何が投資信託の普及を妨げているのか

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 個人貯蓄の構造を預貯金中心から投資信託中心に転換させること、これは近時の金融行政の最大の課題なのですが、現実には少しも資金移動が生じないのです。さて、その原因として両極を考え得るでしょう、ひとつは国民の肥えた舌に合う投資信託がない、もうひとつは味覚音痴な国民には投資信託の美味さがわからない。もちろん両方とも真実でしょうが、金融庁が取り組むべき先決課題は、投資信託をおいしくすることか、国民の味覚を鍛えることか。

国民の安定的な資産形成

 投資信託の健全なる発展という政策課題について、金融庁は、近年、たくさんの施策を展開してきたわけですが、十分な成果を得ているとはいえません。政策そのものに合理性があり、諸施策に妥当性があるにもかかわらず、なぜ投資信託の普及が進まないのか。例えば、貯蓄のあり方という個人的な選好に政策が介入することに対して、国民の本能的な反発があるのでしょうか。

 実は、この政策は、その原点において、金融庁の行政目的の抜本的な転換に基づいています。金融庁が新たな課題に掲げたのは、金融機能の高度化を通じて経済の持続的な成長に貢献し、国民の経済厚生の増大と安定的な資産形成を実現すると同時に、国民の経済厚生の増大と安定的な資産形成が消費を支えて経済成長に寄与していく好循環を実現することなのです。

 そして、極めて長い年月の間、預貯金の金利が限りなくゼロに接近している日本の現実のもとで、預貯金が資産形成の手段として機能しないこと、および、それに替わる最有力の手段が投資信託であることは誰の目にも明らかなことでしょうから、金融庁が投資信託の普及を最重点施策としたところで、国民に対する投資信託の押し付けにはならないはずです。

老後2000万円報告書問題

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 実際、資産形成の重要性についての国民の理解は、老後2000万円報告書問題の顛末にも明らかです。金融庁は、この報告書のなかで、最低生活保障にすぎない公的年金を補完して豊かに老後を暮らすためには、自助努力による資産形成が重要であると強調して、政治問題化を狙った野党から、政府の果たすべき責任を国民に押し付けるものだとの批判を浴びたのですが、その野党の思惑は見事に外れたのですから、国民は冷静に金融庁の推進する施策を受けいれているということです。

 ならば、その先に、老後生活資金形成に求められる諸要件を合理的に考えたときには、超長期性のもとでは短期的な資産価値変動は重要でないこと、小さな収益率の差が複利効果で極めて大きな資産価値の差につながること、物価変動に対する耐性が必要であることなど、特別な金融知識がなくとも、少なくとも預貯金が最も不適切な手段であること、それに替わる代表的な手段が投資信託であることは、誰にも容易に理解できるはずなのです。

若き勤労層と高齢層の全く異なる課題

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 超長期といえるためには、若年から始める資産形成でなくてはなりません。金融庁が安心して投資信託を推奨できる場面というのは、若年勤労層が所得に応じた小さな金額を、複数の投資信託に分散して、毎月、超長期の就労期間にわたって投資し続けることで、こうすれば、個々の投資対象の短期的な価格変動に大きな影響を受けることなく、国民は長期的に安定した成果を期待できるわけです。

 また、老後生活資金形成における購買力の保存と拡大という目的に照らしたときには、むしろ預貯金のほうが危険な手段であるともいえて、適切な分散のもとにおける投資信託の超長期投資は、目的に適った合理的な方法であると考えられるのです。

 実際、こういう長期投資の意義については、確定拠出企業年金の普及もあり、国民の理解を着実に得つつあるようです。そうしたことを背景にして、個人の自助努力に対する税制優遇制度である「つみたてNISA」も定着しつつあって、金融庁としても、制度の恒久化への道筋が整ってきたと考えているのでしょう。

 しかし、若い勤労層のなかに投資信託が着実に定着し始めていても、その変化が国民貯蓄の全体構造に与える影響は未だ微々たるものであって、金融行政の効果として意味あるものになるためには、まだまだ長い時間がかかります。逆にいえば、現在の預貯金の分布は、年金受給者、および勤労者の年齢の高い層に偏在していて、そのことが投資信託の普及を妨げる最大の障害になっているのです。

 つまり、まとまった額の預貯金を投資信託に振り替えるときには、投資成果が時期の判断に大きく依存することになり、危険が大きくなってしまうために、誰にも簡単には踏み切れないのでしょうし、そもそも何に投資するのかのという判断にも窮するのだろうということです。

マイナス金利

 実は、英国や米国では、1980年ころから、預金から投資信託への金融構造改革が始まり、それが今日の高度に発達した資本市場の整備につながったのですが、両国とも当時の金利は非常に高いものでしたから、金利の低い預金から高金利の公社債の投資信託へと、自然に資金移動が生じたのです。しかし、日本の現在のマイナス金利という環境のもとでは、元本保証のある預貯金から公社債へ資金移動が起きるはずもありません。

 しかも、高年齢層の預貯金の場合、更なる資産形成の原資というよりも、既に形成済みの資産であって、公的年金の補完として、より豊かな老後生活を送るために少しずつ取り崩されていくべき性格のものですから、投資信託とはいっても公社債等を対象としたものが相応しく、そうした適当な対象がないのならば、預貯金にとどまるのが望ましいともいえるのです。

 これは理論的にも妥当なことであって、故に、投資信託が普及しない理由として金融知識の不足をあげることには注意が必要で、逆に国民の社会常識の範囲内における健全な判断のもとで、預貯金が選好されている面を否定できないのです。同じように、若年層においても、超長期投資における株式投資や国際分散投資の意義についての常識的な理解のもとで、投資信託の普及が進みつつあるのでしょう。

毎月分配という神話

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 さて、投資信託が普及しないのは、国民の味覚が発達していないからではなく、味覚に合ったものがないからなのでしょうか。

 若年層の長期的な資産形成という用途には、確定拠出企業年金の普及もあって、それなりに目的に適った投資信託の提供がなされているのかもしれませんが、預貯金保有の多くを占める高齢者層に対しては、適当な投資信託はないといえるでしょう。

 そこで、金融界の課題としては、適当な投資信託を開発することになるわけですが、長期間にわたって、金融市場の構造上、それが容易ではない状態が続いているために、非常に残念ながら、安直な方法がとられてきた経緯があります。つまり、資産形成という本来の機能から乖離したころで、定期的な分配金によって資産の取り崩しを行う投資信託が横行してきたのです。

 高齢者にとっての理想は、投資元本を維持しながら、そこから稼得される利息配当金によって公的年金を補完し、豊かな老後生活を送ることです。例えば、老後2000万円報告書が推奨するように、年金生活に入るまでに2000万円の資産形成を達成しておくとして、それが3%の利息配当金を生むとすれば、毎月5万円の定期所得を得つつ、2000万円の元本を保存することで安心感も得る、あるいは元本を少しずつ取り崩して、より豊かな生活のために充当することもできます。

 しかし、とうの昔に、こうした金利生活を実現することは、夢のまた夢となっています。そこで、金融機関は、高金利通貨、高配当株式、信用格付けの低い高利回り社債など、真の投資収益率と関係なく単に表面的な利息配当金が高いものを対象とした投資信託を作り、積極的に販売してきたのです。

 こうした投資信託においては、真の収益率が表面的な利回り以上であればいいのですが、以下となったときには、実質的な元本の取り崩しを投資収益と誤認させる可能性を生じるわけですし、なによりも、極めて価格変動率が大きく、高齢者に最も相応しくない投資内容になっていることが大問題です。

金融機関の責任

 では、投資内容が十分に理解されていないのならば、やはり、国民の味覚に問題があるのではないでしょうか。

 消費者は、携帯電話、家庭用電気製品、自動車などの技術的構成について、専門的知見をもっている必要は全くなく、単に、各自の固有の生活のなかにおける利用法を知っていればいいのと同様に、国民は、投資信託の機能について、社会常識の範囲内において、各自の固有の生活のなかにおける利用法を知っていればいいのであって、その先の金融の専門的知見をもつ必要は全くありません。

 そして、金融機関による投資信託の販売とは、専門的知見を用いて、顧客の生活設計に対して最適な商品の組み合わせを提案することにほかならず、販売手数料とは、そうした役務の提供に対する対価なのです。販売手数料をめぐる真の問題とは、その水準が高いことではなくて、正当な役務の提供がなされていないことです。

まだ足りていない金融機関の努力

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 ならば、金融機関が顧客本位の適切な業務運営を行えば、高齢者に対して投資信託の販売を行うことは不可能になるしょうか。

 例えば、65歳の人が2000万円の預貯金をもっているとして、それを順次に取り崩していくとしたら、最初の5年分は預貯金のままにしておくのがいいとしても、次の5年分は5年以上、その次の5年分は10年以上、更にその先の5年分は15年以上という長い運用期間をもつこととなり、預貯金に勝る適切な投資信託の組み合わせが可能でしょう。

 また、いかに日本がマイナス金利の困難な状況にあろうとも、金融市場の合理的秩序を考えれば、金融界の総力を結集することで、0.5%から2%くらいまでの期待収益率の投資対象を創出することは可能なはずであって、真の顧客本位な努力が足りてないともいえます。

「見える化」

 金融庁は、そうした金融機関の努力を「見える化」しようとしています。「見える化」の背景にある金融庁の前提は、顧客が投資信託や金融機関を適切に選択するためには、比較可能な指標が必要だということでしょうが、顧客が選択すべきものは、個別の投資信託や金融機関ではなくて、適切な助言をしてくれる専門家であって、「見える化」されるべきものは、その専門家の顔であり、経歴であり、顧客本位な姿勢です。

 逆に、投資信託の「見える化」を強調することは、技術的な知見を顧客に求め、選択責任を顧客に課すことにつながります。おそらくは、投資信託の普及を妨げている最大の要因は、そこにあるのです。