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元スパイの数奇な人生 中東の歴史と政治を綴るポッドキャスト「Conflicted」の背景

小林恭子ジャーナリスト
ポッドキャスト「Conflicted」のウェブサイトからキャプチャー

 「こうやって、2人でスタジオで話すなんて、久しぶりだね」

 「まったくだよ・・・昔のようにコーヒーショップで話しているみたいだ」

 「コーヒーショップ?ステーキの店だろう?」

 「ああ、そうだったね。あのおいしい味がよみがえるよ」。

 友人同士のような2人の男性が軽口をたたき合い、笑い声が響く。

 上記の会話はポッドキャスト「Conflicted」(「矛盾している」、という意味)の最新配信分(10月12日)の一部である。

 2019年に始まったこのポッドキャスト・シリーズを筆者は数か月前から聞きだした。当初、「一体、これは何なのか」と驚いた。こんなにリラックスして、くだけた雰囲気のポッドキャストに耳を傾ける価値があるのだろうか。「仲間同士の会話」に付き合いきれるのか。

 ポッドキャストのうたい文句は「中東の歴史、宗教、政治をグローバルな文脈で語る」だった。かつ、より頻繁に笑う方の男性は元国際テロ組織「アルカイダ」のメンバーで、後に英国の情報機関のスパイになった人物である。

 しかし、聞いているうちに出演者たちの博学ぶりに舌を巻くようになった。笑いを挟み込みながら、中東と欧米諸国の関係、戦争の現実、原理主義、世界全体への影響がそれぞれの直接の体験を通して解き明かされていく

 「Conflicted」の開始は、2019年2月。

 出演者の一人は米カリフォルニア州生まれのトーマス・スモール。

 ギリシャ正教の僧侶となるべく修行中だったが、途中から地中海と中東諸国の旅に出て数年を費やした。ロンドン大学東洋アフリカ研究所(SOAS)でアラビア語・イスラム研究を学びながら、1年間、シリアで暮らした。アラビア語に堪能。現在はロンドンに住み、作家・映像制作者として活動している。アルカイダとサウジアラビアの情報機関との戦いを描いたドキュメンタリー作品「パス・オブ・ブラッド」を制作し、同名の書籍も出版した。

 もう一人は元アルカイダの爆弾製造チームにいたエイメン・ディーン。アルカイダの首謀者オサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓った。4年後、英国の国際情報機関「MI6」のために8年間、スパイ活動を行った。現在はテロ対策についてのコンサルタント。これまでの人生を綴った「9つの人生-アルカイダの中でMI6のトップスパイになった(Nine Lives My Time as MI6's Top Spy Inside Al-Qaeda)」を上梓している。

 2019年「シーズン1」の配信で最初に取り上げたテーマは、2001年9月11日発生の米国中枢大規模テロ(「9・11テロ」)。2人はテロをどう見たのか。そして、イラク、イエメン、シリアの過去と未来は?ディーンがなぜ「ジハディスト(聖戦戦士)」になったのか。なぜ若者たちは聖戦の名のもとに戦いにでかけるのかが語られた。

 2020年1月開始の「シーズン2」では、9・11テロ後の米ブッシュ政権による対テロ戦争、ロシアと中東、イランと核兵器、アフガニスタンとタリバンの関係などを取り上げ、今年1月からの「シーズン3」ではアフガニスタン続編、イラクのフセイン大統領、イランの最高指導者アヤトラ・ホメイニ師、エジプト、イスラエル、アルジェリアなどをテーマにし、10月に「西洋対残りの地域?」を取り上げて終了した。これまでのパターンから判断すると、次のシーズンは来年以降になりそうだ。

 筆者は、9月上旬、ロンドン市内のホテルでディーンからポッドキャスト誕生の背景を聞く機会を得た。

 その前に、ディーンの人生を「Conflicted」を含む複数のポッドキャストや自伝、BBCのインタビュー記事を基に紹介してみたい。

聖戦の戦士になるまで

 ディーンは、1978年に生まれた。男の子だけ6人いる家庭の末っ子だった。バーレーン国籍を持っていたが、父がサウジアラビアの国有石油会社アラムコに勤務していたため、一家はサウジアラビア東部の油田地帯にある商業都市アルコバールに住んでいた。「保守的な国に住む、保守的なスンニ派イスラム教徒のアラブ人の家庭だった」と本人は語る。

 4歳で父を交通事故で失うが、母の深い愛情に包まれながら、イスラム教の教えの学習にのめりこんだ。9歳で近所のモスクでイスラム教研究グループに入り、11歳でイスラム教の本を販売する書店を手伝うようになった。12歳になると、コーランを暗記できるようになったという。当時の学校のクラスにいた25人の中で、暗記できたのは5人で、ディーンはその一人となった。

 12歳になる直前の1990年8月、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)がクウェートに侵攻する。アルコバールはクウェートに近く、ディーン少年の日常生活の会話の中に戦争、政治、宗教が頻繁に入ってくるようになった。

 ディーンにとって「教師、メンター、仲間」でもあった母親が、自分が13歳の時に病死してしまう。悲しみを乗り越えるため、ディーンはイスラム教の教えにすがった。エジプトのイスラム思想家・運動家サイイド・クトゥブが書いた、全6巻・4000頁に上る著作「コーランの影で(In the shade of the Korean)」を読み込んだ。1950年代から60年代、クトゥブが投獄中に書いた文章だ。

 著作は「神の王国を地上に復活させることを呼びかけた」、「イスラム教徒が住む世界の現状や例え暴力的手段を用いても変化を起こすべきという言葉は自分にとって説得力があった。神が決めた法律は人間が決めた法律に優先する」。

ディーンの自伝「9つの人生-アルカイダの中でMI6のトップスパイになった」表紙(筆者撮影)
ディーンの自伝「9つの人生-アルカイダの中でMI6のトップスパイになった」表紙(筆者撮影)

 1992年春、ボスニア戦争が勃発する。これがディーンの人生を大きく変えることになる。

 欧州バルカン半島には、かつてユーゴスラビア連邦が存在していた。1991年に解体し、92年に独立を宣言したのが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。同年春、ユーゴへの残留を主張するセルビア人と、独立をめざすスラブ系イスラム教徒、クロアチア人との間で対立が起こり、ボスニア戦争(「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」)に。

 サウジアラビアに紛争のニュースが伝わると、キリスト教徒であるセルビア人、クロアチア人による、イスラム教徒への「十字軍の戦い」という文脈の解釈が広がった。

 94年、ディーンはイスラム教研究グループの友人がボスニアに行って、イスラム教徒を助けるために戦闘に参加することを友人の家族から聞いて知った。ディーンは大きな衝撃を受けた。友人は自分に何も言っていなかった。あまりにも身近な例だった。電撃にでも打たれたように、ディーンは「自分も行くべきだ」と強く思った。

 友人の家に行き、「自分も行きたい」と言ってみた。友人はお荷物になる人物を引き受けるのが嫌だったのか、「まだ15歳じゃないか」と引き留めようとした。「いや、もうすぐ16歳になるから」と言い返した。

 すると友人は、「本当に君のような人物を聖戦が必要としていると思うのか」とディーンを試すように聞いてきた。ディーンは自分でも意識しないままに、こう言っていた。「聖戦は自分を必要としていないと思う。でも、僕には聖戦が必要なんだ」。

 こうして、ディーンは友人たちとともに武力を使ってイスラム教徒を守る聖戦の旅に出かけた。現地で軍事訓練を受けた後、偵察隊の一員として戦闘に参加した。

 1995年12月、和平合意が成立するまでに20万人以上が亡くなった。

アルカイダのメンバーになる

 戦争が終わりに近づいた1995年秋、ディーンは聖戦兵士による捕虜の殺害に大きな失望感を抱く。

 アルカイダの幹部ハリド・シェイク・モハメドの電話番号を書いた紙きれを持っていたディーンは、この番号にかけてみた。ハリド・シェイク・モハメドは米国への9・11テロを立案したとされる人物だ。

 電話してみると、当時ソ連の支配下にあったアフガニスタンで戦わないかと誘われた。アフガニスタン・カンダハルに出向いたディーンはオサマ・ビン・ラディンに服従を近い、アルカイダのメンバーとなった。

 ディーンはアルカイダの新メンバーにイスラム教の神学上の教えや歴史、宗教上の儀礼などを教えるようになったが、1998年8月、ケニアとタンザニアの米国大使館をアルカイダが爆破し、一般市民が命を落としたことで、アルカイダの聖戦に疑問を持つようになった。西欧を敵として、世界戦争を起こすアルカイダに失望感を抱いた。

 病気の治療のためにカタールに向かったディーンは、アルカイダにはもう戻らないつもりでいた。

 ここでディーンの人生がまた大きく変わる。

素性を知られてしまう

 カタールに到着してまもなく、ディーンは同国の情報機関に取り調べを受け、「アルカイダのメンバーではないか」と聞かれてしまった。

 アルカイダのメンバーを辞めようと思っていたので、「そうだ」と即座に答えたという。情報機関側は回答が即時だったことに驚いた。

 ディーンはスパイになることを持ちかけられる。選択肢は3つ。米国、英国、あるいはフランスの情報機関のために働くことだった。ディーンにとって、米国は度外視だった。「フランス語を一から学ぶのは難しい」と考え、英国の情報機関を選択した。

 ディーンは英国の国際諜報機関(通称「MI6」)から数か月にわたって事情聴衆を受け、訓練を受け、英国のスパイとしてアルカイダに戻った。

 事情聴取後、そのまま英国にい続け、一般市民の一人として大学に通う選択肢もあった。MI6から将来どうしたいかを聞かれたディーンは、「傍観者になりたくない」という思いでスパイになる道を選んだ。

 それから8年間、アフガニスタンとロンドンを行ったり来たりしながら、アルカイダの情報をMI6に伝えた。

スパイであることが明るみに

 2006年、ディーンがパリで休暇をとっていた時、アルカイダのメンバーから「我々の中にスパイがいるぞ」というテキスト・メッセージが届いた。送られてきたリンクをたどると、米ニュース週刊誌「タイム」に出ていた、ジャーナリスト、ロス・サスキンドの著作「ワン・パーセント・ドクトリン」の抜粋記事にたどり着いた。この中で、「アリ」と呼ばれるアルカイダのメンバーがスパイであることが示唆されていた。

 ディーンは直接名指しされたわけではないが、内情を知っている人が読めば、ディーンがスパイであることを理解するのは難しくなかった。MI6もMI5もディーンにも、寝耳に水の暴露だった。

 ディーンはMI6に連絡を取り、ユーロスターでロンドンに向かった。当時、ユーロスターの発着駅の1つがロンドン・ウオータールー駅だった。ウオータールー駅に到着すると、MI6の担当者がディーンを出迎えた。スパイ生活は終わりを告げた。

 ディーンはセキュリティ・コンサルタントしてのキャリアを開始し、現在に至る。

ポッドキャストはこうして生まれた

 ポッドキャスト「Conflicted」はどうやって、生まれたのか。

 ディーンが筆者に語ったところによると、配信ビジネスを始めたジェイク・ウオレンとはもともと友人同士で、「歴史やテロ、地政学を扱うポッドキャストをやらないか」と声をかけられた。

 ディーンは「最高に面白いポッドキャストは2人が出演し、かけあいで会話をする形がよい」と提案。パートナーとして、アラビア語に堪能で世界情勢にも詳しいスモールを推薦した。

 ポッドキャストが「矛盾している」という意味の名称になったのは、「2人とも母国から離れて暮らしている。スモールは西から私は東から来た。彼は元ギリシャの僧侶。私は元アルカイダだった」。どこに自分のアイデンティティを見出すのか、「常に頭の中で矛盾が発生している」という意味だという。

 一つのエピソードは約1時間。その前に、2人であらかじめ何を話すかを決めておき、一度のリハーサル後、本番となる。両者ともに読書家で、かなりの範囲のトピックをカバーできるが、「事前に本を読む必要がある場合もある。記憶を思い起こす必要がある」。

 これまでに220万回以上ダウンロードされ、世界中にリスナーがいる。若者層、警察、司法関係者、政治家、専門家など。男女比は半々だという。

 筆者は数か月前から「Conflicted」に耳を傾けてきたが、ディーン一家が英国に住んでいることを知ったのは、最近である。

 しかし、今年夏、一家は居住地のスコットランドを去ることになった。

 8月末、英国では「最後の」トーク・イベントがスコットランド・グラスゴーであると聞き、筆者はグラスゴーに向かった。(次回、その模様とインタビューの続きをお伝えしたい。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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