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公共ファイナンスの視座

森本紀行HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

何が公共の事業であるべきなのか、そのこと自体が難しい問題ですが、現実に、公的部門から供給されるサービスに対して、利用料が徴収されているものが少なからずあるわけです。これらの事業は、利用料というキャッシュフローを生んでいるのですから、理論的には、民営化できるし、完全には民営化しなくとも、民間部門と連携した独自の金融や経営の仕組みを考え得るはずです。

利用料を徴収する公的事業の非効率

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日本の公的部門の財政問題は、国の次元はもちろん、地方公共団体においても、深刻です。故に、財政の再建ということがいわれるのです。ところが、公的部門の多くの事業について、よくみれば、利用料を徴収するものが少なからずあります。こういう事業で財政赤字が発生することは、不合理であるようにも思われ、財政問題一般とは区別して考える必要があります。

論点の第一は、利用料を徴収する事業において、その事業が真に社会的に必要なものであり、利用者に適正な利用料を負担させることについて、社会全体の公平性に照らして妥当性があるときは、当該事業の収支は、公共性の枠組みのなかで、きちんと均衡するはずだということです。

故に、論点の第二として、このような事業において、現実に収支が合わず、赤字が発生しているのならば、そこには、利用料の設定と運営経費の管理についての非効率、あるいは利用者の求めるものと供給されるものとの間の不一致という事業自体の欠陥等、経営のあり方に根本的な問題があるとしか考え得ないということです。

そこで、第三の論点として、利用料で事業収支を合わせ得る事業ならば、公的部門の事業として行う必要はないのではないか、公的部門で行うが故に、その固有の非効率性が赤字を生みだすなど、事業の発展を阻害しているのではないか、ならば、民営化の可能性が検討されなければならないのではないか、そのような疑問が生じるわけです。

民営化の論理

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しかし、公的部門の利用料を徴収する事業については、財政が問題なのではなくて、経営統治の仕組みが問題なのだとしても、そこからは、直ちに民営化は導かれません。

民営化とは何か。日本国有鉄道や日本電信電話公社の民営化事例のように、公的部門に属している事業主体を、そこに事業資産等をそっくり帰属させたまま株式会社に転換し、その株式を民間投資家に売却するものならば、実のところ、民営化というのは、要は、事業の所有者、即ち株主を、公的部門から民間部門に変更するだけのことで、事業自体の変更ではありません。

また、統治改革の唯一の方法が民営化だということにもなりません。公的部門でも、理論的には、適正な統治は実現し得るし、民間企業でも、統治の欠陥はあり得る、あり得るというよりも、統治のなっていない企業など、いくらでもあるのが現実です。

従いまして、統治改革が課題であり、経営効率の改善が求められるときには、その手段として、直ちに民営化が検討されることはあり得ないはずです。にもかかわらず、常に民営化の可能性が問題とされるについては、それなりの理由があるのです。それが、改革への誘因としての利潤です。

改革への誘因としての利潤

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実は、利潤をあげえるのは、民間の私企業だけなのです。故に、民営化なのです。

経営効率の改善は利潤という誘因なくしては成り立たない、このような発想は、資本主義の人間的、あるいは思想的な背景に関する一つの仮定です。もしかすると、公的部門でも、役職員の処遇制度に事業効率化の要素を大胆に取り入れることで、民営化と同等な効果をあげ得るのかもしれません。

しかし、資本主義という仕組みそのものは、利潤という誘因なくしては成り立たないものです。しかも、歴史的事実として、資本主義は、多くの矛盾を抱えながらも、今日まで、それなりに機能してきたのですから、誘因としての利潤が強力な力をもつことは認めないわけにはいきません。

ところが、公的部門の事業の建前としては、利潤を生まない、あるいは利潤を生んではならないという原則があるはずです。従って、利用料の設定は、原価の積み上げによって計算されるほかないのですから、利益は残らないわけです。

利益が残らないのならば、あるいは利益を残してはいけないのならば、即ち、利益を目的としない経営を行うのならば、費用を削減する努力、利用料の増収を図る努力、利用者を増やすためにサービスを改善する努力、そうした経営努力が働く余地はなくなります。経営努力なきところ、統治なく、統治なきところ、非効率ありです。

公共性と利潤

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しかし、利潤を誘因とする改革というのにも、事業の公共性を考えれば、問題がありそうです。民営化しますと、当然のこととして、原価に利潤率を乗じた水準で利用料を設定することになり、利用料が高くなる可能性があります。そこに、民営化に対する慎重論の根拠があるわけです。

ところが、利潤を乗せてもなお、民営化することで、利用料を下げ得るのであれば、あるいは、同じ料金でもサービスの質が良くなるのであれば、民営化に反対する根拠はなくなります。まさに、そこが積極的な民営化を支持する論者の主張です。

さて、どちらが正しいのか。要は、経営の非効率が問題であるのならば、利潤であろうが、その他の経済的・非経済的利益であろうが、何らかの誘因が経営を効率化させ、利潤等を含めたとしても、実質的な利用料を安く設定できる限り、それでいいわけです。

逆に、経済的誘因等を使った経営効率化の様々な可能性を徹底的に検討すべきだということです。その検討の結果として、民営化が一番優れているのならば、民営化すればよく、公的部門の事業のままでも、上手な経済誘因の設計等により効率化が可能ならば、民営化する必要もないわけです。

PPP/PFIの論理

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効率化が問題なのであって、民営化は目的ではないのですから、効率化のための上手な誘因設計ができさえすれば、どのような方法でもいいわけです。

そこで、例えば、事業の民営化ではなくて、事業の運営権を民営に移転させる方式(コンセッション)などの多様な方法が現れてくるのです。これらの手法は、総称して、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)/PFI(プライベート・ファイナンス・イニシャティブ)と呼ばれています。

では、なぜ、民営化ではなくて、PPP/PFI なのでしょうか。PPP/PFIが民営化よりも優れているといえるのでしょうか。実のところ、どちらが優れているかは、要は、結果が証明することで、やってみないと分からないのではないでしょうか。

PPP/PFIの資産の所有形態

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ただし、PPP/PFIが民営化よりも優れているかどうかはわからないにしても、両者の間の重要な差異については、検討に値することです。

第一の重要な違いは、事業用の資産の所有形態です。PPP/PFIでは、様々な形態が検討されるにしても、最終的な事業資産の所有者は、公的部門になります。これが原則です。

それに対して、民営化の場合は、事業資産を所有している事業者が私企業になるのですから、当然に、事業資産が公的部門から民間に移転します。

なぜ、資産所有を公的部門に留めるのがいいのか、そこには、何か積極的な理由が必要だと思われるのですが、さて、背景に、どういうことが考えられるのか。

まず、事業を引き受ける民間事業者の立場からいうと、事業を営むに、資産の利用は必須でも、所有は少しも必要ではないという論点が重要です。資産を公的部門から買い取れば、それだけ大きな資金が必要となりますが、投資資金は少なければ少ないほど能率がいいわけですから、民間事業者としては、買う必要もないものまで買いたくもないはずです。

公的部門の立場からは、もしかすると、将来的な資産利用形態の転用など、自由度を確保しておきたいのかもしれません。私有に帰した資産を公有に戻すことは、容易ではないでしょうから。

もっとも、資産と債務を一括して民間移転することは、公的負債を削減する方法として、極めて有力なものとも考えられますので、本来は、徹底的に民営化を推進すべきではないかとの反論もありそうな気がします。

いずれにしても、PPP/PFIか民営化かという二者択一的な発想ではなくて、案件により、事案の性格により、最適な方法を創造的に工夫していくことが重要なのです。

PPP/PFIの利潤の取り扱い

第二の重要な違いは、利潤の取り扱いです。PPP/PFIでは、利潤という考え方は、正面からは消えているのです。替わって、社会的な付加価値の形成ということがいわれます。

PPP/PFIの導入により、事業効率の改善が達成されれば、そこには、当然に社会的付加価値が創出されるわけです。その価値を、民間事業者と公的部門で適正に配分すること、それが経営効率化への誘因の設計の要諦となります。

民営化の場合でも、利潤というものが資本の適正利潤である限り、企業利潤は、企業活動から生まれた社会的付加価値の資本に対する公正な配分なのですから、そこには、サービスの利用者と資本との間で適正な付加価値の配分が実現しているはずなので、言葉使いの差こそあれ、理念的には、PPP/PFIと民営化との間に本質的な差があるわけではありません。というよりも、差があってはいけないのです。

論点は、どちらの手法のほうが、社会的付加価値を大きくできるか、社会的公正性をよりよく実現できるか、その二点になるのでしょう。これも、一概には、答え得ない難問です。おそらくは、経営裁量の大きさ、裏を返せば、規制の程度や、経営への社会的監視の仕組みなどの設計に高度に依存する問題です。

安倍政権の重要な政策課題としてのPPP/PFI

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PPP/PFIの側からいえば、要は、全ては結果なのですから、よりよい事業を世に送り出すことが先決なのです。ある意味、社会的実験の開始です。法制度面も含めて、やってみて直す、これが基本ではないでしょうか。

ところが、残念ながら、これまでのところ、PPP/PFIの普及は極めて低調です。折角、安倍政権の重要な政策に位置づけられているのですから、今後急速に、民間と公的部門の積極的な連携のもと、創造的な案件が生まれてくることを期待しないわけにはいきません。

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長

HCアセットマネジメント株式会社・代表取締役社長。三井生命(現大樹生命)のファンドマネジャーを経て、1990 年1 月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。 2002 年11 月、HC アセットマネジメントを設立、全世界の投資機会を発掘し、専門家に運用委託するという、新しいタイプの資産運用事業を始める。東京大学文学部哲学科卒。

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