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真の対話を可能にする好意的解釈の原則とは何か

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長
すべての画像:123RF

 金融庁は、投資家と上場会社との対話や、金融機関と金融庁との対話など、行政手法において、対話を重視していますが、質疑応答を超えた真の対話とは何なのか。 

対話と何か

 対話は、一方が話し、他方が話し返すことですが、一方が他方を問い質したり、問い詰めたりするものではないので、質疑応答ではなく、双方が自分の主張を戦わせるものではないので、討論や論戦ではなく、双方の間に何らかの合意の形成を目指すものではないので、交渉や相談ではなく、双方が勝手気儘に話す無秩序な雑談でもありません。

 質疑が対話でないのは、質問は、常に、問う人の自分の関心から発せられるからです。同様に、論戦においては、主張は、常に、発言するものの立場においてなされ、交渉においては、提案は、常に、当事者が自分の利益を守るためになされ、雑談においては、お喋りは、常に、話す人の快楽です。つまり、質疑、論戦、交渉、雑談においては、話す人は、常に、自分のために、自分の立場から話すのです。

相手中心の発話

 英語においては、I go to you ではなく、I come to you といわれます。私が君の所へ行くという表現は、私を中心にしたものであるの対して、君の所へ私が来るという表現は、君を中心にしたものであって、英語では、君を中心にして発話されるのです。

 質疑においては、問う人を中心にして、質問がなされるのに対して、対話においては、問われる人、即ち、応答する人を中心にして、質問がなされます。つまり、質疑において問う人は、自分の求める答えをもっていて、相手から満足する答えが得られないときは、満足するまで問い続けるのですが、対話において問う人は、相手が話したいことを予想して問うのであって、予想に反した答えを得たときは、別な予想のもとで問い直すわけです。

 例えば、質疑において何々しないのかと問う人は、相手は何々すべきだ、何々するはずだという前提のもとで問うのであって、相手が何々しない理由を述べるときは、相手が何々することに同意するまで、質問という形式のもとで、反論を試み続けるのですが、対話において何々しないのかと問う人は、相手には何々しない理由があるはずだとの前提のもとで、その理由を知るために問い、答えを知ることで相手についての理解を深めるのです。

好意的解釈の原則

 哲学でいうprinciple of charity、即ち、好意的解釈の原則とは、相手の主張に賛同できない場合でも、見解の相違は立場の相違の反映なのですから、相手の立場を考慮して、即ち、相手に対して好意的な態度をとることで、相手の主張を再解釈し、その限りにおいて、受け入れるべきだということです。

 例えば、神は全知全能だという主張は、神の存在を信じない人には、真偽判断不能で、意味をなさないもの、いわゆるナンセンスですが、神が存在するのならば神は全知全能であるという主張として解釈すれば、神の存在の問題は棚上げされて、神の定義に基づく真なる分析的命題として、理解可能になります。また、相手の主張のなかに論理的矛盾を発見して、そこを攻撃するのは、質疑応答や論戦における基本的戦略ですが、好意的解釈の原則のもとでは、矛盾を解消できるように相手の主張の全体を再解釈するように努めることになります。

 こうして、好意的解釈のもとでは、自分の立場を括弧に入れて、相手の立場から相手の主張を理解することになりますが、実は、これこそが真に相手の主張を理解する方法なのであって、普通に誰しもなすように、自分の立場から相手の主張を理解するのでは、真に相手を理解したことになりません。故に、対話は、対話者の真の相互理解を深めるものなのです。

合意と対話

 主張の対立においては、双方とも自分の主張が正しいと信じているわけですから、対立が解消する可能性はなく、敢えて解消しようとすれば、両者間の妥協、あるいは双方の譲歩によって、合意を形成するほかありませんが、実は、こうした合意形成過程こそ、社会の基礎をなすものであり、合意に強制力を付与するものこそ、政治権力なのです。そして、政治権力は、妥協も譲歩もないときに、優越する力の行使によって、一方を是、他方を非と決するものでもあります。

 これに対して、対話は合意を目指すものではなく、合意を目指す交渉の前段階として、重要な役割を演じるものだと考えられます。つまり、交渉においては、双方が自分の単独利益の最大化を目指すことの結果として、合意が成立するために、両者の単独利益の合計、即ち、共通利益の最大化が実現するとは限らないわけですが、交渉前の対話において、双方が相手の単独利益の最大化という思考実験を行うことにより、双方にとって全く新たなところに、共通利益を最大化する可能性が開けるのです。

新たなものの発見と対話

 質疑、論戦、交渉、雑談においては、既に双方の知っていることが語られていて、仮に、一方の知らないことが語られても、それは他方の知っていることですから、そこには、双方ともに知らないこと、即ち、双方にとって真に新しいものの発見はないのに対し、対話においては、必ず、対話者の双方にとって、何か新しいものが発見されるのです。逆に、質疑、論戦、交渉、雑談において、何か新しいものの発見があれば、それは、実は、対話だったわけです。

 対話において、新たなものが発見されるのは、対話が科学的発見と同じ構造をもつからであり、逆に、科学的発見とは、自然との対話にほかならないからです。つまり、科学的発見においては、研究者は、仮説に基づいた問いを自然に発し、自然が仮説を否定する証拠を返せば、新たな仮説をたてて問い続け、最終的に自然が仮説を受け入れたとき、仮説は検証されて、検証された仮説が新たな科学的事実になるわけですが、仮説と、それに対する自然の反応の連続は、研究者と自然との対話とみなせるわけです。

仮説と対話

 問う人は、相手の行動、発言、態度、表情などについて、何かが関心を引き、怒り、驚き、賞賛、喜び、悲しみなどの心理的反応が呼び起こされているからこそ、問うのです。故に、問うことは、通常は、相手への問いというよりも、相手に対する自分の感情の表明になります。

 例えば、なぜ笑うのかという問いは、多くの場合、相手が笑うことに対する非難の表明なのです。故に、相手は、笑う理由を答えることよりも、むしろ、表明された非難に対して、その理由を問うこととなり、会話論点は、相手が笑ったことの理由から逸脱し、拡散していって、不毛な論争のなかで、見失われ、会話は、双方に何も新しい事実を発見させることなく、終わるのです。

 これに対して、対話においては、問う人は、相手の行動、発言、態度、表情などの何かが関心を引くから、問うのですが、好意的解釈の原則のもとで、自分の心理的反応を括弧に入れて、相手の立場にたって、相手の背後の事情について仮説をたてて、問うのです。

 例えば、相手が笑ったことに対して不快の念を抱いたとしても、それを棚上げして、冷静に、何々だから笑うのかと問うのです。相手は、仮説が間違っていれば、普通は、真の理由を述べるでしょうし、そうでなければ、問う人は、別の仮説のもとで更に問うことで、いずれは、真の理由を知るに至るでしょう。こうして、対話においては、論点は拡散せずに、収束していき、問う人は、相手の真の理由を知り、答える人は、問う人の問う真意を知って、双方ともに新しい事実を発見するのです。

希望的解釈と信念の共有

 そもそも、問う人は、相手への関心があるから、問うのであり、応える人は、自分に問う人に関心を抱くから、応えるのであって、双方ともに、相互理解を通じた共通利益の発見を期待するからこそ、対話するのです。故に、好意的解釈は、むしろ、共通利益の発見へ向けた希望的解釈と呼ばれるべきであり、双方の希望が信念の共有に深化していくとき、対話は何かを創造するのです。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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