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専門家は「わかったような気にさせてくれる」ことに意義がある

橘玲作家
ベルギー戦の試合終了後にサポーターに挨拶する日本選手・スタッフ(筆者撮影)

「おっさんジャパン」「思い出づくり」とさんざん酷評されていたサッカー日本代表ですが、ワールドカップ・ロシア大会のベスト16で強豪ベルギーをあと一歩のところまで追いつめる善戦を見せ、日本じゅうを沸かせました。大会前に「1勝すらできない」と断言していたサッカー評論家は、慌てて「手のひら返し」に走っています。なぜ彼らは間違えたのでしょうか?

じつはその理由はすでに明らかになっていて、予想を外したサッカー評論家を責めてもしかたありません。なぜなら、あらゆる分野において専門家の予想は当てにならないからです。

この不都合な事実は、株式投資の予測において繰り返し検証されています。どの銘柄が値上がりするかの専門家の予測は、壁に貼った銘柄一覧にサルがダーツを投げたのと同じ程度にしか当たらないのです。

しかしこれは、“サル並み”であるだけまだマシです。経済予測の分野では、ほとんどの専門家がリーマンショックのような重大な出来事をまったく予想できません。なぜ“サル以下”になってしまうかというと、「今年は去年と同じで、来年も今年と同じ」と考えるからです。経済には粘性がありますからこの予想はかなりの確率で当たりますが、その代償として景気の転換点を(ほぼ)確実に外してしまうのです。

サッカーのようなスポーツ競技では、「世間の空気を読む」影響もありそうです。

4年前のブラジル大会でザックジャパンは「史上最強」といわれ、ひとびとの期待は大きく高まりました。こんなときに「グループリーグを突破できるわけがない」などといえば、「選手の足を引っ張るのか」と格好のバッシングの対象となるでしょう。

一転して今回は、突然の監督交代と大会前の練習試合の低調なパフォーマンスもあり、「どうせダメ」というネガティブな空気が支配していました。そのなかで「ベスト8も目指せる!」などと強気の予想をすれば、「素人以下」とバカにされるのは目に見えています。あとから「手のひら返し」と批判されようと、みんなと同じことをいっていたほうがはるかに賢いのです。

だとしたら、専門家の意義はどこにあるのでしょうか。それは、素人が漠然と感じていることを言語化する能力です。

高級な赤ワインを飲んでも、素人は「いつものテーブルワインとはちょっとちがう」という感想しか持てません。そこでソムリエが、「エレガントな味わいでミネラル感が強く、かすかにナッツの香りがする」などと説明すると一気に納得感が増します。

ところがベテランのソムリエでも、ボルドーワインと、ラベルを張り替えた新興国ワインを区別できません。それでも、「わかったような気にさせてくれる」ことに価値があるのです。

同様に株式専門家は「なぜこの株が上がるのか」を、サッカー専門家は「なぜ日本代表は弱いのか」を高い納得感で説明できます――それが正しいかどうかは別として。

ちなみに私は、「グループリーグを勝ち抜ける可能性は3割くらいあるのでは」と思ってベスト16のチケットを買い、日本サッカーの歴史に長く語り継がれるであろうベルギー戦をスタジアムで観戦できました。専門家の意見は話半分に聞いておくのがよさそうです。

『週刊プレイボーイ』2018年7月30日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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