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被写体としての井上尚弥 “世界一のボクシングカメラマン”が撮影するモンスターとは

杉浦大介スポーツライター
写真・福田直樹(The Ring)

 8月下旬、アメリカで最も権威ある専門誌とされるリングマガジンの電子版に、井上尚弥選手のインタビューが2日連続で掲載された。このインタビューは私が日本滞在時に収録し、英訳し、出版されたものだ。その取材に同行し、井上選手のポートレイトを撮影してくれたのが「世界最高のボクシングカメラマン」と称される福田直樹氏だった。

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 福田氏はリングマガジンにスカウトされ、同誌のメインカメラマンを8年間務めた大ベテラン。『BWAA(全米ボクシング記者協会)』主催の年間フォトアワードにおいて、初エントリーから6年連続で入賞し、その間に”最優秀写真賞”を4度受賞した。2012年にはWBC(世界ボクシング評議会)の”フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー”にも選ばれている。

 2016年に帰国した福田氏は現在、米国での経験を活かし、日本のボクシング、ファイターの写真を世界各地へ発信する活動に取り組んでいる。世界のトップボクサーたちを間近で見てきた福田氏がリングサイドで撮影する写真の迫力には定評がある。それと同時に、試合のポスター、パンフレットなどに使用されるポートレイト撮影の技術でも最高レベルである。

 文字通り、「世界最高のボクシングカメラマン」である福田氏に、今回は人物撮影での経験談、思い出をじっくりと語ってもらった。被写体としての井上尚弥の印象、撮影時に気をつけていること、思い入れのある撮影機会など、話題は多岐に及んだ。

写真・福田直樹(The Ring)
写真・福田直樹(The Ring)

 モンスターは“被写体としても一流”

 2017年5月21日のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)戦以来、フジテレビ、Amazonプライムの興行のたびに、井上尚弥選手の試合ポスターの写真撮影を担当させてもらってきました。公式ポスターの撮影は、最新のノニト・ドネア(フィリピン)再戦まで含めて合計6度。井上選手は試合の撮影時ももちろんすごくいいものが撮れるのですが、リング外のポートレイト撮影でも実に絵になるボクサーだと思います。

 試合がない時期でも井上選手の身体は絞られており、体つきは試合前とそれほど変わらない印象もあります。撮影はあまり時間がかからないことが多く、数枚を撮って、もうそれで大丈夫となったりもします。

 先日、大橋ジムで行ったリングマガジンの記事用撮影は短時間で終わりましたが、試合ポスターの撮影時はもっと多くの写真を撮ります。試合ポスターは相手の目線も考えておかなければいけないので、両方の選手が向かい合ったときのバランスを保てるように、いろんなパターンを撮影しておくんです。どんな形にもできるように顎の位置、目の高さ、左右の構えを変えたり、多めに撮っておいて、最終的にデザイナーさんにどうデザインしてもらうかを決めていただく形ですね。

写真・福田直樹(The Ring)
写真・福田直樹(The Ring)

 だからそれなりに時間は必要なのですが、それでも井上選手は比較的短時間でパッと決まってしまうことが多いように思います。ファッション系の仕事もされていますし、もっと大掛かりなスタジオ撮影なども経験されているでしょうから、彼の方がそういった仕事に慣れている感じ。表情や佇まいを変えたり、いろいろなポーズも本人の方から取ってくれます。

 もともとルックスもよく、フォトジェニック。リング上での戦い方の隙のなさというのが、撮影の際にも似たような形で現れている感じもしますね。立ち姿には無駄がなく、乱れのない写真が短時間で撮れるので、井上選手は“被写体としても一流”と言い切ってしまっていいと思います。

 井上対ドネア2のポスターが新宿駅を“ジャック”

 井上選手の過去の撮影で記憶に残るものというと、やはり6月のドネア再戦時のポスターのものですね。井上選手はかなりおしゃれで、試合のたびにヘアデザインを変えるのが恒例です。だから過去の写真は使えず、毎回毎回、新たに撮らないとその試合に合ったポスターにはなりません。

 ドネア再戦の際、撮影は4月末に行われたのですが、「(6月7日の)試合もこれでやりますんで」といって髪の毛の色、ヘアースタイルをすでに試合用に整えて臨んでくれたのです。その時の髪の色は銀、シルバー。普段よりも明るい感じで、それまでと違うイメージになったと思います。

 ポスターはすごくいいデザインにしていただけました。出来上がったものは新宿駅に大きな看板が出たり、かなり広範囲に使用してもらいました。自身が撮った写真で作られたポスターが、新宿駅を“ジャック”した感じになったのはいい思い出です。個人的に手応えのある撮影でしたし、肝心の試合もインパクトの大きな内容、結果になり、様々な意味でいい経験になりました。

 井上選手は1戦ごとに顔も貫禄がついている印象がありますし、節目節目の写真を自分が撮れていることには感慨深いものがあります。過去のポスターを手に取ると、どんどんすごいチャンピオンになっていっている過程が見えるかのよう。撮影する側としてもやり甲斐がありますし、これから先も楽しみです。

撮影時から村田諒太の戴冠を確信

 普段の試合撮影と違い、ポートレイト撮影の際は、影の付け方、ハイライトの入れ方などを熟慮し、それぞれの選手がなるべく精悍に見えるように撮影することを考えます。あとはなるべく汎用性のある写真、どこででも使える写真を撮っておきたいので、流行の先端であるアメリカで使用されているライティングなどに合わせ、誰の写真と組み合わせても大丈夫なようにというのを頭に置きます。

 特にビッグファイトのポスターでは、自分の撮った写真が誰の写真と組み合わされることになるかはわかりません。4月のゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)対村田諒太(帝拳)戦のポスターは、ゴロフキンの写真はマッチルーム・スポーツなどの撮影を担当するトム・ホーガン・カメラマンが撮影した写真を使用しました。それに村田選手の写真を合わせても違和感がないように、同じ場所で撮ったものであるかのように事前から気をつけて撮影しておくのです。

 井上選手以外でこれまでで印象に残っている撮影を挙げておくと、まずは2017年10月のアッサン・エンダム(フランス)対村田選手の再戦時ですね。あの時は記者会見場の横に広い部屋を1つ借りてポスターの撮影をしたんですが、エンダムはスタジオに入ってきた瞬間から落ち着きがなく、居心地が悪そうだったんです。一方、エンダムの後に登場した村田選手は貫禄たっぷりでした。

 当時の村田選手はまだ世界王者ではなかったんですが、自信満々。まるでチャンピオンが入ってきたように感じられました。その撮影時にはもう村田選手の勝利を確信しながら撮っていました。試合結果も実際にその通りになったので、その時の写真は強く記憶に残っています。

オスカー・デラホーヤとの”30秒勝負”

 アメリカでの撮影を振り返ると、カリフォルニア州にあるゴールデンボーイ・プロモーションズのオフィスでオスカー・デラホーヤを撮影したときのこともよく覚えています。巨大なオフィススペースの一番奥にデラホーヤの部屋がありました。その日のデラホーヤは急遽、用事ができてしまったようで、約30秒くらいしか撮影時間が取れなくなってしまったんです。

 ライティングのテストをする余裕もないまま、30秒で決めなければいけない撮影です。撮ったのは4、5カットだけだったんですが、短い時間で何とかデラホーヤらしい写真が撮れたので、その撮影も忘れられないものになりました。

写真・福田直樹
写真・福田直樹

 去年、アマチュアの全日本選手権のポスターを撮影したときのことも思い出深いです。東京五輪でいい結果が出た直後だったためか、日本アマチュア連盟が力を入れて、初めてしっかりとしたポスターを作ろうということになったんですよね。それで入江聖奈、並木月海、田中亮明という3人を私が撮影したんです。そうやって旬の3人を撮れたというのも貴重なことでした。

 私は1980年代後半からアマチュアの大会、リーグ戦を取材していた経緯があって、アマチュア・ボクシングが大好きなので、アマチュアの撮影にはすごく思い入れがあるんです。その最高峰である全日本選手権でポスターの撮影依頼を受けたのはとてつもなく光栄なこと。墨田区の会場に私が撮影したポスターがたくさん貼られ、豪華版のパンフレットにも写真が使われたというのは嬉しかったですね。

そして未来へ

 こうして様々な撮影を行ってきましたが、もちろん上手くいったことばかりではありません。最も口惜しかったのは“幻のメイウェザー表紙撮影”です。

 2013、14年頃だったと思いますが、リングマガジンの前編集長だったマイク・ローゼンタールがフロイド・メイウェザー(アメリカ)に話をつけてくれて、リングマガジンの表紙を私が撮影することが決まったんです。しかし、直前でメイウェザーのスケジュールの都合がつかなくなってキャンセル。あれは私としてもぜひやりたかった撮影だったので、本当に残念でした。

 そうやっていいことも、そうではないこともありましたが、ポートレイト撮影にも毎回新しい発見があります。私が撮影した写真が試合会場に飾られたり、プログラムの表紙になったりというのは本当に嬉しいこと。リングサイドでの試合撮影とはまた別のやり甲斐があります。

写真・福田直樹
写真・福田直樹

 今後も日本を代表するボクサーたちの魅力を世界に広める仕事をしていきたいと願っています。今回、リングマガジンの電子版に掲載された井上尚弥選手をはじめ、京口紘人(ワタナベ)選手、寺地拳四朗(三迫)選手、中谷潤人(M.T)選手といった多くの日本人世界チャンピオンの撮影を担当し、そのたびに喜びがありました。今後も多くの素晴らしいボクサーたちの撮影を、楽しみに続けていきたいと願っています。

福田直樹

●プロフィール

1965年東京生まれ。ボクシング・カメラマン。1988年よりボクシング専門誌の編集にライターとして携わり、2001年に渡米。カメラマンに転向。以後はネバダ州ラスベガスに拠点を置き、全米各地で年間約400試合を撮影し続けた。パンチのインパクト、決定的瞬間を捉える能力を本場で高く評価され『パンチを予見する男』とも称される。

2008年、世界で最も権威がある米国の専門誌『リングマガジン』にスカウトされて、同誌のメインカメラマンを8年間務めた。『BWAA(全米ボクシング記者協会)』主催の年間フォトアワードにおいて、初エントリーから6年連続で入賞し、その間に”最優秀写真賞”を4度受賞。2012年にはWBC(世界ボクシング評議会)の”フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー”にも選ばれている。

2016年に帰国。現在は米国での経験を活かして、日本のボクシング、ファイターの写真を世界各地へ発信する活動に取り組んでいる。

写真提供・福田直樹
写真提供・福田直樹

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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