イチローとリッキー・ヘンダーソンの辞書に「引退」という言葉はない。

(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 マリナーズのイチロー選手が今シーズンの残り試合には出場せず、球団の会長付特別アドバイザーに就任することが発表された。

 「引退」とは表現されていない。

 第一報を聞いたとき、リッキー・ヘンダーソンの姿が脳裏をよぎった。

 今さら説明するまでもないが、リッキー・ヘンダーソンはメジャーの通算盗塁記録を持つ盗塁王であり、通算得点記録も持つ。史上最高の1番打者と称された選手だ。

 メジャー史に輝く記録を作っても、ヘンダーソンは選手であることをやめなかった。やめられなかった。野球が好きだったから。

 44歳で迎えた2003年の開幕時はメジャー球団と契約できなかった。独立リーグのニューアークベアーズで現役続行し、その年の7月、ドジャースとの契約にこぎつけた。

 ドジャースでメジャー復帰し、このまま引退か、と思いきや、翌2004年も再び独立リーグのニューアーク・ベアーズでプレーし続けた。46歳になっていた2005年は、カリフォルニア州サンディエゴにある独立リーグの球団で、73試合に出場し、打率2割7分、5本塁打、29打点、16盗塁している。

 2005年12月、サンフランシスコ・クロニクル紙が、ヘンダーソンは引退するのかという見出しで記事を書いている。元チームメートで親友のデーブ・スチュワートとはコーチ就任の可能性について話し、近しい人にも「スパイクを脱ぐ時が近づいている」と胸の内を明かしたという。

 その報道の通り、翌2006年2月にメッツの打撃インストラクターになった。現役を引退したからではない。打撃インストラクターをしながら、メジャー復帰の可能性に賭けたからだ。

 しかし、メジャー復帰は果たせなかった。ヘンダーソンがメジャーでプレーしたのは結果的には2003年が最後。その5年後、つまり、野球殿堂入りの候補者資格を得てすぐの2009年に殿堂入りしている。

 野球殿堂入りを報じた2009年1月14日のニューヨークポスト紙の記事は、最後まで選手であろうとしたヘンダーソンをよく表している。

 

 ヘンダーソンは、殿堂入りの会見で「引退した」と話した後、こう続けたそうだ。

 「けれど、もしも、レフトが必要、出塁できる選手が必要、盗塁できる選手が必要なチームがあれば、いつでも俺のところへ電話をかけて欲しい。俺は駆けつけて、チームを助ける。それくらいゲームを愛しているんだ」。このとき、50歳。

 すっぱりと引退する美学もあれば、追求し続ける美しさもある。

 イチローの特別アシスタント就任は事実上の引退と考えるのが妥当なのだろう。しかし、イチロー本人が引退を発表する日まで、再び打席に立つのを、夢見心地で待っていたい。