金融は、高度に規制された産業ですが、事業の性格上、その現実を変えることは不可能です。しかし、規制には弊害もあるわけで、金融界の活力の減退や、創造性の喪失など、規制目的に反した結果すら招来しかねません。そこで、今、金融庁は、弊害是正のために、規制手法の歴史的な大転換を強力に推進しているのですが、旧規制に慣れ親しんできた金融機関は、いかにして、規制されたがり病を克服するのか。

コンプライアンス疲れ

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まず、最初に明らかにしておかなくてはならないことは、金融行政には、そのときどきの具体的な課題があるのであって、金融庁にとっても、金融界の危機的状況のなかで発足してから暫くの期間は、金融機関の内部統制の高度化という重要な政策課題があったということです。結果として、極めて厳格なルール主義の徹底のなされたことについては、当時の状況に照らして、止むを得ない側面があったのです。

しかし、時間の経過とともに、金融界内部の事態の改善が進行していき、また、外部の経済環境も劇的に変動するなかで、金融行政の課題も変わり、規制手法も、それに応じて変えていくべきであったのは当然のことでした。ただし、その転換の適切な時期を選ぶことは、決して容易なことではなかったはずで、止むを得ないこととして、ルール主義の長期間に及ぶ過剰な徹底は、強力な副作用として、金融力の実質的な低下を招いてしまったことは否定のしようもありません。

一番わかりやすい具体的な弊害は、有名なコンプライアンス疲れです。コンプライアンスというのは、法令等のルール遵守の徹底のことですが、過剰なルール主義のもとでは、ルールの実質的な目的から乖離して、表層的なルール遵守が無反省的になされていくことになりがちです。しかし、意味を喪失した形式的行為の強制ほど、精神的に人を疲弊させるものはないわけです。

また、煩瑣なルール主義のもとでは、あることをなそうとすれば、たちどころに、結果的に生じる事前確認手続きや資料作成の膨大さに思いが至らないわけにいきませんから、その段階で既に疲労感を生じて、企図を放棄してしまうことすら起き得るのです。

こうして、コンプライアンス疲れのもと、金融機関の積極的な取組み、創造性の発現、成長志向等が大きく後退した可能性は、否定し得ないのです。また、顧客の視点よりも、金融機関のルール遵守の視点が優越してしまった側面があって、結果的に、金融の社会的機能の発現が阻害されてきたのも事実でしょう。

重篤な規制されたがり病

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ルール遵守は、実は、なぜルールを守るのかについて少しも考えないでも、実行できるのです。むしろ、ルールの目的を考えてしまうと、コンプライアンス疲れを感じますので、考えないほうが楽な場合すら多くなってしまうのでしょう。

これは、コンプライアンス疲れの極限においては、盲目的なルールへの従属のほうに、居心地のよさが生じるということであって、マニュアル主義の弊害と、全く同じことです。要は、金融機関は、重篤な規制されたがり病に冒された結果、ついに、病魔は思考の中枢に至ってしまったのです。

例えば、融資にしても、有価証券等の投資にしても、リスク管理と称して、融資対象や投資対象の基準を詳細に定めておいて、その基準に照らして厳格な審査等を行ったうえで、投融資を実行するというようなことは、もはや、全ての金融機関において、完全に定着したルールです。

このルールは、いうまでもなく、本来の主旨としては、基準に適合した案件だけをとりあげるということではなくて、ましてや、基準に適合することを条件に案件を探せということでもなく、単に基準にはずれた事案は、そこにリスクが存在するとの認識のもとで、より慎重な手続きが要求されるというだけのことです。要は、全く当たり前のことをルールにしただけです。

しかし、このルールが厳格で硬直的なものとして確立してしまうと、実際には、基準が先行してしまって、基準にはずれた案件自体が起案されなくなり、基準未満の案件を努力して通そうとする現場の意欲など、完全に減退してしまいます。つまり、現場の各人が自分の頭で考えて、案件を創出し、しかる後に、ルールに挑戦する過程で、案件を磨きあげて、ルール自体の改善も実現していくという本来の組織統制が機能しなくなってしまうのです。

ミニマムスタンダードからベストプラクティスへ

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ルールというのは、実は、最低限のことにすぎません。金融庁の用語でいえば、ミニマムスタンダードです。ミニマムスタンダードが完全に守れたからといって、それは、確かに、社会的な負の価値の創出を排除できるにしても、だからといって、社会的な正の価値の積極的な創出を意味しはしないのです。

金融の社会的機能において、正の価値を創出していくためには、金融機関が最低限のことを守るだけでは全く不十分であって、常に最善を尽くすこと、即ち、金融庁の用語でいえば、ベストプラクティスを追求することが必要なのです。

ベストプラクティスの追求は、将来へ向けての変革、顧客との接点における新しい発見、市場の日々変わり行く現実への対応など、必ず、過去の事案の標準化にすぎないルールを超える要素を内包するはずです。

ルールからは、革新は生まれません。革新は、ルールを超えた創意工夫からしか生まれません。ルールは、常に新しく乗り越えられることが予定されているからこそ、ベストプラクティスの追求に対して、適切な統制機能を演じ得るのです。

しかし、ベストプラクティスの追求は、リスクをとることではありません。リスクをとるという表現は、金融庁も慣習的に用いるようですが、より正確にいえば、リスクは、とるものではなくて、制御するものです。故に、本来のリスク管理とは、とれるリスクを検討することではなくて、リスクを制御する技術の高度化のことでなければならないわけで、まさに、そこにこそ、金融機関としての創意工夫があるべきなのです。

一定のリスク管理技術を前提にして、ルール化された基準のもとで、リスクをとるとか、とらないとか議論しても、金融力の創造的発展など、あり得ないわけです。それに対して、ベストプラクティスの追求とは、ルールによるのではなくて、リスクを制御する技術の不断の高度化を通じて、とれるリスク量の拡大を志向する創造的な働きなのです。

いうまでもないことですが、このような意味におけるベストプラクティスの追求は、顧客に対する付加価値の積極的な創造を通じて、金融機関自身の利益につながり、ひいては中長期的な企業価値の向上に直結していくのです。この好循環の実現こそ、今の金融庁の目指す行政課題です。

ルールからプリンシプルへ

改革の方向は、ルール主義からの完全な脱却です。まず、第一に、金融庁自身の規制手法の改革として、ルール、即ち規制から、プリンシプル、即ち原理原則へ、という革命的転換があって、そのことの帰結として、第二に、金融機関経営においても、ルールからプリンシプルへ、という転換が促されるということです。

そもそも、金融機関経営におけるルール主義の貫徹は、金融庁が策定した膨大なルールの半強制的な適用の産物です。従って、金融機関のルール主義克服は、金融庁自身のルール主義克服が前提となっているのです。

この点、金融庁の姿勢は、極めて明確です。金融庁の新路線は、2014年9月に公表された「金融モニタリング基本方針」において、初めて体系的に整理され、2015年9月の「金融行政方針」において、当面の完成をみるわけですが、そこでは、金融庁の機能は、金融機関の行為をルールによって規制することではなくて、金融機関自身の自主自律を尊重し、創意工夫を促し、支援することとされているのです。

つまり、全ては、金融機関自身の経営原則(金融庁は、これを、片仮名で、プリンシプルと呼ぶのです)に委ねられるということですが、ならば、金融機関の経営原則のあり方も、社内ルール等によって統制するのではなくて、現場の自主自律と創意工夫を引き出し、育てるということでなくてはならないのです。

決める能力の復興

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顧客との接点において真に顧客が求めるものを把握しようとする努力、常時変貌を続ける市場の活ける動態に対峙する姿勢、そのような現場の前線における自覚的活動こそ、創意工夫の場であり、そこからしか、革新は生まれ得ません。つまり、徹底した現場主義が求められるのです。

例えば、金融庁が脱ルール主義の象徴として掲げるものに、事業性評価に基づく融資等というものがあります。これは、企業の財務諸表の数値等の要件から抽出した与信判断基準、即ち、与信のルールに従う融資ではなくて、数値に現れる以前の企業の事業がもつ可能性を評価して与信することをいうのですが、これなど、まさに、現場における顧客との深い関係性構築の先にしか実行できないものです。

今の金融機関経営の根本的な問題は、決める能力の喪失だと思われます。ルール主義のもとでは、実は、何も決められてはいないのです。それは当然で、判断基準が客観的に固定化されれば、判断自体が不要になるからです。ルール主義からの脱却とは、考えて決めるという人間としての基本的行為の復興を意味しているのです。

しかも、中央集権的に、組織として考え、組織として決めることもできないのです。それでは、新たなるルール主義の導入になるだけだからです。ここに、組織統制についての根本的な誤解があったのです。統制とは、組織として決めることではなくて、現場で決めることを前提として、その現場判断の全体的整合性や一貫性を確保するために、求められるものなのです。

その一貫性を支えるものは、いうまでもなく、ルールではなくて、原理原則、即ち、プリンシプルです。つまり、統制とは、ルールの貫徹ではなくて、プリンシプルの貫徹なのです。

金融機関の経営者の責任

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経営者の責任の明確化は必須です。経営者は、まず、プリンシプルを確立し、ルールの煩瑣な体系の抜本的な簡素化を実施し、単純なプリンシプルの体系に置き換える必要があります。また、現場への大胆な権限委譲を徹底する前提として、行為責任は現場へ、結果責任は経営へ、という原則を確立する必要があるのです。

しかし、現場の個人において、自分で考えて自分で決めるという行動様式が自覚的に確立しない限り、はじまりません。金融庁としても、経営者に働きかけて、改革を促すことはできるでしょうし、事実として、その方向へ向けた金融庁と金融機関経営者との間の建設的な対話は、急速に深化しているとみられます。しかし、金融機関に働く膨大な数の個人の次元における意識改革は、金融行政の問題ではあり得ません。

金融機関の規制されたがり病は、もはや、経営者から末端の個人にまで、貫徹しているのです。これを克服し、金融力の再生を図ることは、容易ではありません。おそらくは、今後の金融機関経営の最大の課題は、人材の活性化と育成でしょう。そのためにも、なによりも、経営の革新、経営責任の明確化、現場への大胆な権限移譲が急務なのです。