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ロクイチ国債の暴落を知っているか

久保田博幸金融アナリスト
斉藤惇氏(写真:ロイター/アフロ)

 10月の日本経済新聞の「私の履歴書」は、野村證券株式会社副社長や日本取引所グループの最高経営責任者(CEO)などに就任した斉藤惇氏が執筆している。10月12日の「私の履歴書」では下記のような記述があった。

 「78年から79年にかけて発行された表面利率6.1%の国債、いわゆるロクイチ国債が、79年から80年にかけて大暴落する局面にも立ち会った。そんな中でも野村はしぶとかった。」

 ロクイチ国債と聞いてピンとくるのは、当日の債券市場を知る一部の人に限られようが、日本国債の最初の暴落とも言える出来事であった。

 国債の流動化があまり進んでいなかったころに、国債は一度大きな暴落を経験している。それがロクイチ国債と呼ばれた国債の暴落である。1978年は当時とすれば低金利局面であり、4月にそれまで発行された10年国債の最低利率である利率6.1%(通称、ロクイチ国債)の国債が発行された。

 1979年4月以降は本格的な金利上昇局面となり、国債価格は大きく下落した。景気拡大や原油価格の上昇により、6月にロクイチ国債の利回りは9%を超えてきた。この国債の下落を受けて、12月には金融機関の保有国債の評価法が、従来の低価法から原価法または低価法の選択性となった。

 1980年に日銀は2月、3月と立て続けに公定歩合を引き上げ、長期金利も大きく上昇し、ロクイチ国債は暴落した。4月にロクイチ国債の利回りが12%台にまで上昇し、国債を保有している金融機関がパニック状況に陥ったのである。その後、米国金利の急激な低下などにより債券市況は急回復したが、ロクイチ国債の暴落は大蔵省(現財務省)の国債管理政策にも大きな影響を与えたとされる。

 斉藤惇氏によるロクイチ国債に関する記述は少なかったものの、最後の「そんな中でも野村はしぶとかった」との部分が非常に気になった。ロクイチ国債の暴落に当時の野村證券がどう立ち向かったのか。数少ない国債暴落時の経験だけに、できればその経験を将来に生かすためにも、そのときの状況を知りたいものである。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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