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あえて選ぶ「非海外組」という生き方。山見大登が将来、希望するあのレジェンドの背番号とは

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
大阪ダービーで待望のプロ初ゴール。ガンバ愛に満ちたアタッカーがゴール裏に吠えた(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 5月21日のJ1リーグ、セレッソ大阪戦は痛恨の逆転負けに終わったもののガンバ大阪の大卒ルーキー、山見大登に待望のプロ初ゴールが生まれた。「インドア派」を自認する口数が決して多くないアタッカーは、ゴールを決めた直後、胸のエンブレムを鷲づかみにし、ゴール裏のサポーターに向けて、歓喜の雄叫びを上げて見せた。かつてガンバサポーターでもあった若者は、昨今のJリーグで当たり前のトレンドになった「海外組」でなく、「青黒の英雄」を目指すつもりでいる。

あの天才パサー同様、プレーで雄弁に語るのが山見大登のスタイル

 ブラジルのサッカー界でよく用いられる言葉がある。「ファラ・メノス、ジョガ・マイス」。適切な日本語に訳するのは難しいのだが「口数は少なく、プレーはしっかり」というようなニュアンスだ。

 ガンバ大阪の全盛時、華麗な攻撃サッカーを支えた天才パサーの二川孝広は、文字通り「ファラ・メノス、ジョガ・マイス」を地で行く選手だった。

 ベテランになってからは世間一般で思われているほど「無口」ではない二川ではあるが、一本のパスで雄弁に語ってきた選手であるのは確かである。

 西野朗監督が率いた当時のガンバ大阪では数多くのブラジル人FWが輝きを放ってきたが、彼らが頼りにしていたのは二川のキラーパス。当時のポルトガル語通訳が、新加入のブラジル人FWに与える最初のアドバイスが「フタ(二川)と早く仲良くなれ」だった。

 ポジションこそ異なるものの、今季ガンバ大阪に加入した山見大登も二川同様、言葉でなくそのプレーで雄弁に語る男である。

 そんな山見が5月21日に行われたセレッソ大阪戦で待望のプロ初ゴールをゲットした。

 前半33分、レアンドロ・ペレイラのクロスを頭で合わせたシュートは、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)判定の結果、ゴールを認められた。試合の3日前、「なかなか、焦ってます」とプロになってからまだノーゴールが続いている現状に、苦笑いしながら本音を明かした山見だったがサッカー人生で初めてというヘディングシュートで、ゴールネットを揺さぶった。

 感情をむき出しにすることは決して多くない山見が、今季から一新されたエンブレムマークを鷲掴みにしてゴール裏のサポーターに吠えて見せた。大阪ダービーがガンバ大阪の選手、サポーターにとって特別な意味を持つことは言うまでもないが、かつてサポーターとしてガンバ大阪を応援した経験を持つ22歳の青年にとって、格別なプロ初ゴールだったのだ。

かつてサポーターだった少年は、憧れのクラブでプロ選手に

 戦線離脱中のエース、宇佐美貴史の両親が熱心なガンバ大阪サポーターだったことは有名すぎるエピソードだが、山見もまた両親の影響でガンバ大阪を応援してきた過去を持っている。

 ガンバ大阪ジュニアユースのセレクションには不合格となり、中学時代には千里丘FCでプレー。その後大阪学院大学高校を経て、関西学院大学サッカー部で頭角を現した山見は、大学1年生当時、天皇杯2回戦でガンバ大阪相手に決勝ゴールをゲット。歴史的なジャイアントキリングも果たしている。もっとも、ガンバ大阪にとっては歴史的な屈辱なのではあるが。

 そんな山見は3年生の夏に、名古屋グランパスからもオファーを得ていたというが「その時に既にガンバからオファーをもらっていたし、ガンバを断るという考えは自分も思いつかなかったのでガンバを選んだという感じです。やっぱり、親の影響もあると思いますね」(山見)。

 もっとも両親からは「別にどこのチームに行ってもいいから、自分のやりたいことをやり続けろ」と言われていたというが「僕自身、一番親孝行になるのはガンバに入ることかなと感じていたので、自分で決めました」と話す。何とも親孝行な息子である。

 かつての聖地、万博記念競技場にも足を運び、西野ガンバではマグノ・アウベスのシュート力に惹かれたという山見は、当然ながらガンバ愛も持ち合わせる選手である。

 関西学院大学の最終学年だった2021年8月、Jリーグ特別指定選手としてJ1リーグの舞台を経験しており、デビュー戦となった清水エスパルス戦では途中出場ながら決勝ゴールをゲット。そして残留争いの大一番だった11月の大分トリニータ戦でも途中出場から決勝点につながるPKを奪う活躍を見せていた。

 ルーキーイヤーを前に「クラブ孝行」ぶりを見せていた山見に対してのサポーターの期待値も高く、今季のユニフォームの売れ行きは宇佐美に次いで2位という数字に。

山見が「海外組」を目指さないワケ。そして背番号7への思いとは

 「去年は点を取らせてもらいましたが、自分の特徴はやはりゴール前の質。二桁得点をとってチームの勝利に貢献したい」と1月の新体制会見で即戦力としての意気込みを語った小柄なアタッカーだったが、既にプレースタイルや強みが対戦相手に知られている状態で挑んだ今季、まだ本領を発揮しきれていない試合が続いているのも事実である。

 ただ、山見自身は「大学の時のように簡単に点は決められないし、試合中の少ないチャンスを決め切る力がまだ足りないので練習からやらないといけない。大学の時も(シーズンの)初めから点を量産するキャラクターじゃなかったですし、1点取ればそこから点を取り続けることが多かったので早く1点を取りたいですね」とゴールから遠ざかっていた時期にも地に足がついた発言をしていた。

 待望のプロ初ゴールが生まれた山見だが、この先に待つであろう長いキャリアで描くのはガンバ大阪での活躍のみである。

 充実したアカデミーを持つ一方で、数々の逸材が海外に移籍。また、Jリーグで必ずしも結果を残していない中での早急すぎる移籍を選んだ選手もいるのは事実だが、ガンバ大阪のみならず、Jリーグから「海外組」を目指すトレンドに今後、歯止めがかかることはないだろう。

 ただ、憧れのユニフォームに身を包んだ山見はあえて「国内組」という生き方を目指すつもりでいる。

 1月に公開されたガンバ大阪OBの加地亮さんがMCを務めるネット配信番組「CAZI散歩」で10年後の自分を問われた山見は「僕はこの2人(中村仁郎、坂本一彩)と違って、特に海外志向というのはないので、できるだけ長くガンバ大阪にいてチームに貢献できたらと思います」と話していた。

 その後、山見に海外志向の有無を確認する機会があった。

「はい、ないです」。

 気持ちいいほどの、即答だった。

 理由を問うと「自分としてはそんなにコミュニケーション力があるとは思っていないですし、日本語でそんなにコミュニケーション取れへんのに、海外でいきなりそういったコミュニケーションは絶対に無理やと思っています」

 インドア派を自認するアタッカーは、海外での成功にコミュニケーション力が不可欠であることを知るが故に、身の丈に合ったキャリア形成を考えるのだ。

 ただ、山見は単なる「海外組」の肩書きを手にする以上に難しいミッションを夢見ている。

 現在、昨年の特別指定選手時代と同じ37番を背中につける山見だが、関西学院大学時代も、17番や7番でプレー。「7」の数字には縁を持っている。

 ガンバ大阪の7番は現在、空き番号だがクラブ史上、最高のレジェンドである遠藤保仁(現ジュビロ磐田)の存在によって、特別な背番号に昇華した。もはや単なる6番と8番の間の数字ではないのである。

 決して大言壮語をするタイプの性格ではない山見だが「自分としてはガンバの7番は一番の憧れでもあったし、遠藤選手がずっと付けていて、これからどんな選手がつけるのか分からないですけど、自分が活躍していけばそういったところも見えてくるので、それが一番の目標ではあります」と秘めた思いを口にした。

 37番から7番までに辿り着く道のりは決して容易くはないが「ガンバは何年間かタイトルを取れていないので、自分がそこに貢献してタイトルを取りに行きたい」。

 常勝軍団の復権に貢献すれば、レジェンドが背負った重い背番号が似合う男になるはずだ。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

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