アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』が絶賛放送中だ。本作では柱の1人である宇髄天元が活躍する。宇髄天元は元々忍びの出身であるが、派手なことが好きでも有名だ。そんな宇髄天元は現役の忍者からどう見えるのか。

今回は、『忍道』陰忍評定衆 師範でもあり、現役の忍者として活躍されている「忍者 習志野」さんに、前回に続き今回は宇髄天元の「忍び」としての側面を解説してもらう。

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忍びの反動で派手好きになるのはあり得る

ーー宇髄は「忍びのときに地味な生活をしていた反動で、派手好きになった」そうなのですが、現代を生きる忍びとして共感するところはありますか?

わかる気がします。

ーーそうなんですね……。

忍びが「地味に生きている」というのはその通りなんです。

『万川集海』にも書かれているのですが、忍びは名を知られてはいけません。

大道芸人に変装してわざと目立つといった技もありますが、基本はできるだけ目立たないようにしています。

『鬼滅の刃』は大正時代が舞台なので、忍びの反動で派手好きになるというのは、あまり違和感がないですね。

ーー宇髄は忍びにしてはかなり大柄なのですが、この体格でも地味に忍ぶことはできるのでしょうか?

むしろ、宇髄のように体格が良くて頑丈な者が好まれたと思います。

忍びに身長の制限があったかどうかは(伝書などからは)確認できませんし、『北上五代記』という軍記物では、風魔小太郎という忍びがたいそう大柄に描かれています。

「陰忍」と呼ばれる、敵の屋敷に忍び込む忍びは小柄な方がいいですが、宇髄のように大柄であれば、その人なりの活躍の方法があります。

ーー宇髄天元は忍びの里から「抜け忍」になって、鬼を倒す鬼殺隊に入ります。実際に「抜け忍」というのはいたのでしょうか?

おそらくですが「抜け忍」というのは昭和以降にマンガを通じて広まった造語だと思います。

なので、実際の忍びには「抜け忍」という考えはなかったと思います。

ーー「抜け忍」という言葉自体が、創作されたものなんですね。

そもそも、忍びが活躍していた時代は、いまのように誰でも職業を選べる時代ではないので、やめるとしても他の仕事をやめるのと同じ扱いになったと思います。

なので、忍びだからといって、やめるときに何か特別なことが起きたかどうかはわかりませんね。

ーーおもしろいですね。作中では、忍びの一族である宇髄の家が途絶えかけていたというエピソードもありますが、大正時代の忍びは実際厳しい状況だったのでしょうか?

大正どころか、江戸の初期に滅びかけていますね……。

ーー現実の方が世知辛いんですね……!

「お家断絶」というよりは、忍びの技術が衰退していったんです。

戦国末期になって戦がなくなると、忍びは必要なくなったんですね。

権力を守るための諜報活動などはあるんですけど、私達がイメージするいわゆる忍びは、江戸時代にはほぼいなくなりました。

ーーイメージと現実で違うところがたくさんあっておもしろいです!

くのいちはマンガによって作られたイメージだった

ーー続いて、宇髄天元は3人のくのいちの嫁がいるのですが、実際この「くのいち」という忍びはいたのでしょうか?

くのいちというのは『万川集海』という忍術傳書に実際に登場する言葉です。

ただ、イメージされるような「女性の忍び」ではなくて「女性に協力してもらって行う術の名前」として使われています。

有名なのは女性が敵の中に女中として忍び込み、夜中に仲間が合図をしてこっそり内側から内鍵をあけるといった技ですね。

いまの私達の「くのいち=女性の忍び」というイメージは、こういった伝書をもとに描かれたマンガ等から来たイメージです。

ーー宇髄の弟は、くのいちに対して「跡継ぎを生むためなら死んでもいい」と考えているとされていますが、実際の忍びも妻や部下などに厳しかったのでしょうか?

「仲間が死んでもよい」という考えはあまり一般的ではなかったように思います。

これもおそらく、昭和頃のマンガのイメージが強いんじゃないかと思います。

ーーいまの忍びのイメージは、あとの時代にマンガなどで作られたものが意外と多いんですね!

そうですね。完全な創作もあれば、「実際どうかわからないけど、こうだったかもしれない」というのが創作で知れわたっていることもあります。

「昭和頃のイメージが定着している」というのは実際に忍びをやっていても感じます。

ーー心や命を消耗品としてとらえたり、死を恐れないというエピソードも多いです。

これは実際にあったようです。いまのように「命が一番大事」だとは思われておらず、生きるべきところは生き抜き、死ぬべきところで死ぬ「忍生・忍死」という教えも伝書に残っています。

いまから考えるとかなり残酷な術もあり、「生きているうちに自分の布団に火薬を仕込んでおき、そこで切腹をしたら火がつくようにして、自分の死体を自分で処理する」という術も『用間加条伝目口義』という伝書に残っています。

ーーネタバレになるので詳細は伏せますが、『鬼滅の刃』でも類似のエピソードがあるので、「忍生忍死」という考えは、かなり鬼殺隊に通ずるものがありそうです。本日はおもしろい話をありがとうございました!

後編では「忍び」とはそもそもどういう存在なのかを解説してもらう