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結果至上主義イタリア、“フェアプレー制”を評価する声も 「運任せより…」「間接的な報い」

中村大晃カルチョ・ライター
6月28日、ロシアW杯ポーランド戦で途中出場し、チームに指示を出す長谷部誠(写真:Shutterstock/アフロ)

賛否両論があるのは当然だ。そしておそらく、絶対の正解はない。

ロシア・ワールドカップ(W杯)、グループH最終節のポーランド戦で、0-1とビハインドを背負った日本が最後に選んだ作戦は――指揮官が認めたように他力本願の――「負け逃げ」だった。

世界のあちこちから、批判が浴びせられているようだ。中には度を越えたものも見かける。結果至上主義の国イタリアでも例外ではない。

『ガゼッタ・デッロ・スポルト』電子版は、試合レポートで「年代記に残る試合でフェアプレーのなさ」と、日本の戦い方を暗に批判。『スカイ・スポーツ』は「サムライたちはコロンビアに感謝しなければいけない」と伝えた。ただ、同メディアは「規律が日本に報いた」とも締めくくっている。

特に手厳しかったのが、ファブリツィオ・ボッカ記者。一般紙『レプッブリカ』電子版のコラムで「恥」「スキャンダラス」と酷評した。

同記者は「終盤の日本の“ショー”は、計り知れない反スポーツマンシップ」「スポーツにおいてこのような振る舞いをどうして受け入れられる?」「サッカーに暗く背徳的な側面があると示した」とこき下ろし、このやり方が許されるのであれば、同時刻キックオフの意味がないと主張している。

一方で、西野朗監督と選手たちを擁護する声があるのも事実だ。その論拠の一つが、「ルールになんら反していない」という点。実際、日本の選択の是非とは別に、批判派にも擁護派にも、問題は今大会から導入されたフェプレーポイント制ではないかという声がある。

だが、マリオ・スコンチェルティ記者は『コッリエレ・デッラ・セーラ』電子版で、フェアプレーポイント制は「損得なしに両軍からすぐに突破チームを選ぶのが目的」と主張。「倫理はなく、あるのは実践」と、現実的な見方を示した。

スコンチェルティ記者は、抽選という運任せではなく、フェアプレーポイント制で突破の行方が決まることで「技術的な事実であるサッカーそのもの」に焦点がとどまると主張。一方で、警告ひとつが運命を左右するとあり、主審の重要度が過度に増すことへの懸念もうかがわせている。

『ガゼッタ』の29日付紙面でも、アレッサンドロ・デ・カロー記者がフェアプレーポイント制を「合理主義的文明開化における前進」と表現。ボールを持って攻撃するほど、守るよりハードファウルを犯す機会が減るとし、警告・退場の数を重視するのは「間接的に攻撃的かつクリーンなプレーと技術に報いること」だと主張した。

デ・カロー記者は「いにしえのサムライたちなら、ピッチで敗れながらこうやって突破した日本を誇りに思わないかもしれない」としつつ、「ルールが振る舞いを変える」とも述べている。

『ガゼッタ』のインタビューで、ズボニミール・ボバンFIFA副事務局長は、抽選のほうが騒動を生むうえに「反スポーツ的基準」だったと指摘。フェアプレーポイント制は「まったくスポーツ的な意義」が基準になると強調した。

ボバン氏は、ファウルがより多いのは「苦戦していてファウルに訴えなければならなかったか、暴力的ないし反スポーツ的に振る舞っていた」ことを意味し、カードが少ないチームは反対に「よりサッカーをしていた」のだと話している。

同氏はFIFAがフェアプレーポイント制に満足しているとし、少なくとも2022年のカタールW杯でも引き続き採用されるはずとの考えを示した。

日本の戦い方同様に、フェアプレーポイント制そのものについても、絶対の正解はないだろう。関係者や識者が議論を続け、改善や代案の可能性を模索していく必要はある。

ただ、ルールがある限り、カタールW杯に出場する国は、今回の日本とセネガルのケースを頭の片隅に置くだろう。それは、グループステージ初戦や第2戦に影響を及ぼすのだろうか。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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