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サッカーで重視すべきは「美」?「結果」? イタリアの名将たちが議論

中村大晃カルチョ・ライター
ワールドカップの優勝トロフィー。6月13日、モスクワにて(写真:ロイター/アフロ)

現実は理想どおりにいかない。だが、現実は、理想を追求していった結果でもある。

見る者を魅了するプレーで勝利できれば、それに越したことはない。誰しもがそれを目指している。だが、そうはうまくいかないのがサッカーだ。

当然、選ばなければいけない。たとえ結果を残せずとも、理想を追い求めるのか。あるいは、何よりもまず結果を欲すのか。サッカーにおいて、これは永遠のテーマとも言えるだろう。

◆スクデットを争った好対照な両監督

かつて「カテナッチョ」や「ウノゼロ」といった言葉があったように、イタリアは何よりも結果を重視してきた国だ。それでも、常に内容重視派もいた。現在の代表格は、先日まで3年にわたりナポリを率いたマウリツィオ・サッリだ。

ジョゼップ・グアルディオラからも絶賛されたサッリのサッカーは、国内外で高く評価された。だが、サッリはナポリを悲願の優勝に導くことができていない。

立ちはだかったのは、絶対王者ユヴェントス。就任から4年連続で国内2冠という、前人未到の偉業を成し遂げたマッシミリアーノ・アッレグリは、「美」よりも「実」を取る指揮官だ。

違いが明白な両者の哲学は、どちらが正しいのだろうか。『コッリエレ・デッロ・スポルト』は先月、複数回にわたり、イタリアの名将たちの見解を紹介する形で“議論”を展開した。

アッレグリとサッリの考えが好対照なのは、それぞれの発言が如実に表している。

「人を満足させるために耽美主義になる必要はない。私がすべきは、勝利で満足させることだ。サッカーは理論ばかりになり過ぎた。下部組織の子どもたちは、養鶏場の鶏のように育てられている。サッカーとは空想力。そして、結果のためにどこかで悪いプレーをしなければならないなら、それをするものだ」(アッレグリ)

「私にとって、結果とはプレーを通じて手に入れるものだ。それ以外の考え方はできない。私の考えからはかけ離れている。我々の目標は常に美しくあることだった。それが結果につながり得る唯一の道だ」(サッリ)

◆多いのは“中間派”だが…

『コッリエレ』が意見を求めたのは、クラウディオ・ラニエリ、チェーザレ・プランデッリ、ジュゼッペ・イアキーニ、ジャンニ・デ・ビアージ、アンドレア・ストラマッチョーニ、マルチェッロ・リッピの6名。

多かったのは、中間的な意見だ。イアキーニはサッリが「優れた選手と組織力を組み合わせて結果を出せると示した」としつつ、「グループや環境に自信を与えるために早急な結果が必要になることもある」と指摘。目標達成のために「具体的・実践的なサッカーは悪くない」と述べた。

デ・ビアージは「楽譜と組織力はチームや個々の選手がベストを発揮する助け」としつつ、「結果を残さなければいけないなら、勝つために戦術的姿勢も犠牲にする」とコメント。「2つの哲学を結びつける」のが最善とし、好例としてディエゴ・シメオネのアトレティコ・マドリーを挙げている。

プランデッリも「母親と父親のどちらが好きかといったバトルにしてはいけない」と主張。ナポリとユーヴェの双方のファンがそれぞれのチームを誇るべきとし、前者の路線継続を期待しつつ、後者は現体制下でこれ以上ない成績を残したと強調した。

「どちらも非難できない」というストラマッチョーニは、サッリを「天才」と絶賛したうえで、「認められるには何かを勝ち取らなければいけない」と指摘。試合を読み取る力や試合中の対応力で結果を出してきたアッレグリが「現時点で正しい」と述べている。

一方、2006年のワールドカップ(W杯)でイタリアを優勝に導いたリッピは、「具体性」「継続性」「組織力」「偉大な選手たち」をキーワードに挙げた。「重視され、後に残り、歴史をつくるのは、チームの勝利のみ。優勝できなければ、チームに得点王がいても無駄」「サッカーにおける勝利はプレーのクオリティーだけによるものではない」といった言葉からは、結果重視の姿勢がうかがえる。

そもそも「良いプレー」とは何か、そんな根本的な疑問を口にしたのがラニエリだ。レスターで奇跡の優勝を成し遂げた彼は、「サポーターを興奮させ、得点のためにプレーし、ゴールを決められるとの印象を与える」のが「良いプレー」と定義する。

大事なのは「たどり着き方はたくさんある」という点だ。ラニエリは、サッリ流もアッレグリ流も「目的は変わらない」とし、手段が異なるだけだと指摘する。それ柔軟に変えていくのがラニエリ流だ。特長に反してボールポゼッションをしても「退屈させてしまう」と警鐘を鳴らすラニエリは、「より簡単に勝利をもたらすフォーメーションなど存在しない。考えるだけでもおぞましい」と続けた。

◆正解はなし、考え方は千差万別

内容と結果のどちらを重視するかは、その時その状況によっても異なるだろう。リーグ戦なのか、W杯のような短期間のトーナメントかでも違うし、チームの置かれた立場にもよる。結局のところ、正解はないのだ。

ただ、今後を考えるうで、アッレグリやラニエリ、プランデッリがユースのあり方を指摘している点は見過ごせない。ラニエリは「子どもたちにはひっきりなしに戦術を説明するのではなく、技術や発想、空想を解放させるべき」と訴えた。プランデッリも「土台には技術が必要」「ユースの監督は選手の技術クオリティーを高めなければいけない」と述べている。

そのうえで、プランデッリは「ユースでも上になっていくほど、気迫やメンタリティーなどさらなる要素が求められ、最終的な目標は勝利となる」とも付け加えた。レベルが上がるにつれ、そしてプロサッカーである限り、いずれは結果が求められる。そしてまた、「内容か結果か」議論の始まりだ。

確かなのは、価値観が人それぞれである以上、サッカーに対する考え方が千差万別なのも当然ということ。自分が重視するものは何なのか。それを考えながらW杯を見るのも一興かもしれない。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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