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ブロードウェー演劇界の舞台裏を描く映画「バードマン」は疲れた心に響いてくる

小林恭子ジャーナリスト
「バードマン」(英語版ユーチューブより)

米俳優マイケル・キートンがその役者人生を賭けた・・・そんな風にも見える映画「バードマン (あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が、先日の第87回アカデミー賞で作品賞・監督賞(アレハンドロ・G・イニャリトゥ)・撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)・オリジナル脚本賞(イニャリトゥほか)の4部門を受賞した。

惜しくもキートンは最優秀男優賞を逃してしまったけれども、キートンなくしては存在しなかっただろうと思わせる映画が「バードマン」だ。日本では4月公開予定となっている。

映画は、ヒーロー映画「バードマン」でかつて名をはせたものの、今は落ちぶれてしまった中年俳優がブロードウェーの舞台で再起を図る物語。この中年俳優を演じるのがキートンだ。彼自身が過去に「バットマン」や「バットマンリターンズ」で主役を演じている。キートンの俳優としてのこれまでと映画の主人公がだぶってみえるようになっている。

主演のキートンとは

キートンの姿を私が映画のスクリーンで初めて見たのは、「ミスター・マム」(1984年)だった。一家の主の男性が職場を解雇され、妻が外に出て働かざるを得なくなる。男性が家事をし、女性がキャリアを積むという、当時としては男女逆転のドラマをコメディとして描いた作品だ。この男性を演じたのがキートンで、慣れない手つきで子守をしたり買い物に出かける様子が笑いを誘った。

元々、スタンドアップコメディアンとして働き出したことや、名前を往年の喜劇俳優バスター・キートンから取ったというだけあって、長い間、キートンにはコメディ俳優としてのイメージがついた。

その後、ティム・バートン監督による「ビートル・ジュース」(1988年)出演をきっかけに、同じくバートンが手がけた「バットマン」(1989年)そして「バットマンリターンズ」(1992年)で主役となり、映画俳優として名をあげてゆく。

「ミスターマム」でのキートンのイメージが強かった私は「バットマン」でのまじめな姿を見て、「?」と思ったものである。

しかし着々と俳優として高い評価を積み上げたキートンは、昨年ハリウッド・フィルム・アワードとベルリン映画祭から生涯功労賞を受賞するまでになった。

1951年の9月生まれで、現在63歳。女優キャロライン・マクウイリアムス(2010年他界)と結婚し、1人息子をもうけた。1992年に離婚。

「バードマン」の演技でゴールデン・グローブ賞の音楽・コメディー部門の最優秀俳優賞などを受賞している。

劇中劇の面白さ

「バードマン」はキートンの俳優としての人生が重なって見える作りになっているが、映画制作者、監督、俳優などが制作途中の苦しみ、楽しみ、もろもろの状況をドラマ化・映画化する作品はこれまでにも複数本、作られてきた。

筆者が見た中で印象深いのが、古いところではイタリアの監督フェデリコ・フェリーニの「8・1/2」(はっかにぶんのいち、1963年)がある。フェリーニを若干思わせるような映画監督の役をマルチェロ・マストロヤンニが演じた。次にどんな映画を作るべきかというプロとしての悩みのほかに、妻との関係もごたごたする中で意味のある作品を作ろうとする姿を描いた。

俳優アル・パチーノによるドキュメンタリー「リチャードを探して」(1996年)も興味深い作品だ。シェークスピアの「リチャード3世」の映像化までの過程を、研究者や街角の人へのインタビューなどで構成した。米国人俳優が英国のシェークスピアをどこまで解剖できるのか?「外」の視点からのアプローチがやはり「外」の日本人である自分にとって、すこぶる刺激的だった。

「バードマン」は劇中劇の作品だ。映画の中で、キートン演じる主人公がレイモンド・カーバーが書いた芝居を成功させようとする。俳優の選択、リハーサルの様子、プレス向けの舞台、批評家との戦い、演じる俳優の悩みなどが克明に記録されてゆく。「1つの芝居が舞台で上演されるまで」を描いた、ドキュメンタリーのような体裁をとる。

実際には事実を積みあげるドキュメンタリーではなく、すべての俳優がある役柄を演じているドラマ、フィクションだ。

ノンストップでの撮影

ところが、映画を見ていると、ステージの裏に隠しカメラが入り、あたかも観客が混沌とした準備の様子や俳優の息遣いをリアルに見ている錯覚が起きる。

その1つの理由は、イニャリトゥ監督の意向で、ノンストップで撮影されたためかもしれない。映画の上映時間とほぼ同じ時間をかけて、そのほとんどを一気に撮影したという。

これは俳優陣や制作スタッフにとって、なかなかしんどい作り方だったようだ。英ガーディアン紙のインタビューで、キートンは「普通に撮影したらどうなんだろう」と他の俳優と言っていたという。しかし、実際に画面を見て「わあ、これだったら」と感銘したようだ。

撮影監督ルベツキ(2013年の「ゼロ・グラビティ」で撮影賞を受賞)は、ノンストップの撮影について「人生は続く」からと述べている。映画のカット用に、細切れに存在しているわけではない、と。

あふれるような言葉で進む

映画を見ていて、圧倒されるのが俳優たちが早口で話し、どんどん物語が進んでいく迫力だ。観客は芝居の制作過程に、何の準備もなく突如放り込まれた感じがするだろう。「あれ?これは現実?それとも・・・」という思いがするかもしれない。主人公の頭の中に存在するバードマンが実際に画面に出てくることで、???感が増す。

しかし、そんなもろもろの「?」感が、一気に撮影されたことも含め、映画に心地よいドライブ感を生み出している。

見ると、不思議な元気が出てくる

映画の名場面は数限りなくある。

ブロードウェーの演劇関係者が気にするのは上演後の新聞批評である。これで芝居に箔がついたり、短期間で終了となったりするようだ。映画には著名な批評家が出てくる。この批評家と俳優陣との「対決」はなかなかの見ものだ。

キートンにはどうしてもちょっとした可笑しみがただようイメージがある。それが十二分に発揮される場面もある。主人公がツイッターに登場してしまうエピソードだ。これは映画館でぜひご覧になっていただきたい。

主人公と娘との会話も見逃せない。妻にも娘にも「ダメな男」と厳しく言われる主人公。言葉の応酬がするどく、つらく、身に染みる。ぐうの音も出ない。

しかし、最後まで見たら、不思議と心に元気が出てくる。

世の中の疲れ切った大人に、ぜひ見て欲しい映画である。「ダメ男」の主人公だが、自分もこんな風に生きたい・・とまで思う人が出てくるかもしれない。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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