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トルコ首相の対ネット強硬策の背景に熾烈な政争 -デモから1周年でまた混乱も

小林恭子ジャーナリスト

トルコでは、昨年春、イスタンブール・ゲジ公園で大規模な反政府デモが発生した。5月31日には、そのデモから1周年ということでタクシム広場に集まった市民に警察が催涙ガスを発射し、大きな混乱状態となっている。

BBCの報道によれば、エルドアン首相は「広場に集まらないように」と警告していたようだが、治安維持のために警察官2万5000人が配置され、送られてきた映像は衝突の衝撃を映し出す

反抗するから押えつけるのか、押えつけるから反抗するのかー。エルドアン政権への不満が一気に噴出しているようだ。

トルコといえば、今年3月末、政府が大手ソーシャルメディアの国内での利用を遮断する動きに出たことで大きな非難を浴びた。人権擁護団体「アムネスティー・インタナショナル」は遮断を「表現の自由へのかつてないほどの攻撃」と呼び、米政府は焚書になぞらえた。

5月29日には、トルコの憲法裁判所が、通信当局による動画投稿サイト「ユーチューブへの接続遮断は、憲法が保障する表現の自由などの権利を侵害しているとの判断を示している。

ゆくゆくは欧州連合(EU)加入を目指すトルコ。こんなことで加盟の夢は実現するのだろうか?

エルドアン首相のネット弾圧への批判はもっとも(何しろ、憲法裁判所が遮断を憲法違反としているのだから)だが、なぜそんなことをしたのかということも視野に入れておきたい。一義的にはネット上に都合の悪い情報がどんどん出たからだが、旧態依然とした手法(接続を遮断)を使ったことには切羽詰った事情もあった。

こうした点について、月刊冊子「メディア展望」(新聞通信調査会発行)5月号に執筆した。記録の意味もあって、以下に若干編集したものを記してみたい。

強硬手段の背景に熾烈な政争

トルコは人口のほとんどがイスラム教徒だが、共和国としての建国時(1923年)から政教分離を国是とし、政治的には世俗主義勢力とイスラム系勢力のせめぎあいが続いてきた。世俗主義の「守護者」としての軍部が数回に渡りイスラム系政権をクーデターで倒してきた過去がある。

2002年からはイスラム系の与党・公正発展党が政権を担当してきた。

昨年春のイスタンブール・ゲジ公園での大規模な反政府デモに対する、政権の強圧的な対応がいまだ人々の記憶に新しいが、抜本的な構造改革で経済を立て直し、この10年余でGPDを大きく増加させたことで評価されてきた。トルコは中東諸国の中でも成功した国として認識されるようになり、EUに加盟するために、少数民族の処遇の改善や民主化に努めてきた。

そんなトルコがなぜネットの遮断という荒療治に出たのだろうか。

経過

最初の遮断が発生したのは短文投稿サイトのツイッターだった。3月20日、国内に約1000万人余とされるツイッターの利用者がサイトにアクセスできなくなった。当局は違法な投稿の削除要請にツイッターが応じなかったために接続を遮断したと説明した。

1週間後の27日、今度はユーチューブへの接続も遮断された。閣僚や軍幹部がシリア内戦への対応を協議した会議内容が投稿されたことがきっかけだった。

4月2日、トルコの憲法裁判所は、ツイッターの接続遮断が「表現の自由などの人権を侵害している」として解除を命じ、翌日、政府は遮断を解除した。一方のユーチューブについては、トルコの首都アンカラの裁判所が遮断は表現の自由の侵害であるとして解除を命じたが、問題とされた動画については安全保障上の理由で解除対象に含めなかった。

トルコがユーチューブ利用を止めさせたのは今回が初めてではない。2010年から2年ほど、建国の父、アタチュルク初代大統領を中傷する投稿があったと政府が判断し、禁止措置となった。

07年、トルコはネット規制を法制化し、裁判所の命令で、ブログや動画サイトを一時的に閲覧禁止できるようにした。今年2月、新たなネット規正強化法が成立し、プライバシーを侵害している、あるいは「侮辱的内容」が含まれていると通信当局が判断したウェブサイトについて、裁判所からの命令を必要とせずに24時間以内に閲覧禁止の処分を下すことができるようになった。野党勢力はこれを「政府によるネット検閲」と呼んだ。

言論の自由を推進するための米非政府組織「フリーダムハウス」は、「ネットの自由2013年」レポートの中で、トルコのネット状況を「自由」、「限定的自由」、「自由ではない」の3つの評価の中で「限定的自由」と位置づけた。理由は「政府によるネットの検閲が日常化し、近年その度合いが増えている」、「3万件規模のウェブサイトへのアクセスを遮断している」、「グーグル関係のサイトへのアクセスを遮断したことで欧州人権条約第10条に違反している」、「ソーシャルメディア上の発言によって利用者に罰金を貸している、投獄している」などを挙げている。

刑法301条による制限

インターネットの領域以外でも、トルコの表現・言論の自由の度合いは過去に欧州で問題視されてきた。

著名な例が刑法301条だ。EU加盟交渉を開始するために行われた刑法改革の一環として2005年に施行された。301条によると、トルコ人らしさ、トルコ共和国、トルコ議会を公的に侮辱する者は6ヶ月から3年までの禁固刑で罰せらる可能性があった。ただし、批判を目的とした思想の表現は犯罪にはならない。ノーベル文学賞受賞者の作家オルハン・パムクを含む60人以上が訴追されたが、08年までに改正がなされ、司法担当大臣の認可がなければ訴えることができなくなった。

少数民族の言論にも制限がついていた。トルコ憲法によれば、「トルコの国民はトルコ人」。公式言語はトルコ語のみが認められ、東部に多く住むクルド人は母語での教育や放送が許されない時代が続いた。しかし少数民族に文化的及び言語上の権利を与えることがEU加盟交渉で必須とされたため、政府は少数民族の権利の改善のために01年、憲法を修正し、クルド語での教育、放送が実現した。

今回のソーシャルメディアへの接続遮断の直接のきっかけは、ネットが政権やエルドアン首相にかかわる汚職疑惑を暴露する媒体となったためだ。

昨年12月、警察当局は建設工事をめぐる汚職事件に関連し、銀行首脳、ビジネスマン、閣僚の息子ら数十人を拘束した。汚職撲滅を公約としてきた政権にとって、特に大きな打撃である。関連で、閣僚3人が辞職している。

今年2月には、首相が巨額の汚職に関連する現金の隠匿を電話で息子に指示するやりとりを録音したとされるテープが、ユーチューブやツイッターで拡散した。報道機関の幹部に電話し、野党指導者の演説の報道変更を依頼した音声も出回った。エルドアン首相は先のテープは「作り事だ」としながらも、後者は本物であることを認めている。

首相は一連の音声テープの投稿が「政権転覆を目指す敵」によるものであることを示唆した。

旧来、イスラム系勢力にとっての「敵」とは世俗主義勢力(非イスラム系政治家、軍部、検察関係者など)であった。しかし、いまや、与党にとって、米国に住むイスラム教の指導者フェットフェーラ・ギュレン氏とその支持者が敵と見なされるようになった。同氏が率いる社会・教育団体は、イスラムの価値観に基づき、多くの学校や予備校を運営する。その出身者を捜査・司法界、財界に送り込んでいると言われている。エルドアン首相は、検察や警察がギュレン氏の指令を受けて動いていると主張している(ギュレン氏側は否定)。

エルドアン政権は「敵」粉砕のために断固とした行動を開始した。司法や治安面での政府の支配を拡大するよう複数の法律を改正し、メディアやインターネットの規制も厳しくしてきた。こうした流れの中で、今回の接続遮断事件が起きた。

トルコの日刊紙「ビルギュン」やニュースサイトに記事を書くジャーナリスト、ドーウ・エロール氏が筆者に語ったところによると、過去10年のトルコの政治は政敵のスキャンダルの暴露合戦となっていた。政権自身が盗聴によって得られた証拠を使って、政敵を攻撃してきたという。今回の汚職疑惑については政権寄りのメディアが十分に報じないので、「情報はネットに流れた」。

エルドアン氏が国際社会から批判が出ることは承知だと明言してから接続遮断に向かった背景には、国内の熾烈な政争(旧来の敵と新たな敵)があった。遮断は現政権の強圧振りを内外に示したが、同時に、上意下達がきかないネットを制御しようとしたトルコ政府、ひいてはエルドアン首相の(ネットの特徴を熟知していないという意味で)旧式な指導者然とした姿もあらわにした。

筆者は8年前にトルコの複数の都市を訪れたことがある。当時、クルド人市民を除く知識層の友人・知人たち数人が「西欧並みの言論の自由がある」と言っていたのが印象的だった。今回、現地のジャーナリストや市民に連絡を取ってみると、多くが反政府デモに参加したか、参加した人を知っていた。「拘束されることを覚悟しないと自由に外部の人にものが言えない」、「コメントは出せるが、名前は出さないでほしい」と言われた。

3月末の地方選挙は与党の圧勝で終わった。大統領就任も視野に入れるエルドアン氏の公正発展党とギュレン氏の勢力という二つのイスラム系勢力の不仲をはらんだ政治が続いている。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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