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小出義雄監督の知られざる功績。「東京マラソン」と「小出道場」

小野寺俊明スポーツPRコンサルタント/スポーツ企画工房 代表取締役

小出義雄監督が4月24日に亡くなられた。オリンピックや世界選手権で多くのメダリストを輩出するなど、マラソンの指導者として超一流だったことは、改めて書くまでもない。

ここで伝えたいのは小出義雄監督が、現在のマラソンブームつながる『東京マラソン』の誕生のきっかけを作ったこと。そして、その知識や経験を広く市民ランナーに情報提供する『小出道場』というサイトを主催したこと。小出監督はこの2つで、日本のランニング文化の定着に大きく貢献したことをお伝えしたいと思う。

◆「市民ランナーが銀座を走る」という『夢の実現』

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東京マラソンは小出監督が当時の石原慎太郎東京都知事に、「マラソン大会を開いて市民ランナーを東京の真ん中、銀座で走らせて欲しい」と話したことがきっかけで誕生した。それまでエリートランナーでなく、市民が走る大規模な都市型のマラソン大会は、日本に存在しなかった。

当時、東京で男子の『東京国際マラソン』と『東京国際女子マラソン』が行なわれていたが、エリートランナーのレースで、道路の封鎖時間も3時間程度。コースも国立競技場をスタート/ゴールとし、東京ドーム、皇居、東京タワー、品川駅、大井競馬場から平和島口で折り返し。銀座はもちろん、新宿や日本橋、浅草と言った人が集まる場所を通過するものではなかった。

それが監督の言葉をきっかけに、多くの人の尽力により制限時間7時間、参加人数3万人という世界有数の大会が2007年に誕生した。この東京マラソンの成功後、日本各地に数万人単位で市民ランナーが参加できる、大規模な都市型マラソン大会が続々と誕生している。ちなみに第1回東京マラソンの女子優勝は、当時監督が指導していた新谷仁美選手だった。

◆「かけっこの楽しさを知ってほしい」という『夢の実現』

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小出監督がエリートランナーだけではなく、一般のランナーに自分のノウハウを伝えたいと『小出道場』というサイトを開設したのは、2004年8月のこと。東京マラソンが誕生する3年前、今のように普通の人がフルマラソンを完走しようと思うことはなく、『市民ランナー』という言葉も一般的ではなかった時代のことだ。

以前から小出監督は「みんなにかけっこが楽しいことを教えたいんだよね」と語り、「僕がちょっと教えたら、みんなすぐ速くなっちゃうよ」と話していた。『小出道場』のサイトでは、監督の速く走るための経験値が満載された『小出道場虎の巻』、市民ランナーからの質問に答える『Q&A』。さらに公募で集められた市民ランナーが監督のメニューとアドバイスで練習する『ランニングモニター』が行なわれ、監督のノウハウが惜しみなく伝えられた。

『ランニングモニター』は目標大会での自己記録更新を目指し、公募で選ばれたランナーが3ヶ月前後の期間、小出監督が作成した練習メニューを行い、ブログにその模様を練習日誌として記録していった。そこには監督からのアドバイスも記され、同じ程度の目標タイムを持つ読者にとって、貴重な情報となった。

マラソンを始めたばかりの人、サブ3を目指す人など様々な実力や経験を持つランナーが、『ランニングモニター』に参加し、24期生まで実施。延べ100名ほどの市民ランナーが監督の指導を受けた。また、年に2回程度のペースで、監督が『小出道場』の読者に直接指導する練習会を実施。北は北海道、南は沖縄から多くのランナーが参加した。

◆「走るのが楽しい」じゃないと

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そこでいつも監督が言っていたのは、「みなさんは僕たちのように走るのが仕事じゃないからね。1番大事なのは健康、2番は家族、3番は仕事、4番目に他の趣味、走ることは5番目ぐらいがちょうどいいんだよ」と、走ることに夢中になりすぎないように、そして記録更新に執着するランナーに注意した。「走るのが楽しくないと」。それが、監督が一番伝えたかったことだったのだろうと思う。

2012年8月、8年続いた『小出道場』は、同様の情報を提供するサイトが多く立ち上がったことや、『東京マラソン』をきっかけとした、マラソンブームとも言える状況もあり、開設当初の目的を達成したと判断し、閉鎖された。閉鎖にあたり、小出義雄監督は以下のようにコメントした。

「2004年に『小出道場』を始めたときは、皇居を走る人もそれほど多くない時代でした。それから8年、僕が願っていたように日本でもランニングをする人が増え、様々な人が走ることを楽しんでくれる時代になりました。その中で『東京マラソン』と『小出道場』は、多少なりとも寄与できたのではないかと思います。

今後は自分の指導するチームをさらに強化し、そこから『オリンピックで金メダル』という『夢の実現』に向けてがんばります。みなさんも、これからも走り続けてください。また、どこかのマラソン会場でお会いましょう!」

◆最後の夢は…

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小出監督がサインを頼まれると必ず色紙に書く『夢の実現』という言葉。シドニー五輪での金メダル、そしてマラソン文化の定着という夢を実現させた後、小出監督の次の夢は東京オリンピックで2人目の金メダリストを誕生させることだった。残念ながらその夢は実現しなかったが、亡くなられる前には「やりたいことはやった。いい人生だった」と話されたと聞いた。

今年の1月、最後にお会いした時は、「第一線の指導からは退くが、次の世代の指導者を育成したい」と話しておられた。どこまでも『かけっこ』が好きだった監督。お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。『小出道場』から15年間、一緒にお仕事ができて楽しかったです。

スポーツPRコンサルタント/スポーツ企画工房 代表取締役

「スポーツPRコンサルタント」「スポーツWebサイトプロデュース」「スポーツライティング」を行う株式会社スポーツ企画工房代表取締役。スポーツ団体や選手、テレビ局のスポーツサイトを数多く立ち上げたほか、スポーツ団体やチームの運営・広報、SNSやWeb戦略のアドバイザーを務める。また、プロバスケットボール「bjリーグ」や卓球「Tリーグ」の設立に関わった。2006年から11年までは中央大学商学部客員講師としてスポーツビジネスを教えた。

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