中国が金利自由化、日本は30年前あたりから
中国人民銀行は10月23日に、銀行が預金金利を決める際の上限金利を撤廃し、銀行金利を原則自由化すると発表した。すでに貸出金利の下限規制は撤廃しているため、制度上は銀行の裁量で金利水準を自由に決めることができる。これは人民元がIMFの特別引き出し権(SDR)と呼ばれる準備通貨に早期に採用されるよう、金融自由化に向けた取り組みを強化することが大きな狙いとされる(日本経済新聞)。
特別引出権(SDR)とは、加盟国の準備資産を補完する手段として、IMFが1969年に創設した国際準備資産である。SDRの価値は主要4大国・地域(ユーロ、日本円、 スターリング・ポンド、及び米ドル)の国際通貨バスケットに基づいて決められ、自由利用可能通貨との交換が可能。2015年3月17日時点で2040億SDRが加盟国に配分されている(IMFのサイトより)。
中国政府は人民元の国際化を目指し、IMFが設定している特別引き出し権(SDR)の構成通貨に人民元を採用するように要請している。今回の金融自由化に向けた取り組みはその一環とみられる。
それでは日本の金利の自由化が始まったのはいつのことであったろうか。2015年10月21日は1989年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー 2」で、主人公マーティがタイム・トリップした1985年から30年後のその日であった。1985年はプラザ合意があり、債券先物も上場された年であったが、この年に日本では金利が市場の実勢で決められる大口定期預金が導入されていた。日米円ドル委員会作業部会報告書に基づいて、円の一層の国際化を含む新しい金利自由化の指針が1984年に提示された。1970年代後半から金利自由化が推進されていたが、これをきっかけに一連の金利の自由化が促進された。その後、1994年10月に民間銀行の金利は完全に自由化された。
いまから30年前の日本は現在の中国といろいろな面で共通点があるとの指摘もある。日本では1964年に海外旅行が自由化され、高度経済成長期を迎えた1985年頃には日本からも大量の観光客が海外に出かけていった。中国では1997年に観光目的の海外団体旅行が解禁され、現在では中国からの多くの観光客が日本に押しかけている。30年前頃に日本が国際化を強めていたように、現在の中国も国際化を推し進めようとしていると言える。