今夜ノーベル文学賞発表 村上春樹はどうなる?受賞者を予想してみた
ノーベル文学賞は「世界翻訳文学大賞」? 今夜発表の受賞者を予想してみた
世界最大の翻訳祭り
いよいよ10月8日(木)の今夜、日本時間の午後8時に、ノーベル文学賞の発表がある。毎年毎年、村上春樹が獲る獲るとあおられて、みなさんいい加減、うんざりしているのではないか。
わたしは1990年代からもう25年ぐらい、ノーベル文学賞の「受賞者解説待機要員」としてウォッチャーをしているが、獲る獲ると言われながら何十年も受賞にいたらず亡くなった作家たちを何人も見ている。ウンベルト・エーコしかり、フィリップ・ロスしかり。世界にはそれぐらいたくさん同賞の「有力候補」がいるということなのだ。
だから、もう最初に言ってしまうと、今年というか当面、村上春樹が受賞する確率は高くないと思う。
「どうして? 今年は新しい短編集『一人称単数』も刊行されて好評なのに!」
と思われるかもしれない。とはいえ、この本は今年、審査の対象になっていないはずだ。なぜかといえば、ノーベル文学賞という世界最大規模の文学賞は、事実上、「世界翻訳文学大賞」だから。「なに、それ?」と、また思われるかもしれない。
ノーベル文学賞の「受賞資格」をご存じだろうか。たとえば、日本でもっとも有名な文学賞「芥川賞」は、作家の国籍は問わないが、作品の出版国は日本、使用言語は日本語と(暗黙の了解で)決まっている。ノーベル文学賞にはそういう縛りがいっさいない。どこの国の作家が、何語で書いて、どこの国で出版していても理論的にはOK。
とはいえ、スウェーデンアカデミーの審査員十八人全員が、何百、何千もの言語に通じているわけがない。どうやって読むかといえば、翻訳したものを読むのだ。スウェーデン語、フランス語、ドイツ語、英語が多い。そう、審査員さんたちのほとんどは、1968年に受賞した川端康成の日本語も、1994年に受賞した大江健三郎の日本語も、じかには読んではいないのだ。
村上春樹の『一人称単数』はまだこれらの言語に翻訳されていない。だから、審査の対象になりようがないというわけだ。
翻訳のちからが半分?
そう考えると、ノーベル文学賞の栄冠を勝ちとるには、その作家本人が良い仕事をしているだけでは充分とは言えないだろう。翻訳者の技量や力量が占めるウエイトは大きい。だから、川端康成は授賞式で、「わたしの小説の翻訳者サイデンステッカー氏にも半分の名誉を」と言ったのだ。
翻訳者の「ちから」というのは、訳文の巧拙だけではないかもしれない。その作品を世にアピールする影響力や発言力が大きければ、プラスにこそなれマイナスにはならない。
むかし、政治色の強いパブロ・ネルーダというチリの詩人が1971年に受賞したのだけれど、それは選考委員のなかに彼の作品の翻訳・研究者がいて、ぐいぐい推したからだ。というのは、わりと知られた話。
だからといって、村上春樹の英訳者たちに問題があるという話ではぜんぜんないので注意してください! 英米で出たハルキ本の書評を読んでいると、翻訳者の仕事ぶりに言及し褒めているものを非常によく見かける。
見よ、この気合の入った アメリカ版『1Q84』のトレーラー。
ヨーロッパとアメリカの微妙な関係
なら、村上春樹がノーベル文学賞を受賞できないのはなぜか? この問題は、じつに多くの評論家が論じているが、ひとつには、彼の「アメリカ気質」がいささか関係ある気がする。
村上春樹は若いころから、米国のフィッツジェラルド、サリンジャー、ヴォネガットなどの小説家に心酔し、ジャズやロック、映画、ファッションまで、アメリカン・ポップカルチャーの大きな影響を受けている。一時はアメリカに生活の大きな比重を置いていた。
率直にいって、ノーベル文学賞はヨーロッパの文学を称揚するために始まったものだし、審査するスウェーデンアカデミーはアメリカのことがあまり好きではないように見受けられる。ひとつには米国が強大な英語帝国で、他国語の文学をぜんぜん翻訳しないし、読まないから、という言い分がある。伝統あるヨーロッパ諸国の文学界から見れば、アメリカ英語帝国め、大きな顔して……という気持ちがないではないだろう。
(しかし公平を期して大きな声でいうと、ゼロ年代ぐらいから、ニューヨークあたりを中心に米国でも翻訳出版が盛んになっています!)
ノーベル賞が始まった二十世紀初頭には、米国はヨーロッパから見たら文化後進国で、当時は米国にもぽんぽんと気前よくノーベル文学賞を授与していた。ところが、第二次大戦が終わり、アメリカが経済的にも政治的にも巨大化してくると、だんだん態度が変わってきたのだ。戦後75年でアメリカから5人受賞者が出ているけれど、移民系作家が3人、黒人の女性作家が1人、直近は白人男性だけれどミュージシャンだ(ボブ・ディラン)。
とくに、アメリカの、白人で、男性の、移民系でない作家詩人、つまり世界のなかで非常に強いマジョリティの立場にある書き手たちは、ヘミングウェイを最後に、もう66年ほど授賞されていない。
村上春樹が”手本”としてきたのは、そうした米国の白人の男性作家たちだ。最新長編の『騎士団長殺し』も読む人が読めば、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を下敷きにしていることは、一発でわかる。ブラックカルチャーや、人種、ジェンダーのマイノリティ視点に欠ける点もやや気になるところ。
もちろん、これはあくまで推測にすぎないし、スウェーデンアカデミーというのは、狙いすましたように「人がいないところにボールを投げこむ」のが得意なので、「村上春樹受賞!」という朗報もいつ入るかわからない。ゆったりした気持ちで待ちたいものだ。
ポスト村上春樹はいるか? ダブル・ヨウコに期待。
村上春樹のほかに、いま日本で期待がかけられている作家をふたり挙げる。ひとりは、小川洋子だ。「ポスト春樹」というか、村上春樹より前からフランス語圏でとくに人気が高く、リスペクトされており、文学通の間では、長らく有力視されている一人だ。
『密やかな結晶』(英語タイトルは「記憶警察」)で、去年の全米図書賞「翻訳文学部門賞」と、今年のブッカー国際賞の最終候補に選ばれた。受賞にはいたらなかったが、秘密警察が人びとの言葉を取締り、記憶を操作するという『密やかな結晶』は、このディストピア文学ブームのなかで、原作の出版から25年を経て英語に訳され、いっきに英語圏の読者を拡大している。
ブッカー国際賞2020年授賞発表に際して候補者各人に制作された動画はこちら。小川洋子の動画では、女優エリザベス・マクガヴァンと小川氏本人の美しい朗読や談話、編集者、翻訳者の談話も楽しめる。
もうひとりは、ドイツ在住の日本作家、多和田葉子だ。ドイツでゲーテメダル叙勲、クライスト賞受賞、2018年の全米図書賞「翻訳部門賞」も受賞]している。彼女のユーモラスな言葉遊びを駆使した社会風刺小説には、安易なグローバリズムやコマーシャリズムへの批判と闘争があり、ノーベル文学賞好みといえる。
ともあれ、村上春樹の大きな功績のひとつは、あとに続く世代の日本人作家たちに、海外舞台を明確に意識させたことだろう。
今夜のノーベル文学賞発表を楽しみに待とう。
ノーベル賞の公式サイトで発表の中継も見られる。
今年のわたしの授賞予想および期待は以下。
鴻巣友季子の授賞予想(順不同)
マーガレット・アトウッド(カナダ)
マリーズ・コンデ(フランス海外県グアドループ)
アニー・エルノー(フランス)
リュドミラ・ウリツカヤ(ロシア)
セース・ノーテボーム(オランダ)
小川洋子(日本)
多和田葉子(日本)
*予想ははずれ。受賞者はアメリカの詩人ルイーズ・グリュックだった。この授賞への解説はこちらの「ノーベル文学賞2020年、裏読み解説 今年の授賞の謎ときに挑む」をごらんください。
*戦後の白人男性作家詩人への授賞に関して数字を訂正しました。2020年10月11日。