共同開発は、この新三原則によって可能となったわけです。

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第一原則

 その内容を具体的に見ていくことにしましょう。まず、第一原則として、以下の場合には防衛装備品の移転を行うことは認められません。

  • 締結した条約等の義務に違反する場合
  • 国連安保理決議に違反する場合
  • 紛争当事国への移転となる場合

 日本は、クラスター爆弾や、化学兵器、対人地雷について禁止条約を締結していますから、これらの武器を移転することはできません。続いて、国連安保理決議に違反する場合にも認められないので、北朝鮮、イラン、イラク、ソマリア、リベリア、コンゴ民主共和国、スーダン、コートジボワール、レバノン、エリトリア、リビア、中央アフリカなどに武器輸出をすることはできません。そして、紛争当事国に対しても同様です。もっともここでいう、「紛争当事国」とは、「武力攻撃が発生し、国際の平和及び安全を維持し、又は回復するため、国連安保理がとっている措置の対象国」を指しており、これは現時点では存在しないこととなっています。したがって、アフガニスタンやシリアにも武器輸出をすることは、理論上は可能ということになってしまいます。

第二原則

 次に、第二原則として、(1)平和貢献・国際協力に資する場合と(2)日本の安全保障に資する場合、(3)我が国の安全保障上の観点から影響が極めて小さいと判断される場合には、防衛装備品の移転が認められます。

 そして(2)には、我が国との間で安全保障面での協力関係がある諸国との国際共同開発・生産、我が国との安全保障面での協力関係がある諸国との安全保障・防衛協力の強化、装備品の維持を含む自衛隊の活動・邦人の安全確保のために必要な輸出などが例として挙げられています。

第三原則

 最後に、第三原則として、移転先による適正管理の確保が挙げられます。具体的には、目的外使用や第三国移転の際は日本の事前同意を義務付けることが示されています。もっとも、以下の場合、仕向先の管理体制の確認をもって適正な管理を確保することも可能です。

・平和貢献・国際協力の積極的推進のため適切と判断される場合

・部品等を融通し合う国際的なシステムに参加する場合

・部品等をライセンス元に納入する場合

・移転される防衛装備の相手国への貢献が相当程度小さい場合

・自衛隊等の活動、邦人保護に必要な場合

・我が国の安全保障上の観点から影響が極めて小さいと判断される場合

 これらの審議は国家安全保障会議で行うこととされています。また、国家安全保障会議で運用方針を定め、審査体制・手続き・審査基準等について明確化し、そして、年次報告書の作成、NSC審議案件の情報公開等を通じ、透明化の向上を確保に務めることが規定されています。

 このようにこれまでの武器輸出三原則を安倍内閣は大きく変更しました。もっとも、その端緒は野田政権の包括例外化にあったともいえます。決して自民党安倍政権だけがその方向に舵を切ったわけではありません。この点において、集団的自衛権を認めた安全保障法制とは大きく異なるといえるでしょう。

武器輸出・共同開発を行うメリットは何か

国際共同開発が世界の潮流

 このように政府が武器輸出三原則を見直す背景には何があるのでしょうか。そこには武器をめぐる国際情勢の変化があります。第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国は防衛装備の共同開発を進めていきました。そして冷戦が終結すると、世界的に国防予算は縮小する一方で、ステルス化、超音速巡航、統合アビオニクス、情報化、目標追尾技術など性能の高度化・ハイテク化が進み開発費・製造費は高騰し続けています。もはや、一国のみで武器を開発する時代は終わりを告げ、複数国が集まって共同開発することによって経費を抑えつつ、安全保障を図るのが国際的な潮流となっているのです。

 ユーロファイター・タイフーンは、イギリス、ドイツ、イタリア、スペインの共同開発であり、F-35はアメリカ、イギリス、オランダを始めとする9カ国で共同開発を行っています。さらに無人機であるユーロホークはアメリカとドイツが、MIDS通信システムはアメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、スペインが、それぞれ共同で開発を行いました。

 装備品を共通化することは、相手国との情報連携、補給の効率化にも役立ちます。何より、武器を共同開発した国家間においては、相互に同盟意識が高まり、互いに軍事的緊張を引き起こす可能性も大いに低減されるのです。このような現状に鑑みると、こうした枠組に参加しないことは調達コストの上昇を招くだけではなく、安全保障面において孤立するという事態に陥る可能性すらあるわけです。

防衛産業の保護育成

 さらに、こうした武器の輸出解禁、共同開発は自国の防衛関連産業を支援することにもつながります。日本の防衛産業の市場規模は、約1.9兆円。しかし、売上高に対する防衛産業の割合(防需依存度)をみると、日本屈指の防衛産業である三菱重工が6%、川崎重工は13%、三菱電機は2%、NECは3%といった具合で、非常に小さな割合を占めているに過ぎないことがわかります。他方で、国際的な防衛産業であるボーイング、ロッキード・マーティン、BAEシステムズ、ノースロップ・グラマン、ジェネラル・ダイナミクス、レイセオンといった巨大な企業たちは、売上高の大きさもさることながら、軒並み70-90%という高い防需依存度を示しています(ボーイングは少し低く、30-40%程度)。国内の防衛産業では、膨大な開発研究費をかけて製造しても、納品先は防衛省のみ。単年度調達に基づく少量受注生産のため、どうしても高コスト化し、低収益性を強いられています。例えば、現在陸上自衛隊の制式自動小銃である89式自動小銃ですが、各年度の調達数はおよそ3,000丁程度に過ぎず(2005年度以降は倍くらいに増えています)、これまでに143,223丁が調達されているものの、未だにすべての自衛官に行き渡っていないという状況なのです。89式自動小銃が正式採用されたのは、その名の通り、1989年(平成元年)のことですから、なんと30年近くも前の銃ということになります。さらに、その前の自動小銃というと64式自動小銃なので、50年前の製品になってしまいます。これは戦車についても同様で、最新式の10式戦車の配備が進んでいますが、こちらも30年近く前の車両である90式戦車が未だに主力であり、最後の調達が終わったのは2013年(平成25年)のことです。その上、戦車や戦闘機の調達数量は、近年減少の一途を辿っているのです。このように少数生産していては、コストが高くなるだけではなく、調達して配備が終わる頃にはすっかり型遅れとなってしまうこともありえるのです。

 また、原価計算方式によって予め計算した原価を元に予定価格を算定しているのですが、実際にかかった原価が当初予定の原価を下回ったとしても、その分は減額・返納しなければなりません。すなわち、企業努力によってコストダウンを図っても、企業はその果実を手にすることができないわけです。

 結果として、防衛産業は企業内における不採算部門となっていますが、「戦前から続いているのだから」、「お国のためだから」といったような滅私奉公の精神で、武器・防衛装備品を受注しているのが現状なのです。

 しかし、あくまで資本主義社会における営利企業である以上、そういった義理人情だけでは到底続けられません。2003年以降だけみても戦車関連企業のうち22社が撤退、戦闘機関連企業のうち16社が撤退を余儀なくされています。いつまでもこのように民間企業に負担を背負わせ、その温情に甘えているような状況では、産業自体が育成されず、結果的にそれは国防を危機に陥れかねません。

 これに対し、防衛産業まるごと外国に依存するという選択肢もあるでしょう。しかし、国防上・機密上の理由から海外からの入手が困難な技術もやはりあります。また、一度失われた技術を取り戻すのには膨大な時間がかかります。いざ、自国で防衛装備を開発する必要性が生じても、すぐに対応できるわけではありません。長期的にみて自国に防衛技術を保ちつづけることは、戦略として合理的であると考えます。

 そして、日本の武器・防衛装備品はこれまでアメリカに大きく依存してきました。ここでアメリカ以外の準同盟国と共同開発することは、武器の供給をアメリカに過度に依存しないための有効な方策となる可能性があります。

最後に

 このように、武器の輸出・共同開発は、日本の安全保障のために重要な政策となる可能性があります。国家の政策はイデオロギーではなく、あくまで技術的、専門的な観点から判断されるべきです。どちらがより合理的に国を守ることができるか、徹底したリアリズム以外に判断基準はありません。先の大戦では、このような姿勢の欠落こそが、敗戦という結果を招いたことであることを我々はよく考えるべきだと考えます。

弁護士/陸上自衛隊三等陸佐(予備)

弁護士。早稲田大学法学部卒、ロンドン大学クィーン・メアリー校修士課程修了。陸上自衛隊三等陸佐(予備自衛官)。日本安全保障戦略研究所研究員。防衛法学会、戦略法研究会所属。TOKYO MX「モーニングCROSS」、JFN 「Day by Day」などメディア出演多数。近著に『国民を守れない日本の法律』(扶桑社新書)。

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