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ドイツ政治層の「米に裏切られた」思いは消えず

小林恭子ジャーナリスト

米NSA報道によって米国と欧州諸国の政治層に亀裂が入った話について、週刊東洋経済11月30日号に書く機会があった。少し時間が過ぎたが、筆者記事「核心リポート」に補足したのが以下である。

この記事の後の状況を、ドイツのニュース週刊誌「シュピーゲル」ロンドン支局長に聞いてみた。その話を読売オンラインの筆者コラムに書いている。あわせて目を通していただけたら、最新の事情が分かると思う。(33)独誌支局長に聞くNSA報道の舞台裏

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「スノーデン」で大揺れ 敗戦国ドイツの悲哀

ドイツのメルケル首相の携帯電話が米国家安全保障局(NSA)によって盗聴されている――そんな衝撃的な疑惑が明らかになったのは10月の独誌の調査によってだった。

国家権力による監視の記憶が消えない旧東ドイツ出身のメルケルは、これまでも「私の電話は盗聴されているでしょうね」と冗談交じりに語ってはいた。しかし、想定していたのはイランや中国からの不正アクセス。同盟国の米国ではなかった。

6月以降、複数の主要欧米メディアがNSAや英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)による大規模な情報活動を報じている。その情報源は元米中央情報局職員(CIA)のエドワード・スノーデンだ。数百万人単位の米国市民の通話記録を収集していること、大手ネット企業のサーバーへのアクセス、国連や欧州連合(EU)在米代表部での盗聴行為などが暴露され、10月からは欧州各国でのNSAの活動が明るみに出た。

しかし、ドイツの指導者層が「ショックと怒り」に見舞われ、対米関係が「大きく揺らいだ」と感じたのが、メルケルの携帯電話盗聴だった。

ファイブ・アイズ

世界の主要国が互いにスパイ行為を行っていることはどの国の首脳陣も認識しているが、外交には表と裏がある。首相クラスの電話の会話を同盟国が盗聴し、かつその事実を知らなかった、とは対外的にも国内的にも二重の恥だ。

しかも、これまでNSAの情報収集活動に対する批判に対し、なだめるような態度を見せていたのがメルケル首相。6月末に訪独したオバマ米大統領は、情報収集と国民の権利を守るという点について、「米国は適切なバランスを取っている」と述べ、この発言を信じた。8月半ばには「もうスノーデン事件は一段落した」ともらした独政府高官もいたという。

10月末、米大統領広報官は、メルケルの携帯電話を過去に盗聴していたことを事実上認めた。一方のキャメロン英首相の携帯電話については過去、現在、将来も盗聴していないとし、英独の差が出た。

そもそも米国は英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとともに「ファイブ・アイズ」と呼ばれる協定を結び、諜報情報を共有するとともに、互いへのスパイ活動を禁じている。この協定は米英2国間で第2次世界大戦後に始まり、独仏は加盟していない。

しかし、いうまでもなく諜報活動は各国が行っている。オランド仏大統領はフランス市民へのNSAによる情報収集を「受け入れられない」と非難したものの、フランス自身も国内情報中央局(DCRI)や対外治安総局(DGSE)が巨大な情報収集体制を築いている。

「正直になろう。こちらも盗聴はしている。誰でもやっている」とベルナール・クシュネル元外務・欧州関係大臣は公共放送ラジオ・フランスの番組(10月22日放送)内で発言した。「米国ほどの(大規模な)収集手法を持っていないだけの違いだ」。世界をまたにかけた高度な情報収集を実行できる米国に「嫉妬している」と付け加えた。

ドイツにはミニNSAともいえる連邦情報局(BND)がある。現在はNSAからの諜報情報に大きく依存しているが、ゆくゆくはさらに組織を拡大することを独政府は望んでいる。

ドイツへの冷たい対応

現実主義者のメルケルは、ファイブ・アイズのような関係を米国と持つために、次の一歩を進めている。11月第1週に自国の情報機関幹部らを米国に送ったのだ。

これは、独米間の「信頼関係の再構築」の一環として、NSAやCIA幹部らにドイツからの情報収集の詳細を聞きだし、「二国間同士でスパイ行為を行わない」との確約取り付けを狙ったものだった。

しかし、11月12日付けの独シュピーゲル誌が伝えたところでは、ドイツ側は新たな情報を得ないまま帰国したようだ。米側は、スノーデンが持っているドイツ関連情報、スノーデンが業務を離れた5月以降の諜報情報を「ドイツ向けパッケージ」として提供する用意があると持ちかけただけだったという。

ファイブ・アイズの長い歴史、9・11テロの実行犯らが独ハンブルグで飛行機の運転研修を受けていた、といった要素を考慮しても、実に冷たい対応といえる。

筆者は11月6日、ロンドンで開催されたイベントで次のようなシーンを目撃した。シュピーゲルのロンドン支局長クリストフ・シューアマンが「ファイブ・アイズのような連携を米国はドイツと交わすべき」と発言したところ、英情報機関MI6の元幹部ナイジェル・インクスターが首を横にふり、「いったいドイツは何を提供できるのか」と繰り返し聞いていた。「何もないのだから、入れてやらない」とでも言いたげであった。

巨大な情報網を築くNSA、その子分的存在のGCHQ。この米英連携による諜報情報の収集体制に、事実上頼らざるを得ない欧州。この構図はスノーデン後も変わらない。米政府側がどれほど好き勝手に情報を収集していても、欧州は文句を言いながらそれについていかざるを得ない。

スノーデンは、NSAの強権ぶりと米英と欧州諸国との力関係を、残酷に浮き彫りにしたといえる。

欧州の米国への不信感はNSA問題の発覚前から存在してきた。その根の1つがグーグルやフェイスブックなど米大手ネット企業の世界的な躍進への反発だ。プライバシー侵害や、不当に自国のビジネスの利益を阻害する行動があれば、これを停止する動きが出る。9月、仏政府はフェイスブックに対し新しくなったプライバシー設定の詳細な説明を求めた。これより先、独新聞界はグーグルとニュースサイトの記事掲載でもめた経緯がある。

複数紙の報道で米ネット企業の利用者の情報がNSAに流れていると指摘された後で、米国にあるデータセンターを使わないネットの仕組みを作ろうという動きがここ何ヶ月かの間に発生している。独テレコムは「ドイツ製の電子メールサービス」を提供しており、ブラジルやEUは米国のデータセンターを通さないネット空間を作ろうとしている。こうした「ネットの囲い込み」を、「最も解放された通信の場」として発展してきたインターネットを阻害する動きだと英フィナンシャル・タイムズ紙は見る(11月1日付)。「世界を一つにまとめる公的空間を各国のクラウド網の寄せ集めに変形させれば、世界経済は大きな打撃を受ける」と警告する。

NSA・GCHQによる情報収集活動の暴露報道は、インターネットの将来をも変える可能性がある。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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