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英国で戦死者追悼の日 -2分間の黙とうで思いをはせる

小林恭子ジャーナリスト
戦死者追悼の日の様子を伝えるBBCのウェブサイト

英国に住んでいると、毎年、道行く人やテレビに出る司会者などの上着の襟部分に、赤いひなげしの花の飾りが目につくようになる。「今年も、また『あの日』がやってきたな」と感じるようになる。

「あの日」とは、戦死者を追悼する日「リメンバランス・サンデー」のことだ。毎年、11月11日、あるいは11月の第2日曜日に英国内外で儀式が行われる。この日に向けて、赤いひなげしの花をイメージした飾りを衣服につける人が増えてゆく。ひなげしは追悼の意と新たな人生の開始を表わしている。

実戦部隊を世界各地に派遣させている英国では、戦争は過ぎ去った昔の話ではない。大戦中とは違って国民皆兵制度はないが、志願兵の中で戦死者、負傷者が恒常的に出ている。もちろん、逆に「敵」を戦死あるいは負傷させてもいる。そんな国、英国では、戦死者を追悼する儀式が国民的に重要な位置を占める。

今年は11日となったリメンバランス・サンデーでは、日本で言うと霞ヶ関に当たるホワイトホールにある戦死者の慰霊碑前で、追悼儀式が行われた。

英王室のメンバー、首相、各政党党首、外相、英連邦や軍の代表者などが出席し、午前11時、一斉に2分間の黙とうが行われた。その後、エリザベス女王から始まって、王室のメンバー、首相などが花輪を慰霊碑前に置いた。この模様はテレビで生中継された。

同様の追悼儀式は英国内及び英連邦諸国などを含む、世界の複数国で行われた。国内各地でも、各地の慰霊碑の周辺で同様の儀式が行われている。有志が集合し、慰霊碑まで追悼行進の後、黙とうと花輪を置いた。

リメンバランス・サンデーは、もともとは第1次世界大戦の戦死者の追悼の日であった。

1918年11月11日午前11時、大戦で敗戦国側となったドイツが、勝利者となった連合国軍側との休戦協定を結んだ。そこで、翌年から毎年、11月の第2週の日曜日か11日に近い日曜日のいずれかに、追悼式典が開催されてきた。1919年、最初の式典が行われた時には、この日を単に「休戦日」(「アーミスティス・デー」)と呼んでいた。

第1次大戦は近代兵器を使った初めての世界戦争で、戦死者は数百万人規模に上った。大きな犠牲を払った多くの戦死者たちを決して忘れず、この大戦が「最後の世界大戦」になることを願って、国王ジョージ5世が、2分間の黙とうを含む式典を開催する「リメンバランス・サンデー」の設定を主導した。

今では、第2次大戦や最近のアフガニスタンやイラクでの戦死者など、英国が関与した様々な戦争で命を落とした兵士を追悼する日になっている。

何故、赤いひなげしが戦死者追悼のシンボルになったのだろうか?

BBCと英国在郷軍人会のサイトによると、赤いひなげし(scarlet corn poppy)は、欧州原産のケシ科の一年草で、過酷な自然環境の中でも成長して花を咲かせる。19世紀、対ナポレオン戦争で荒廃した欧州各国の戦場では、戦死者の遺体の周囲に赤いひなげしが生え、荒れた土地がひなばしの野原に変貌したという。

1914年、第1次大戦が勃発し、フランス北部やフランダース地方(旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)が再度、戦場になった。戦闘が終わると、戦場を埋めるように育ってきたのが赤いひなげしだった。こうして、欧州では戦争とひなげしの花との関連が意識されるようになった。

1915年、カナダ人の医師で詩人でもあったジョン・マックレーが、同国人兵士の死を機に書いた「イン・フランダース・フィールズ」が、英雑誌「パンチ」に掲載された。戦場に咲くひなげしの花を冒頭に入れた詩は、欧州諸国で人気を得て、ひなげしは戦闘で命を落とした兵士たちの大きな犠牲の象徴となった。

英国在郷軍人会は、1921年、「ひなげし募金」(「ポピー・アピール」)と名付けられた募金活動を開始している。

飾りを購入すると、利益が英軍関係者への支援に回る。戦死者への追悼の意を表しながら、英兵士にいくばくかのサポートを提供できるとあって、多くの人が飾りを買い求める。この飾りをつけて町中を歩けば、追悼の意を表したという印を公にしていることになる。

飾りの着用は、この時期、愛国心の表明ともなるが、これに反発を感じる人は少なくない。「ほかの人と同じような行動を取りたくない」という英国人気質から反発する人がいる一方で、「愛国心の表明を強制されたくない」という人もいる。

また、戦死者への追悼の意の表明行為を真剣に考える人の中には、テレビのキャスターなどが判を押したようにひなげしの飾りをつけて画面に登場する様子を不快に思ったり、侮辱と受け止める人もいる。

英国人の家人も、ひなげしの飾りを一斉に付け出す人々に対して批判的な1人だ。家人の父親は英空軍戦闘機のパイロットだった。ドイツを爆撃後、英国に戻る途中で攻撃を受けた。戦闘機は、フランスのある村に墜落し、クルー全員が命を落とした。家人が生まれる2ヶ月前の出来事だ。

赤いひなげしの飾りを襟につけて登場するテレビの司会者や政治家を見るたびに、「本当に、戦死者に思いをはせて飾りをつけているのだろうか」、「飾りをつけることが政治的に正しいから、つけているだけではないか」と疑念がわくという。

日本人の私は、この日、いささか居心地の悪い思いをする。なんと言っても、日本は第2次大戦では敵国だったのだ。

ホワイトホールで開催される儀式の様子をテレビで視聴し、2分間の黙とうを自分でもやる。戦争で犠牲になった人のことや、今でも戦闘行為につく若い英兵のことなどを思い、涙が出てしまう。英兵士たちが「敵」を殺傷していることを知りながらもー。

家人は地域で開かれている、追悼式に毎年参加している。地元の教会に集い、慰霊碑まで行進する。午前11時、慰霊碑前で黙とうを行う。

テレビでの追悼式の生中継が終わった頃、家人が家に戻ってくる。襟には赤いひなげしの花の飾り。年に一度、この時にだけ、家人はひなげしの飾りを襟につける。家人はいつも、泣きはらしたような目をして帰ってくる。今年も、「リメンバランス・サンデー」が終わったな、と思う瞬間である。

(筆者のブログ「英国メディア・ウオッチ」や「英国ニュースダイジェスト」に掲載された筆者記事から一部を引用しました。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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